第一回目〜あれから何してた?〜

「あれから何してた?」


こんばんは。
みなさん、お元気ですか?
元気かどうか聞く前に、無事ですか?
私は無事です。

去年から、ほんとにいろんなニュースが飛び交って、今までこんな気持ちになったことないという、行方のわからない気持ちを毎日味わっています。
ウイルスを話題にしはじめると途方もない気持ちになってしまうので、今日は、コロナが蔓延する以前、バンドを完結してから今まで何してた? っていう話を書きます。
このnoteを読んだからって特に何か得られるわけでもないですが、もうすぐお知らせできるであろうアルバムに向けて、不定期に綴っていけたらなと思います。
長めのひとりごと、ということです。

約17年続けていたバンドを完結してからの私は、絵に描いたような燃え尽き症候群で、物忘れやミスが多くなり、ぼんやりとした時間を過ごしていました。
徳島に帰ったり、友人に会ったり、今考えると、なんて素晴らしい時間なん…と思うけど、2018年下半期の私は、暮らしたいように暮らし、会いたい人に会う、それだけでできていました。

今後どうしていきたいか。
何を生業としていきたいか。
そんなことを考えられる脳のパワーもなく、そしてそれに焦るわけでもなく、起きてご飯食べて寝ていました。

意識が変わったなと感じたのは、友人の結婚式で歌った後です。
今までにも何度か結婚式で歌う機会はあったけど、私の中の「歌う」という行為は、常にバンドの一員としての立場からのものだったので、このタイミングでお願いを受けた時は、「ただの私だけどぜひ」という気持ちでした。
スタジオに行って練習し、アコギを持って式場に行き、目の前にいる新郎新婦のために歌うという、この一連の行動が持つ魅力。
友人がとても喜んでくれて、やっぱこういうのっていいなあ、と思いました。
披露宴後、新郎側の方に「歌よかったです。何か活動されているのですか? これからですか? 頑張ってください」と言われた時に、初めてライブをした日の徳島の夜の道路を思い出しました。

あっという間にまた曲を作るようになり、その作った曲を聴いてもらうも聴いてもらわないも、私次第なんだということにどきどきしました。そして、曲を作ることでしか知ることのできない気持ちが、曲に向かい合うことでしか過ごせない気分や時間があるなあと思いました。

気が向いたら曲を作り、作りたくない時は作らない、というのを繰り返していたら、曲が増えて、ちょうどコロナが流行り始めた頃、アルバム作れるかも、という気持ちが芽生えました。
自分でもほんとに懲りないなあと思う反面、毎日同じ気持ちを保つことは難しいけど、今は、アルバムを作りたくなったこの流れを、大切にしようと思います。

とここまで書いて、もうひとりの私が、「いや説明長。やりたくなったからやってますでいいやん」って言よるけど。

燃やし終えた後でも、道を歩いていたら、好みの枝は見つかるのですね。
そしてその枝をまた、燃やしてみたいと思うのですね。

今回はこの辺で。
次回は近況でも書いてみます。
それでは。
おやすみなさい。