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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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#野田秀樹

来週の月曜日、野田秀樹について、まとまった講義をします。

 月曜日の講義のために、この数週間、準備を進めてきました。原稿はようやく昨日、ほぼ完成し、今は、Keynoteを使ってプレゼン書類に取り組んでいます。  以前、ウィーン大学で講義したときは、十分な余裕があったのですが、今回は、時間に余裕がないので、映像を埋めこむのはあきらめて、写真とテキストだけのシンプルな書類にしました。  講義のテーマは、『野田秀樹にみる言語と身体』です。  『野田秀樹と蜷川幸雄』にしようかとか、迷うところはあったのですが、結局、長年、その舞台を見続けてい

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【追悼】近くて遠い人。写真家、篠山紀信の想い出。

 神出鬼没の人だった。  篠山紀信と会った場所を思い出せばきりがない。青山のスタジオはもとより、パリの劇場やレストラン、NYの平成中村座周辺は、偶然なのか必然なのか、ばったり会った。  かといって、親しく話したことは一度もない。 「どうも」といって別れるだけの関係だった。今となっては惜しいような気もするが、この不世出の写真家と何を話せば分からなかった。中村勘三郎や野田秀樹、興味の関心が似ていたこともあって、ばったり会うのは必然だったし、そのことは、きっと紀信さんもわかっ

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永井紗耶子の『木挽町のあだ討ち』は、芝居町の人々の生をひととき輝かせる。

 すでにお読みになった方も多いと思う。  永井紗耶子の『木挽町のあだ討ち』は、「藪の中」を思い出させる趣向のミステリーで、存分に楽しんだ。  『仮名手本忠臣蔵』をはじめあだ討ちは、歌舞伎の伝統的なテーマなのはいうまでもない。野田秀樹脚本・演出の『野田版 研辰の討たれ』は、二十世紀の新作歌舞伎として、新たな視点を導き出した。  あだ討ちは、観客の集団的な無意識によって大きく動かされる。あだ討ちを志した武士は、町人たちの声援によって、目的を果たす。野田秀樹は、役者のパフォー

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【劇評306】野田秀樹渾身の問題作。『兎、波を走る』は、私たちを挑発する。十枚。

   ドキュメンタリー演劇ではない。プロパガンダ演劇でももちろんない。  けれども、モデルになった被害者の母の名前も顔も声までも、明瞭に浮かんでしまう。また、この事件が納得のいく解決が今だなしとげられていないことも、私の喉に棘のようなものが突き刺さったままである。  そのため、雑誌『新潮』八月号に『兎、波を走る』の戯曲が全文掲載されるまで、正面から劇評を書くことが躊躇われていた。ただ、戯曲がのったからは、観客には、観劇の前に読む自由もある。もちろん、観劇のあとにとっておく自

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『新潮』の戯曲、『文學界』の劇評、7月7日、七夕ですので、あわせてお読みいただければうれしいです。

 雑誌『新潮』に野田秀樹さんの戯曲、『兎、波を走る』が掲載され、今日、七夕の日に、書店に並びました。これまで、ストーリーやプロットについて触れた文章を書くのを控えてきましたが、戯曲掲載で、どなたでも内容を知ることが出来るようになりました。  また、同日発売の雑誌『文學界』に「野田秀樹、妄想の闇」と題した長谷部の批評が載りました。どうぞ、この文章も、お読みいただければうれしく思います。  NOTEの私のマガジン「長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺」をご愛読いただいているみ

野田秀樹と対談していた脳科学者中野信子の『脳の闇』を読んでみた。本音が炸裂する。

『兎、波を走る』のパンフレットで野田秀樹と対談していた脳科学者中野信子の新刊を求めてきた。すぱっと小気味のよい断言にひかれたからだ。  題して『脳の闇』。現代人の不安や恐怖は、脳の病理であるとして捉える本で、著者の個人的な体験を踏まえているので、説得力がある。  ただ、説得力がありすぎるのも問題で、脳の機能を科学的に解析できるという考えは、一歩誤ると、危険なのではないかと考えさせられた。  どうも日本の論壇には、こうした脳科学者に、自分たちのやっかいな人生を読み解いてほ

松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。

 朗読劇ではなく、モノローグの名手として、松たか子は長く記憶されるだろうと思う。  その才質を高く買っているのは、野田秀樹である。『オイル』(二○○三年)『パイパー』(○九年)、東京キャラバン駒場初演(一五年)、『逆鱗』(一六年)、『Q』(一九年)、そして今回の『兎、波を走る』、数々の舞台に出演しているが、落ち着きと包容力のある声が立ち上がってくる。  叙情的に台詞を唄って観客を泣かせるのではなく、叙事的に物語を再現して見せて、ここではない現場の光景を描出してすぐれている

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なかなか読み解けぬ『兎、波を走る』を二度観て。

 気の張る劇評を書き終えて、再校を読んでいます。  急に昨夜、細部で確認できていない部分が気になり、今日のマチネに行くことに。明日は月曜日で休演、火曜日の午前中が再校の戻しなので、今日行く以外に選択肢がありませんでした。 幸いなことに、今日の席がなんとか確保できて、初日以来二度目の観劇になりました。  舞台に余裕が出てきたのはもちろんです。野田作品に絶対に必要な遊びの部分を、秋山菜津子、大倉孝二、山﨑一が担っていて、深刻きわまりない題材ですが、笑いもあり、平行線が取れてきた

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AIが、野田秀樹作らしき戯曲を書き上げるのは、何年後なのか?

 NODAMAPが公演ごとに発行しているパンフレットは、中身がぎっしり詰まっていて読み応えがある。しかも、近年は、佐野研二郎が、クリエィティブディレクション、アートディレクションを統括しているので、デザインの観点から見ても、「なるほど、今回はこうきたのか」と感心するばかりだ。  今回の『兎、波を走る』のパンフレットでは、野田秀樹がロシア文学者の沼田充義と脳科学者の中野信子のふたりと対談している。専門が異なるふたりだけれども、AIの話に触れているところが共通している。  果

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高橋一生、その光と影

 現在、東京芸術劇場で上演されている『兎、波を走る』(野田秀樹作・演出)で、高橋一生は、脱兎の役を演じている。『フェイクスピア』以来、二度目の野田作品での主役。髙橋は妄想の闇のなかで、孤独に生きる人間を見事に演じていた。  高橋一生は、まぎれもなく二枚目だけれども、明るいだけの好青年ではない。そこには、陰翳を礼賛する精神がある。蛍光灯の明かりではなく、行燈の灯りに揺れる人影の美しさ。その傾きを大切に生きる日本的な美意識をからだにまとっているのだった。  舞台俳優の幸福は、

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『兎、波を走る』をめぐって。

 野田秀樹のリソースについては、ほぼ同年代のために、ある程度想像がつく。  今回の『兎、波を走る』のタイトルを聞いた時に、まず、ジョン・アップダイクの小説『ラビット・ラン』を思いついたが、私の予想は見事に外れた。  次に『古事記』にある「因幡の白兎」を思い出した。兎が皮を剥かれてしまう話だが、遠いような近いような。あまり直接的な影響はなさそうだ。

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【劇評288】東京キャラバンが帰ってきた。野田秀樹が仕掛けたケレンが炸裂する芸能者の祭典。

 2015年10月、「東京キャラバン」の公開ワークショップを、駒沢公園で観てから、ずいぶん時が過ぎた。七年といえば、結構な月日で、この間に起きた出来事を思い出すたびに、私たちは遠くまで来たのだと思う。  東京オリンピックは、悪夢のような思い出に成り果てた。コロナウィルスの脅威は、人類を相互不信のただなかに陥れた。ウクライナ侵攻は、不条理の意味を改めて考えさせられた。  今回、野田秀樹が企てた「東京キャラバンthe2nd」は、初演の面影を残しつつも、より肩の力が抜けた文化サ

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【追悼】高都幸男と空中楼閣

 高都幸男さんが亡くなった。最後に会った日を忘れてしまうくらい音信がない。おそらくは、野田秀樹作・演出の「Q」初演のゲネプロもしくは初日だったから2019年の10月が最後だったろうと思う。  高都さんは、夢の遊眠社の初期から、長らく演出補の重責を担っていた。  本来の担当は、音響だったけれども、演出席には高都さんがいた。野田さんの初期作品は、今よりももっと、役者としての野田さんの比重が大きかったから、舞台を離れられない。全体を見る演出補がどうしても必要だったのだろう。

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俳優マルチェロ・マーニさんの優しさと哀しみ。

 俳優のマルチェロ・マーニさんが亡くなった。深いお付き合いではなかったが、とびきりの笑顔の持ち主だった。もう20年近く前になるけれども、彼が創立にかかわったコンプリシテの作品で修論を書くと決めたので、話を聞かせてやってほしいと楽屋にお願いに行った。そんなときも、急がしいそぶりなど、みじんも見せずに、応接してくださったことが忘れられない。    私が接した舞台は、野田秀樹作・演出がほとんどだけれども、1996年の『赤鬼(RED DEMON)』で「とんび」役を勤めたときの幕切れが