お題

#とは

あなたが大好きなものをつづった投稿を「#とは」のハッシュタグで募集します!

急上昇の記事一覧

おとんが言うにはな # なんのはなしですか

尾崎豊の名曲「15の夜」。 フィクションかと思っていたら、この時代、本当に普通にあったらしい。 父が僕が大学に合格した時にふと話していた。 「お父さんの通ってた中学校はなぁ、校舎の中でバイクが走り回っとったで」 「え、中学生で !? 」 「そうや、盗んだバイクやろなぁ。校舎に火つけて消防車が来たこともあったし、すごかったわ」 父が通っていたのは地元で一番荒れてることで有名な学校だった。そこへ赴任した教員の給料は他の中学校の教員の給料より随分高かったらしい。 リアルに怖す

スキ
64

丁巳大安の夕暮れ

スキ
24

なおらい

おはよう ハナミズキ 風に揺れて 少し寒いね 今日は大安 少しの雨は止んだ 直会 いただくこと 有り難いこと いのちを頂くこと くもりぞらは穏やかだ 今日もありがとう

スキ
34

今年も🩷はな絨毯🩷

スキ
38

はなみずき

スキ
65

あゝ日常

体調も半分以上は回復し、今日からまた月曜日。仕事スタート。 休んだのは木曜日と金曜日だけだけど、 土日もほぼ倒れていたに近かったからやっぱりちょっと変な感じはした。 外の空気に触れる感じとか、立っている時のバランス感覚とか。 いつもとちょっと違う感じ。 だけど慣れって不思議なもので、すぐに日常に引き戻される。 引き戻されるというか、時間は、人は待ってくれない。 意地でも引き戻していかなきゃいけない。 大事な担当者会議を1つ控えていたし、社内の大事な会議も1つあったしで、

スキ
37

【作例あり】アスティア ASTIA/ソフトの色味 柔らかな描写としっとりした質感

FUJIFILMのフィルムシミュレーションの中の一つにASTIA/ソフトというものがあります。 名前にソフトとあるからには柔らかめでふわっとした雰囲気を想像されることも多いと思いますが、実は意外とそれだけでもないのです。今回はそんなASTIA/ソフトについて紹介していきます。 ASTIA/ソフトとはASTIA/ソフトはファッション・ポートレート撮影での使用を想定して設計されたリバーサルフィルム「フジクローム・アスティア」がベースとして作られたフィルムシミュレーションです。

スキ
24

惜春の雨情

否と行ない 否は起き 嫌悪の越えに否が有る 過ぎ去りし 時に任せば在りにけり 頼まれるにこそ成るは有る 起きるに然り 暑さ有り 雨は降り今は起きる この世はおもしろい 知るも知らぬもつまらない 惜春の雨に自ら然り神は在る 春惜しむ 雨の音さへ あめのおと

スキ
58

だから、ね💕

スキ
39

山菜の女王「コシアブラ」

わたしは天丼が大好き。 一昨日のお昼時、ふと天丼を食べに近所のいつものシニアのご夫婦が経営する食事処に行って天丼を頼んだ(わたしはこのお店では約9割がた天丼を頼む)。 その地元の食事処は、かつてはお寿司屋さんとして40年以上前から営業している。それゆえか、具材は新鮮。しかも秘伝のたれも美味しい。 さらにさらに、 そこの天丼は大えびを含め7種の具材がのって750円。 つい先日まで680円だったけど、昨今のインフレで値上げせざるを得なくなったとのこと。 コスパ最高、という

スキ
51

1500日

実はこの投稿が毎日投稿1500日目になります。 1500日ってよく考えなくてもすごい数字で。 時間に直すと3万6000時間、年単位で直すと4年以上。 それだけの時間毎日何かを続けているってちょっとびっくり。 起きる、寝る、トイレ行くとかに次ぐくらい、毎日の習慣になっている気がします。 雨の日も風の日も雪の日も、 何か嬉しいことがあった日も、誰かに共有したい喜びがあった日も、 すごい悲しいことがあった日も、就職面接落ちた日も、 それこそ今みたいに風邪ひいて体調悪い時も、

スキ
49

君がくれるアイスクリームは、いつも冷たい

スキ
12

ひきこもりだった「私」へ

こんにちは、愛音です 「ひきこもり」 不登校になって、部屋のカーテンを全部しめて、電気をつけないで、ひたすら布団の中で体を丸めて呼吸をする生活。 部屋から出るのはトイレ、お腹が空いた時。お風呂は入る気力がなかったので入浴だけを理由で部屋を出ることはなかったです。あと児童相談所での面談の日は部屋を出て母の手を握りしめ、外出していました。 なぜひきこもっていたのか? 私の場合、もう何も出来なかったんです。学校で闘いすぎて、気力ゼロ、だから不登校になりました。家にいればまた元

スキ
20

ジデカ・アクーニーリ・クロスビー:Something Split and New

ジデカ・アクーニーリ・クロスビー:Something Split and New Something Split and New(分割されて新しいもの) Something Split and New Njideka Akunyili Crosby 2013 size : w283 x h213 cm Acrylic, Charcoal, Pastel, colour pencils, marble dust, collage and transfers on paper

スキ
23

ジデカ・アクーニーリ・クロスビー「美しい人はまだ生まれていない」は・・・ 

ジデカ・アクーニーリ・クロスビー「「美しい人はまだ生まれていない」は長くは当てはまらないかもしれない "The Beautyful Ones Are Not Yet Born” Might Not Hold True For Much Longer 「美しい人はまだ生まれていない」は長くは当てはまらないかもしれない 2013 "The Beautyful Ones Are Not Yet Born” Might Not Hold True For Much Longer

スキ
38

温かいものに救われる

温かいもののありがたさを今すごく感じている。 あ、ただ今回言及したいのは間接的な、無形な「温かさ」(人のあたたかさや言葉のあたたかさ)ではなく、物理的な、有形な「温かさ」で。 もちろん人のあたたかさだったり言葉のあたたかさだったりに救われたり身が沁みたりするのは当然だし、実際それにも救われてはいますが(笑) 今みたいな風邪の症状で喉が痛くなると、お腹はグーグー鳴っているのに食欲はわかないし、そもそも喉が痛すぎて何も喉に食道に何かを通したくないし、、みたいな状態になる。

スキ
50

闘病生活がスタートした【音声と文章】

※今回はこちらの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n440fbae3820e?from=notice 「ところで、息子さん(弟)には本当の病名を伝えても大丈夫でしょうか。」 T部長はのり子達に向かっておっしゃった。 両親ものり子も考えたが即答できない。 弟は27歳で立派な大人だから、自分の病名を知る権利はある。 家族の私たちがそれを阻止するのはおかしいとすぐに思った。 しかしである。 人は「私は○○だ」と思うと、本当はそうではなくても、思い込みが強いとそうなってしまうことはないだろうか。 のり子はそういう性格だった。 だから、「あなたは〇○の病名で、長くてもあと3か月しか生きられません。」と言われたら、もしかしたら治る病気も治らないのではないだろうか。 自分のタイムリミットを知らされ、毎日その残りの日めくりをめくるのは、残酷過ぎると思った。 それよりも、真実を知らずに治ることを信じて闘病した方がいいのではないだろうか。 それは、弟のことを思ってのことだが、しかし、真実を知って毎日葛藤している弟を見るのが辛いという、こちら側のエゴでもあった。 両親とのり子は悩み、少しの間沈黙が続いた。 そして、のり子は両親に「言わないことにしようか」と聞いてみた。 真っ赤に日焼けしてポロシャツにスラックスの父。トレードマークのJAのネーム入りの帽子をかぶっている。 太い指はゴツゴツしていて、連日の農作業のために爪の中には土が残っている。 ちりちりパーマが伸びきった感じの母は両手を膝の上に置いてギュッと握り下を向いていた。 やがて、のり子の言葉に二人は頷いた。 のり子が言い出した形にはなったが、弟には本当の病名を知らせないことに決めた。 その決断は正しかったのかは今でも分からない。 本当のことを伝えて「その日」までにやることをさせてあげればよかったのかもしれないと、その後も今も後悔することがある。 しかし、自分はこうだと決めつけないで明るい未来を描いてそれに立ち向かったらもしかしたら弟の病気は治るのではないかという思いがのり子にはあった。 私たちは弟に真実を告げないことを選択した。 医師は、もしも診断書を勤務先などから求められたらこの病名を使いますとおっしゃった。 それは「血液不全」。 本当はそんな病名はないそうだ。 その優しい嘘は、医師だからできるのだとのり子は感じた。 そして弟の闘病生活は始まった。 弟の部屋は6人部屋だった。 見るとベッドの下に敷きものを敷いて寝泊まりしているご家族の方がいらっしゃった。 夜は床に布団を広げ、朝になると小さくまとめて日中、付き添いをしていた。 会社を退職して1か月ののり子は、自分も弟に付き添うことに決めた。 のり子は家から原動付きバイクを持って来て病院の自転車置き場に置いて、その日から病室の床に寝泊まりした。 そしてその部屋からワープロ教室や税務会計とPCを勉強するビジネススクールに通った。 弟が入院したと聞きつけた友人たちがすぐにお見舞いに来てくれた。その時間、のり子は部屋を離れて弟たちの邪魔にならないようにしていた。 友達の多い弟には連日見舞客が訪れた。そして病室でお互い冗談を言い合い、病室は明るい雰囲気に包まれていた。 弟は入院するにあたり、ノートを用意していて、毎日、誰が来たか、何を持って来てくれたのかを書いていた。 これはこれまで、骨折などのけがで何度か入院したことがあり、退院後のお礼のために毎日書き記していた。 そういうところも弟らしい。受けた恩は忘れない人だ。 そのノートをのり子にも見せてくれた。 入院してから数日しか経っていないが来客の多さに弟がどんな人かが伺われる。 その中で、ダントツにお見舞いの回数が多い方がいらっしゃった。 弟の上司であるTさんである。一週間に5回はお見えになっていた。 そして、その日にあったことなどを楽しく二人で話をしていた。 Tさんにはお子様がいらっしゃらなくて、弟を我が子のように思っているとおっしゃっていた。 温厚なTさんをのり子も慕っていた。 入院当初の弟は、これまでのけがの入院と同じで弟のベッドの周りだけは明るい雰囲気が充満していた。 やがていろいろな検査が一通り終わり、治療の方針が決まった。 そして、抗生物質を使った治療が開始された。 それまでのんびり過ごしていた弟はその日から、吐き気や高熱に見舞われた。 吐き気に対応できるように、すぐ傍にのり子は洗面器とティッシュを用意し、洗ってすぐに持って来てまた洗ってを繰り返した。 39度以上の熱が続き、「寒い」と弟は訴え、あまりの寒さでベッドがガタガタと揺れた。 熱が上がれば身体は熱くなる。しかし、ある温度まで行くと、熱が上がるほど寒くなるのをのり子は初めて知った。 連日、このような状態になり、気楽な入院生活を予想していた弟は、少しずつ事の重大さが分かってきた。 長くなりましたので続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1817日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~闘病生活がスタートした~ ネガティブな過去を洗い流す

スキ
14

メールのアイコンってさ。

Outlookメールを眺めていて、いつも思うこと。 メールのアイコンってさ、 TOP画みたいな封筒マークだよね。 これ、ずっと変わらないのかな? そして送信時は、紙飛行機。 いや、それいつの時代だよ…と思いつつも 分かりやすいよね。 紙飛行機を飛ばす=メールを送る。 違和感なく、受け入れてる。 代替するアイコンあるのか? と聞かれても、答えられる自信がない。 添付ファイルなんて、クリップマークだよ。 リアルクリップの使用頻度って、確実に減ってるよね。 他にもア

スキ
7

スローモーション

突然の危険に対して、目の前がスローモーションに見えたことはあるだろうか。 よく、事故を起こした瞬間周りの景色がスローモーションで見えたとかいうアレのこと。 これは息子から聞いた話。 給食時間、当番の子が小さいおかず(副菜)が入ったお鍋を落として中身をこぼしてしまったそうだ。 給食室から教室へ運ぶ廊下での出来事。 話を聞くだけでかわいそう過ぎて、その子のことを思うと胸が痛くなった。 子どもは時に薄情で残酷だから、「〇〇さんがこぼしたらしいよ〜」とか言ってる、絶対。 そ

スキ
21

晩春の風

おはよう 春の季節の終わり 穀雨の頃を迎えた 春土用もあと二週間余り 春霞の空は風が強く 桜の花も数輪ばかり 季節のうつろい 人のうつろい 新しい始まりを愉しむ風が吹く 今日もありがとう

スキ
50