デカルト的

人は、歴史上の出来事を、歴史という同一の地平の対等な出来事として、それらを同時に見ている。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔4〕

人は、歴史上の出来事を、歴史という同一の地平の対等な出来事として、それらを同時に見ている。 『不十分な世界の私―哲学断章―』〔4〕

 歴史なるものについて、一般にこういうことが考えられてしまうことはないだろうか?  たとえば日本史の中では、大化の改新も関ヶ原の戦いも明治維新も、「日本史という一つの場所」において、あたかも「同一の地平に同時に存在するものであるかのように見えてしまう」のではないだろうか?「日本人」は、自分たちの歴史において起こったとされるそれらの出来事を、「日本史の一つの年表の上で、同時に見ている」のではないのだろうか?  あるいは、たとえば「哲学の歴史」というような本を読むとして、そこに書

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存在と時間

存在と時間

私は今ドイツのウルムという村の暖炉で考えている。 時間とはなんだろう。時間を感じるには、時計を見ればいい。時計の秒針が動くのを見てそれを経過したということを見れば、時間が過ぎたんだな、と思う。時計がない場合は太陽の向きや、月の位置などで時間の経過を判断できる。小川を眺めている時は、時間を正しく認識するのはなかなか難しい。時間とは何かが動いた経過でしかない。 もしこれが嘘だったら?例えば、まったく時計が動かない、時計があったら、壊れているのかなと思うだろう。時間が止まったん