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子どもの目線と大人の目線の”誤差”を理解すると”遊びの幅を狭める”という罪を犯さない?!

大人の目線と子どもの目線

日本語は難しくて、目線とか、視線とか視点とか「みる」言葉はたくさんあります。ここでは「目線=視線=見る方向」といった視覚の意味合いで進めていこうと思います。
大人と子どもの目線は、単純に身長の差から生まれる差が大きいです。これは当たり前のようで当たり前ではなくなってしまうのが不思議なところ。

例えば、人はカメラを持ったときに、立った状態でカメラを構えてシャッターを押すのでおおむね同じ高さから撮った写真が多くなります。そうすると画角は大して変わらず単調になってしまうことが多いと思います。

これと同じように、大人は大人自身の身長で立っている高さから見た世界が基準になってしまいます。これを当たり前としてしまうと、子どもの身長で見た目線で広がる世界の楽しさやワクワク感を見逃して「もういくよ!」と手を引いて進んでしまうわけです。

実際にどのくらい目線が違うのか?

とあるちょっと広めの公園での出来事です。子ども達と一緒に歩いていると、子どもは生け垣を見て走り出しました。僕からすればただの生垣的風景にしか見えません。実際はこんな景色です。

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これが、幼児の身長から見たらこんな景色に変わります

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身体のサイズの差も考えると、大人からすれば回り道したり避けて通るべき「障害物」なのに、子どもからすれば「通り抜けたくなる場所」に見えているわけです。この差が本当に大きい!

子どもからすれば、トンネルなのか、迷路なのか、近道なのか、とにかく通りたい場所なのは違いありません。でも、この世界に大人が気付けないと、楽しい遊びのチャンスが消えてしまうのです。

子どもにとって最高の遊び場が目の前にあるのに、大人からすれば「何も無い」から手を引いて過ぎ去ってしまう。子どもは後ろ髪引かれつつも強制移動という悲しい瞬間となってしまいます。
これが続くと、子どもも次第に目線から生まれるアイデアを失ってしまう危険性もあります…。

子どもの目線が無くならないために大人がすること

こう書くとちょっと難しい気がしますが、答えは簡単です。子どもの目線を奪わないためには、「親も実際に子どもの目線になる」ことをすればいいのです。つまり、対象が幼児なら正解は「しゃがむ」です。
大人になると、意外と面倒なのがこのしゃがむという動作。日常でも避けがちなこの動作は、「大人の性」ともいえるでしょう。ちょっと面倒だけど子どもと同じ目線の高さになることで、子どもに見えている世界を共有できて、そこから遊びの世界を展開できるというわけです。
これが癖になると、大人にも忘れていた目線を取り戻せるのでしばらく固定されていた考え方もどんどん柔軟になっていくのではないかと思います。かくいう僕も、子どもの目線に寄り添うことでビジネス上においても新しい視点をたくさんもらえたような気がします。

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