見出し画像

vol.42 霜降「バス待ち人」10/23〜11/6

 「あぁお腹が空いた」と、時計を見るともうすぐお昼。私の腹時計はだいたい正確にできている。切りのいいところで仕事の手を止め、お湯を沸かしお弁当を広げる準備をする。in-kyoの大きなウィンドウの向こうに目をやると、12時のバスを待つ人たちが停留所前のベンチに座っている姿が見える。この時間帯は行き先の違う町営のバスが2台続く。スーパーでのお買い物の帰りだろうか、それともこれから病院へでも行くのだろうか。
バスを利用する人はご年配の方が多く、待つ人どうしでおしゃべりをしているその様子がなんとも平和で微笑ましい。
 日によって人数や服装も違い、そのことからも店内からは、天候や季節といった外の様子を感じることができる。寒さが厳しい冬の日には、皆さんモコモコに洋服を着込んで、ニット帽をかぶり、おばあちゃんたちの首には手編みだろうか、マフラーやショールを巻いて、お揃いのようにも見える服装が可愛らしくてたまらない。
 「PM12:07のバス待ち人」そんなタイトルを勝手に名付けて、こちら側では定点観測のようにその様子をひとりで楽しんでいた。今では花壇に植えたユーカリの木が大きく育ち、ウィンドーの視界を遮っているので、意識しないとバス待ち人の様子は見えなくなってしまった。お店を始めたばかりの頃は、ユーカリの木はまだ小さな苗木で、店内のカウンター内に座るとちょうどベンチが見える位置。バスが到着するまでのバス待ち人たちの様子を一部始終、映画かドラマのように眺めることができたのだ。
 
 三春で暮らし始めて5年を過ぎたというのに、とうとう私は車の運転をせずにペーパードライバーのままで過ごしてしまった。この先、必要に迫られて車の運転をすることがあるかもしれないけれど、ここまでくるとその可能性は低いようにも感じている。不便といえば不便だが、自宅と仕事場は歩いて行けるし、運動不足にはちょうどいい距離。何より時間さえ合えば町営バスで家に帰ることだってできる。バス待ち人などと他人事のように名付けているけれど、私もれっきとしたその一人なのだ。
 実家がある千葉や、暮らしていた東京でも、これまでバスを利用する生活には馴染みがなかった。だから三春で暮らし始めてすぐには土地勘もなく、バス停の名前も知らなかったのでバスに乗ること自体少々緊張した。はじめてひとりでバスに乗る子どものような心境。まずは町営バスのコース、乗車と下車をするバス停を時刻表で念入りに調べることにした。お陰で町の地名と位置関係が、ざっくりながらも把握することができたのはありがたかった。乗車金額の200円を握りしめ、バスを待つ際は行き先が間違っていないか、乗車してからもバス停を乗り過ごしてしまわないか、バスからの眺めを楽しむほどの余裕はなく、ソワソワと落ち着かなかった。そんなことも今は昔。数度乗ってしまえばすぐ慣れてしまって、バスのひとときを楽しめるようにもなってきた。
 町営バスは小型ながら我が家の車に比べて視線が少し高いというだけで、見慣れた景色が少し違って見えてくる。しかも最短ルートを選んで走るのではなく、あくまでもバス停に沿った道というのが新鮮だ。たまにしか乗らないものだから、たった数分でもちょっとしたプチ旅行のように、はしゃいだ気分になっている自分がいる。
 子どもの頃は車や電車の揺れが苦手ですぐに乗り物酔いをしていたこともあり、小学校の校外学習などのバス旅行は心底嫌いだった。今では嘘のように平気になっているというのに、あの頃は行き先がどんなに魅力的でも、バスでの移動のことを考えるだけで気持ちが重くて仕方がなかったのだ。
 三春町営バスは行き先や時間帯別にいくつかのコースがあり、いつか暇をつくってバスで町を一周したいと思っている。さらに欲をいえば、季節ごとに乗ることできたら景色の移ろいも感じることができて楽しそう。普段はなかなか通らない道や場所、知らないことや発見があるに違いない。行き先へ向かうための手段というのももちろんあるけれど、バスに乗ること自体をこんなに楽しめるようになっているなんて、子どもの頃の私が知ったらさぞかし驚くことでしょう。
 私が乗車する時間帯は、人が少なくて貸切のようになることもよくある。なんだか申し訳ないような、贅沢なような。ドライバーさんとも顔見知りなって、少し照れくさいような気持ちもそこに混じる。ドライバーさんによってはバス停よりも少し手前の、自宅
の近くで降ろして下さる方もいる。フリー乗車区域もあるから頼めば誰にもそうしてくれるようだけれど、「悪いかな」と思って私は何も伝えていなかったというのに。バス停から歩く姿を見られていたのか、あたりまえのことのようにしてくれるやさしさが嬉しい。自分で車を運転していたら、こんなやり取りを味わうこともなかっただろうと思うと、ペーパードライバーも捨てたもんじゃないななんて思ったりして。
 雪がしんしんと降るような日は、バス待ち人が身につけるそれぞれのニットの色が、冷たく静かな白とグレーの世界に、あたたかな色のクレヨンでグリグリと点を描いたようによく映える。そんな景色はまだまだ先などと思っていても、きっとすぐにやって来るのだろう。