サポートルーム?

その先生は息子がまだ2年生ぐらいの時の授業参観で、私は人あたりを起こして(人混みが苦手な時期)過呼吸を起こしそうになり教室から出たりとかよくあった。母もいたけど。何かの行事で体育館で観るものの時に、なるべくなら出口の近くが良くて(すぐその場から離れられるから)ドアを開けたらその先生はいた。父兄の席は奥…戸惑っていたら、「この椅子に座って観ててどうぞ」と言ってくれた。優しい先生も(←ここ大事)いるんだなと。

息子4年生、学校授業に行ったり行かなかったり…

その先生はN先生と言う、女性の柔らかそうな笑顔の先生。サポートルームという名の支援学級。サポートルームと名前を変えたのもその先生、偏見がないように、父兄と生徒が入りやすいようにと。

私と息子は先生とお話しすることになった。色々今まであった理不尽なことを伝えた。そうしたらここに通う?と。来てもいいんだよ的な説明を受けた。

息子は「ここが僕の教室?僕の机?僕のロッカーなの?」と目を光らせた。本当にそうはしゃいでいた。忘れない。

そっか、こんな場所があったんだ、知らなかった。サポートルームを実は自分の中の選択に入れてなかったけど、こんなに喜んでる息子。味方の先生が見ていてくれる。こんないいクラスない!すぐに校長と面談に。一応普通級にも通うけど無理な時はサポートルームで過ごしてもいいということで、息子はサポートルームに在籍することになった。そして前に比べて雲泥の差、笑顔で通いはじめた。サポートルームは2クラスあり、学習面のサポートするクラスと、情緒の方に手厚いクラスとあり、息子は後者の方だった。先生はその生徒たちの性格を見てそれぞれに合わせて教えてくれた。学年が違う子もいる。その頃は2人だった。2個下の男の子、Yくん。息子とは逆にめちゃ元気。けどたまに忘れ物したりすることもあるけど、話すと楽しいし、授業参観では二人で発表していた。先生はそれぞれの個性を見てる。そしてそれに合わせてくれてるしフォローもしてくれる。息子にとって息苦しさがとれた。普通級では相変わらず無言で席につき勉強して終わる、の連続だったらしい。給食はサポートルームで食べていたらしい。楽しそうだった。6年になる時にその先生は赴任してしまうのだけと、また次の先生も良い先生で、すごく応援してくれた。個々を見るいい先生だった。運動会はいつも見学だったのに、係までやりこなした。点数係で、終盤マイクの前で赤白の点数を読み上げる。白組の点数を読み上げた記憶がある。母とお義母さんとそれを見てきた同じクラスならママが涙出るね、Kenちゃん頑張ってるねと。

因みに発達検査も受けた。けれど、性格の範囲ですねと言われ、不思議な気持ちで帰る。そりゃあHDやLDなどの太鼓判を押されたら戸惑うかもしれないけど、その頃の息子は勉強はなんとか追いついてできてたが、人に伝える事や場の空気を読むとか皆無だったので、何かあるのではと思っていた。今思えば単なる経験不足だった。だって今では高校2年でバイトにも行っててお給料でパパママも一緒にイタリアン行こうなんて言う。これは今の話で、戻りますが。まあ何しろそう診断されてモヤモヤしながらも少しずつできることが増えていく息子だった。

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