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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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#中村勘三郎

【劇評328】鶴松の『野崎村』と勘九郎、七之助の『籠釣瓶』。一門の団結を見せ、よい勘三郎十三回忌追善となった。

 大間のやや下手側、追善興行のときは、思い出の写真が飾られる。今月の歌舞伎座は、十八世中村勘三郎十三回忌追善で、写真の前には、お香がたかれていた。手を合わせる。  昼の部は『野崎村』。七之助は久松に回って、鶴松がお光に挑む。児太郎は、お染を勤める。  鶴松のお光は、特に前半がいい。出から実に初々しい。久松との祝言を心待ちにして、気もそぞろな心の内がよく見て取れる。お染が出てから、嫉妬心にかられて、木戸から閉め出してからも、恥じらう乙女で一貫している。 底意地の悪さはなく、久

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【追悼】近くて遠い人。写真家、篠山紀信の想い出。

 神出鬼没の人だった。  篠山紀信と会った場所を思い出せばきりがない。青山のスタジオはもとより、パリの劇場やレストラン、NYの平成中村座周辺は、偶然なのか必然なのか、ばったり会った。  かといって、親しく話したことは一度もない。 「どうも」といって別れるだけの関係だった。今となっては惜しいような気もするが、この不世出の写真家と何を話せば分からなかった。中村勘三郎や野田秀樹、興味の関心が似ていたこともあって、ばったり会うのは必然だったし、そのことは、きっと紀信さんもわかっ

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鶴松がお光を勤める『野崎村』。勘三郎の思い出。

 猿若祭二月大歌舞伎。もう十三回忌となるのか。墓参りは欠かさないようにしているが、今も、献花やお香が絶えないのは、故人の遺徳だと思う。

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中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

 歌舞伎を愛してやまない人だった。歌舞伎が演劇の中心にあることを、信じ続けた人だった。その願いを生涯を賭けて全力疾走で実現したにもかかわらず、急に病んで、そして逝った。  五代目中村勘九郎は、天才的な子役として出発した。昭和四十四年、十三歳のとき父十七代目勘三郞と踊った『連獅子』で圧倒的な存在感を見せ頭角を現した。二十代前半には『船弁慶』『春興鏡獅子』と、祖父六代目尾上菊五郎ゆかりの演目を早くも踊っている。六代目と初代中村吉右衛門の血をともに引いていることが、彼の誇りだった

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【劇評278】熱狂の平成中村座。勘九郎、七之助が若手花形を引き立てる。進境著しい獅童。五枚半。

 歌舞伎に、沈黙は似合わない。  客席にある種の熱狂があってこその歌舞伎であって、コロナウィルスの脅威が私たちを襲ってから、この興奮状態を忘れかけていた気がする。  久し振りに浅草、浅草寺境内の平成中村座を埋めた観客は、熱い歌舞伎を待ち望んでいた。  全身全霊を賭けて芝居をする役者を観たい、この緊密な空間に身をおきたい。こうした観客の願いが、強く感じられた。開幕を待つときのざわめき、役者の出に向けて贈られる拍手、いずれも、私たちが待ち望んでいた劇場のありかただった。  

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十八代目中村勘三郎のアナザーストリーズが、NHKBSプレミアムで放映されます。

「そのとき歌舞伎は世界を席巻した十八代目中村勘三郎の挑戦」が、12月7日午後九時からNHK BS プレミアムで放送されます。  芸能番組ではなく、本格的なドキュメンタリー番組なので、これまでの勘三郎追悼番組とは、違ったものになってるのではないかと期待しています。 玉三郎、野田秀樹らの出演です。もちろん勘九郎、七之助も出ます。 勘三郎ファンは必見です。私も取材を受けました。 https://www.nhk.jp/p/anotherstories/ts/VWRZ1WWNYP/s

勘三郎に帰ってきてほしい。今すぐこの世に。

 長引く病に沈んでいる。  まったく社会的な生活を遮断する訳にもいかない。以前から約束していて、一度、スケジュールをずらしてもらったテレビの取材を受ける。  こうした場合、スタジオとかホテルとか取材社の施設とかで収録してきた。今回は、私の自宅、書斎をディレクターに望まれた。  ちょっと、ためらったのだが、資料としてもらった「アナザーストーリーズ」では、コメントする人間の自宅での収録が、その人物を語って、とても面白かったので、要望を受けることにした。  取材の内容は、十八代目

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新シリーズ『本棚に人生がある』。『鏡獅子三代』など、勘三郎をめぐる四冊。

長患いのために、更新が滞っていたが、徐々に復帰しますので、どうかご容赦いただきたい。新シリーズ『本棚に人生がある』と題して、読書と本の周辺についての雑記をお届けします。何を読もうかな、迷ったらご参考にどうぞ、お楽しみに。  必要があって、十八代目中村勘三郎の周辺の本を、集中的に読んでいる。  ユニークなのは、NHKの山川静夫が企画した『鏡獅子三代』(日本放送協会 昭和二十二年)。九代目團十郎、六代目菊五郎から十七代目勘三郎、そして十八代目に伝えられた『春興鏡獅子』を科学の目

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【劇評210】勘九郎、七之助による追善となった『猿若江戸の初櫓(さるわかえどのはつやぐら)』

 歌舞伎には、寺社が設立された経緯を構造として組み込まれている演目がある。『摂州合邦辻』は、大坂、四天王寺にほど近い月江寺建立。『三社祭』は、江戸、浅草、漁をしていて観世音菩薩像をすくいあげ、三社様の本尊としたという枠組みがある。中世の説話や説経節を日本の藝能は引き継いでいる証しだろうと思う。  ならば、江戸から綿々と繋がる歌舞伎の家系を寿ぐために、ある種の神話を新たに作ってしまおう。こうした新作舞踊ができたのは、先の伝統に連なる作劇の方法の流れがあるのだと思う。  今月

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三津五郎の墓参りに行って、ぼんやり考えたこと。

 入試の季節は、受験生の必死な思いとぶつかりあうことになる。  もっとも、二○一五年の二月二十一日からは、この慌ただしい日々に、新たな感慨が加わった。この日、十代目坂東三津五郎が、五十九歳の若さで亡くなった。このときの衝撃は、私にとって大きな意味を持つ。  先立つ三年前、三津五郎は盟友だった十八代目中村勘三郎を一二年十二月五日に亡くしている。このときの嘆きは、築地本願寺の本葬で、三津五郎が読んだ弔辞に凝縮されている。私としては、親しくしていたふたりが、こんなに早くあの世に行

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【劇評207】十八代目勘三郎が勘九郎に乗り移った『連獅子』。十七代目勘三郎三十三回忌追善に見る藝の伝承。

 一見、関係ない話から始める。  二○○七年の三月、パリオペラ座で市川團十郎、市川海老蔵の歌舞伎公演があった。ふっとしたことで、パリの情報誌の案内を見たら「ICHIKAWA FAMILY DANCE COMPANY」と書かれていた。この公演は、市川團十郎家とその一門に、市川亀治郎(現・猿之助)が加わっている。初代段四郎は、初代團十郎家の門弟だったから、「FAMILY」と聞いて感じた違和感のほうが、歴史的にはおかしいのかもしれない。  なぜ、こんな話を思い出したかというと、二

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【劇評68】『足跡姫』阿国と猿若勘三郎の魂。劇評を再録します。

現代演劇劇評 平成二十九年一月 東京芸術劇場プレイハウス  『足跡姫』(野田秀樹作・演出)を観た。  野田が歌舞伎界に進出した『野田版 研辰の討たれ』が二重写しになる作品となった。『野田版 研辰の討たれ』は、いうまでなく、十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎との共同作業で生まれた新作歌舞伎である。敵討ちを大義とする武家社会のなかで、刀の研ぎ屋あがりの辰次(勘三郎)が、誤って家老(三津五郎)を殺してしまったために、子息ふたり(染五郎、勘太郎・現勘九郎)に追われるが、ついには

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勘三郎のあしあと。野田秀樹「足跡姫」に寄せたエッセイを再録します。

 野田秀樹作・演出『足跡姫』(02017年1月。東京芸術劇場)のパンフレットに掲載された私の稽古場レポートを転載します。野田さんが、勘三郎さんを祈念して上演した舞台です。  懐かしい日々を思い出します。  師走のある日、中央区にある水天宮ピットに野田秀樹の稽古場を訪ねた。  稽古場では評論家は招かれざる客であると承知している。教育の場でもあった演出家蜷川幸雄の場合を除けば、私がこれまで稽古場を訪ねたのは、都合二十回を超えないだろうと思う。  野田の稽古場を訊ねたのは、思い

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勘九郎と七之助、五代目菊五郎ゆずりの覚悟。勘太郎、長三郎の巡業出演について。

中村屋の錦繍公演は、私たちの世代にとっておなじみだ。コロナウィールスの脅威によって、昨年は実現できず、今年は、春暁として巡業が持たれることになったと聞く。 歌舞伎の巡業は、公文協といって日本全国の地方公共団体が持っているホールを巡ることが多い。こうしたシステムでは、コロナの状況下では、公演実施に踏み切りにくいのが現実だろうと思う。別に自治体を責めているわけではない。彼らには彼らの事情があり、安全第一で運営するのは、公務員の定めだと思う。 ところが、勘九郎、七之助の兄弟は例

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