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なんでNIDにいるのか。

Nagaoka Institute of Design。
つまりは長岡造形大学。

長岡に住み始めて10年。
私がNIDと出会ったのは中学1年生の頃。
幼い頃からずっと絵を描くことが好きで、気がついたら絵を描いていたような人間で。中学に入るとよくある強制入部。そこで興味を持って入ろうと思ったのが美術部だった。
その頃からずっとアニメが好きで、緩く絵を描ける部活なのかな、と思って入ったのに、その当時の先輩たちはいわゆる"ガチ"の人達(多分先生の方向性)で、毎日デッサンだったりクロッキーをしていた。そこから私が美術漬けになったんだろうなあ……と改めて考えると思う。

毎年秋になると、長岡市内の中学校の美術部が集まって近代美術館で「長岡市中学校美術部展」と呼ばれる展示会をする。そこの共催だったのがNID。
実はそれまでNIDのことなんて全く知らなくて、そこで教授に講評を受けたことが興味を持つきっかけだった。当時中学生だったので先生はやわらかい講評ではあったけれど、美大の先生に褒められた、というのは大きな経験だった。それと同時に美術を学べる大学があるということを知り、進学を少しずつ考えるようになったのだった。

これが中1の時に出品したもの、のはず。

高校受験のときに、既に大学受験のことを考えていた。高校を推薦で受験していたので面接当時の私は何を思ったのかその面接でハッキリと「長岡造形大学に進学を考えています」と口を滑らせた。アホ。
ただ、その時の言葉を先生たちは受け止めてくれていて、良くも悪くも先生たちは入学後よく気にかけてくれるようになった。進路担当の先生から、入学前の段階で「うちの美術の先生、NID出身だから話を聞いておいで」と言われ、言われるがままに美術室に顔を出した。その時に出会ったのが今もお世話になっている先生。(仮に🎨先生としよう)
🎨先生は私の話を真剣に聞いてくれ、まだ曖昧だった自分のやりたいこと、受験に対する気持ちを自分の事のように聞いてくれた。うちの親はそういったことに無関心だったので、親身になってくれる大人といった存在が今まで無かった。だからこそ、🎨先生には感謝してもしきれない。(おかげで今も先生の元に顔を出している)

高校でも美術部に入り、受験を考えつつもただ目の前のことをがむしゃらにこなしていた。
私は絵を描くことが好きだったので、その時に出会った油絵に没頭。NIDに進学した先輩がいたので、その受験を話を聞きながら、目の当たりにしながらただひたすらに目の前のキャンバスに向かっていた。漠然とデザインに興味があるというふわりとした気持ちがあっただけで。

そして自分が受験生、となった2020年春。

あいつがやってくる。

そう、新型コロナウイルスによる休校。


自分のこともよく分からないまま、何をしたらいいのか分からないまま、ただ呆然と1ヶ月を無に帰していた。

🎨先生と「志望理由書書いてこようか」と言われたにもかかわらず、真っ白なまま休校が明けた。

何度も泣いた。
自分が何をしたいのかが全く分からず、ただデザインをしたいという気持ちだけでは受からないことを既に知っていたから。何も出来ない自分が悔しくてただただ泣いた。

それでも、自分は進学するという意思は強かったようで、志望理由書を20テイクやり直すという根性っぷりは発揮していた。

また、長岡に残る選択をしたのも、長岡に根付いたデザイナーになりたかった気持ちがあったから。この話は長くなりそうだからまたどこかで。

自分は話すこと、行動することは得意だったので、がむしゃらに動き続けた。その末、1発で合格を掴むことが出来たのはかなり幸運だったんじゃないかな、と開示された成績をみて思う。笑(1次試験かなりボーダーにいた)

今思い返すと、まだまだ未熟だったことや詰めが甘かったことは多くあると思う。今でも、レベルの高い同級生には適うことがなく、悔しい思いをすることが多い。それでも、何とか食らいついて進級できている。

私の根幹には行動する力があるんだろうなあ。

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