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自分がチャンピオンであるという矜持。

スポーツメンタルコーチ橋本(@hashimotoyuro)です。

アメリカンフットボールの名門であるインディアナ州にあるノートルダム大学にはとある看板があります。ロッカールームからグラウンドへ向かう階段の踊り場に設置されており、選手たちはこの看板を必ず目にしてから練習や試合に臨みます。その看板にはこのような言葉が書かれています。

Play like a champion today.(今日、王者のようにプレーしろ。)

シンプルで力強いメッセージ。これを見た時に選手たちは何を感じ、どんな風に行動をしているのでしょう。気になります。

試しに、毎日自分のことを「チャンピオンだ」と思ってプレーし続けることを想像してみてほしいのです。実際にチャンピオンかどうかは置いておいて、チャンピオンのようにプレーしようと思うことでどんな変化があると想像するでしょうか。

自分は〇〇だと自分で決める

あなたは初対面の人に自己紹介する時にどんな風に話すでしょうか。名前や年齢や出身といった基本的な情報や所属チームや競技に関すること、過去の成績やこれからの目標などを話す人もいるかもしれません。

これは他人に対する自己紹介ですが、おそらくあなたが「自分自身」に感じているイメージとほぼ同じものだと思います。

では「私はいずれチャンピオンになる人間です」というのはどうでしょうか。このようなことを言うのは、自分の能力をわきまえない傲慢な態度だと思われるでしょうか。実現していない未来を自分のこととして語るのは嘘になってしまうのでしょうか。

自分自身の未来を宣言することは嘘でもなんでもないと私は思います。それは覚悟や矜持ともいうべき、気高いものだと思うからです。私は漫画をよく読みますが、有名どころでいうならば、ワンピースでの海賊王、ナルトでの火影です。

だからこそ、今この瞬間からそうなろうと思っていいのです。そうなるべき人間だという質のいい勘違いは実現させてしまえば何も問題ありません。

逆にこれだけSNSやインターネットが発達し、夢を叶えた人たちの活躍を見ることができる世の中なのにも関わらず、「お前には無理だよ」とあざ笑う人がいまだにいることが残念でなりません。

思うことが始まり。

自分自身が何者かを決めるのは、自分自身でいい。私は心の底からそう思います。プロになる前からプロ意識をもっていていいし、チャンピオンにふさわしいのは自分自身だと、虎視眈々と準備を進めていくのは素敵です。

その気持ちがただの自己満足か、それとも絶対に達成するという覚悟なのか。その二つの違いは、日々の行動のクオリティがそれに見合っているかという点にある思います。前者であれば成長はあまり見込めませんが、後者であれば大きく成長します。

更に言えば、「どんなチャンピオンか」と自分ごととして想像してみることはもっと重要です。それはこれからどのように成長していくべきかの道しるべになります。

だとすれば、変えればいいのは未来の自分ではなく、現在の行動のクオリティです。「未来の自分はこうだ!」と自分自身で決めたならば、ふさわしい行動とあり方をもってそれを実現していくことの方が、険しくも楽しい、充実した道のりになっていくのではないでしょうか。

その信念があるのなら、誰かが何を言おうが正直関係ないのです。最初は1%だったとしても、その可能性を高めて来た人たちを私はたくさん知っています。

もし否定されそうなら、誰かに宣言する必要もありません。心から信頼できる人にだけこっそり打ち明ければいいのです。大切にしたい思いを内に秘めたまま、黙々と達成していくのは「カッコイイ」と思います。

なりたい姿を思い浮かべ、今この瞬間からそれになろう。その矜持が目の前の体験を変えていくための第一歩です。


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