ゴールがない

こんにちは。はるうです。
更新が久々になってしまいました。
というのも、今月の仕事のキュレーション記事が大変で(自分で受けたのですが……)、そちらにかかりっきりでした。
会社が提示する「こう書いてくれ!」という見本のようなものが(有名ライターさんが書いた読まれる記事を書くための構成などの記事)どう考えても書評という分野に当てはまると思えなくて、頭を悩ませております。

さて。
私は現在書評ライターの仕事をしていますが、正直言って生活できるほどの収入にはなってません。
新規の仕事もここ最近ではなく、「書評」というものの狭き門を閉ざされたと言ってもいいかもしれません。
実家住みなのでとりあえずの生活の保証はされていますが、当たり前ですが親だっていつまでも元気なわけではないのです。

私は持病の統合失調症を患ったときに「このまま社会にはじかれて死ぬんだな」と唐突に思いました。
精神疾患でも立派に社会復帰をしている人はたくさんいます。
しかし、どう考えても私自身が社会復帰できるとは思えなかったのです。
精神疾患はよく「甘え病」と言われることがありますが、何も働きたくないなんて言ってないのです。せめて自活できるようになりたい。自分の稼いだお金で税金を払い、生活を組み立てたいと心から思っています。

10年苦しみ、やっとの思いで今の書評ライターの仕事に就きましたが、収入面では微々たるものしか稼げません。そもそも無名のペーペー書評ライターを雇ってくれている今の会社に本当に懐が大きく、感謝しかありません。
加えて、書評ライターにはゴールがないのです。
例えば作家だったら、まずデビューすることがゴールですよね?
そして本の出版がゴール。賞を獲ることがゴール。もっと大きな賞を獲ることがゴール(例えば直木賞とか)。
しかし、書評ライターが本を出せることは稀ですし(よほど名の通った著名な書評家だった出せますけど)、そもそも書評自体があまり読まれないという現実があります。
そのゴールのなさが私を苦しめています。
仕事にゴールを設けるのは間違っているのかもしれませんが、しかし、よくよく考えてみればスタートを切っているのにゴールがないというのは辛いことだと思いませんか?

私はずっと物書きになりたいと思っていました。
図らずも精神疾患を患ったことでその夢が少しずつ叶っていますが、それと同時に厳しい現実にもぶち当たっています。
「文章」というコンテンツはナマモノです。新鮮さが売りな場合が多いです。
特に私とはちがういわゆる「ライター」の仕事をしている人は、情報という生き物をより鮮度のよい状態で届けるのが仕事ですから、カビが生えてしまったり情報の目が濁ってしまったらそれはもう売り物になりません。

書評ライターのゴールとはなんでしょうか?
常に新鮮な情報を届ける役目とは違いますし(新刊を追うのにも限界がありますしね)、やはり書評本を出版することでしょうか(それは目標の1つでもありました)。

それとも、「文章」というコンテンツにもっと果敢に挑んだ先に、私がほしいと思ったゴールがあるのでしょうか。

はるう



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