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災害支援/アートプロジェクトを通した細く強いつながり

知人のSNS投稿に触発され、9月12日(木)、13日(金)と台風15号の災害支援(物資のお届けや現地での小間使いなど)で房総半島へ行ってきました。昨年の西日本豪雨における被災地支援の実感から、大規模災害で、国や基礎自治体などがうまく動いていないうちは、小さくても自己責任による直接支援は有効と考えていたためです。自分のスケジュールがたまたま調整しやすかったのもあります。

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はじめてポルカを使ってみたのですが、いい塩梅に支援金も集まり、自分も含めて皆さん、良くも悪くも災害支援慣れしてきた感じでしょうか。。。

今回動いてみての個人的な課題は以下あたりです。

・ひとりは自由と引き換えに、やはり効率が悪かったり、危険に陥る場面もあるので複数人行動がよい。
・普段も設営現場などはあるのだから、いい塩梅の保険を見つけて入っておく。
・支援活動に関わる情報収拾や現場で使える技術レベルをあげる。
・自宅・事務所の防災環境も見直す。
・防災に加えて、いつでもちょっとした支援活動に行けるようにしておけると万全⁉︎
・マイカーとキャンプ用品が欲しい。

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地縁がある佐賀や岡山もまだ支援が必要な状況だろうし、房総半島は間違いなく長期化するはず。本当に、変に悩まず動ける人や団体が、できることをできるやり方でやればいいと思います。

ところで今回腰が動いたもうひとつの理由が、いちはら×アートミックス、金谷BASEなど、被災エリアのアートプロジェクト/クリエイティブ拠点に足を運んだことがあり、地理とそこにいる人たちの顔が何となくわかる場所だったということもあります。そうなると、連絡先を交換している間柄の人がいなくとも、かなり気持ちも動きます。

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いちはら×アートミックス

アーティスト、地域のコーディネーター、サポーター、関連団体の方々、そして訪れる観客。芸術祭・アートプロジェクトが紡いだ様々な関係は、例え細くてもかなり強いつながりだと言えるのではないでしょうか。

比較的知られているであろう例としては、中越地震の時に多くのアーティストやこへび隊の皆さんが新潟へ向かったこと。東日本大震災の時に、全国に広がっていたアサヒ・アート・フェスティバルのネットワークで様々な助け合いがあったこと。

特に、(自分は当事者ど真ん中ではありませんでしたが)今は無くなってしまったアサヒのような全国規模のつながりは、非常時にも生きてくるのではないかと、あらためて思います。この価値を紡ぎなおして、育てていくことはできないでしょうか。

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ココルームの井戸

橋本は今すぐには難しいですが、長期的にはわりと本気で考えたい気分です。近頃話題の2020失業問題・各種就労支援的なこととかとも一緒にしてしまうのもありかもしれない。

どなたか一緒にやりませんか?

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