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vol.25「手前味噌」立春2/3〜2/17


 今年もそろそろお味噌を仕込む時期がやってきた。お味噌は一年中どの季節に仕込んでも作ることはできるけれど、一〜二月頃の、寒さが一番厳しい時期に仕込むいわゆる「寒仕込み」が良いと一般的にいわれている。寒仕込みだと雑菌が繁殖しづらいのでカビが生えにくく、低温でゆっくりと発酵が進み、旨味が十分に引き出されるということが理由らしい。しかも材料となる大豆や麹に使うお米も収穫後の新鮮なうちに使うことができるのだから納得。頭でわかっていながら忙しさにかまけて三月末頃に仕込んだ年もあるが、三春の寒さのお陰か、全く問題なく出来上がった。そんな経験もあるのでどこかゆるく構えて油断もしているけれど、やはり昔の人の知恵に従っておいた方が、こうした季節しごとは大抵間違いがないことは十分わかっているつもりだ。
 年が明けた頃から「お味噌」の文字が頭の片隅にちらつき始める。忘れないうちにまずは材料。大豆と米麹は美味しさはもちろん、応援の気持ちも込めて、数年前にご縁あって知り合った滋賀県の若き女性農家さんに注文をしている。塩は色々と試しながら気になるものをお取り寄せ。材料が揃えばひとまず安心。あとはいつ作業ができるのか、スケジュールとのせめぎ合いとなる。毎年のことなのだからあらかじめ味噌予定を立ててしまえば良いものを、ギリギリまであたふたとして学習ができていないことを思い知るのだ。
 仕込む容器は杉の味噌桶で、約8kgほどのお味噌を仕込むことができる大きさだ。これは私が前から欲しいと思っていたもので、東京から三春へ移住をする際に友人が結婚と引越しのお祝いを兼ねて贈ってくれたもの。母から娘へ糠床を嫁入り道具のひとつとしてもたせたという話も昔はあったようだけれど、私の場合は友人から味噌桶。この木桶で仕込むお味噌は三春へ移住した年月を共に歩んでいることになる。
 
 お味噌を仕込むようになったのは東京に住んでいた頃からなので、気づけば10年くらいが経っている。初めてのお味噌作りは出版社アノニマ・スタジオのスタッフの皆さんとだった。そもそもin-kyoは、2007年にアノニマ・スタジオの一角を間借りして、お店をスタートした。たべることとくらすことをテーマに本づくりをしているアノニマ・スタジオでは、毎年スタッフの皆さんがキッチンスタジオのスペースに集合してお味噌作りをしていて、そこに私も混ぜて頂いていたのだ。前日から寸胴鍋に大豆を入れて浸水させる。その鍋が朝から火にかけられ、甘くふくよかな香りでキッチンが満たされる。香りに包まれながらの作業は、テーブルの上などではなく、床に大きな麻のゴザを敷き、みんなで車座になりいざスタート。各自自宅から持参したすり鉢を抱えて、やわらかく茹で上がった大豆にすりこぎを当て、滑らかになるまでゴリゴリ擦るのだ。

ゴリ、ゴリ、ゴリ、ゴリ。

おしゃべりをしたり、笑ったり、集中したり。日常業務をこなしながらの作業となるので、途中で誰かが出たり入ったり。ゴリゴリが終わると、

ペターン、バチ、ペターン、バチ、ペターン

という音に変わる。これは味噌玉を容器に詰めるときの音。ハンバーグを作るときの要領で、中の空気を抜くための作業だ。ぴっちりと隙間なく容器に詰め終わり、重石を乗せれば出来上がり。あとはただただ発酵の力と時間に委ねて、美味しく仕上がるのを待つだけだ。面白いことに、同じ材料と同じ場で作ったお味噌でも、それぞれが持ち帰った家の環境で味や様子に違いが出ることがある。何グラム、何分、何度などといった、数字では測りきれないそんな余白があってもいいよね、と教えてもらっているような気にもなる。嫁入り道具の木桶にしてみても、使い始めて3年目あたりから理由はわからないけれど、出来上がりの味と香りが格段に良くなってきたような気がしている。いろんな場所と人を経てきた木桶と材料が醸し出す何かが共存し、今のこの場所にようやく馴染んできたということか。それに加えて出来上がったお味噌を使って料理をし、体に取り入れて循環していくサイクル。その調和が取れてきたのだろうか。たかがお味噌、されどお味噌。目には見えない余白がいとおしい。
 木桶で仕込むようになってからは、贈り主の友人に教えてもらったやり方で、味噌玉を詰め終わった後、ラップの代わりに酒粕を敷き詰めている。この方法だとカビも生えづらく、何よりお味噌が出来上がる頃に上がってくる「たまり」を酒粕が含んで、これがまた料理に使うと独特の旨味を添えてくれるのだ。この美味しさは味噌づくりをした人だけの特権。この酒粕に肉や魚を漬け込んだり、お酒のアテにもなるし、鍋やお味噌汁に溶けばポカポカと体もお腹も温まる冬のお楽しみとなっている。
 材料も作業も実にシンプルだけど手間と時間は確かにかかる。が、一人で黙々と作業をしていてもあの車座の風景を毎年のように思い出す。ゴリゴリと一斉に響く音も遠くで聞こえてくるようだ。そんな記憶のひとつひとつも何かを醸し出すエッセンスや、私の原動力になっているのかもしれない。