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菊之助は、なぜ 『春興鏡獅子』ではなく、『連獅子』を名古屋で踊るのだろう。

 『連獅子』を見るたびに、思うのは、役者であることの業なのだった。

 同じ石橋物でも『春興鏡獅子』は、九代目團十郎と六代目菊五郎が練り上げた品格を感じる。舞踊として自立しているがゆえに、役者と踊りが正面から向かい合っていると感じる。

 ところが、『連獅子』は、親と子、師匠と弟子、同門のライバルなど、年齢や技量に差があっても、競い合いの要素が強い。

 獅子は生まれた子供を千尋の谷底に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てる伝説が曲の骨格になっている。河竹黙阿弥の仕組んだドラマである。
 歌舞伎役者は、親子といえども同じ舞台に立てばライバルとなる。子獅子はいつか親獅子を乗り越える日が来る。その日のために努力を重ねていく。

 確かに、親子で踊ると、歌舞伎の伝承の裏が見える気がする。その苛酷さに身が震える思いとなる。

 以前、菊之助と話していて、音羽屋の家は、『連獅子』に積極的ではありませんね、と訊ねたことがある。当時は十八代目中村勘三郎が健在だったから、『連獅子』といえば中村屋の十八番との固定観念があった。

「すべて流れるように自然でなければ」
というのが、菊之助の『春興鏡獅子』に対する見方だった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。