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階級闘争の不平等性と贈与による抑制作用について

背景:

 ブルデューは階級間闘争の不平等性を強く指摘した。ここに新たな視点として階級内卓越化闘争とその抑制としての贈答関係について考える。

前提:

 まず人間社会における階級間闘争を理解する必要がある。この点について簡潔に説明すると人間個人にはハビトゥスの差異がある訳だが人生においてこの差異が強く作用する。ハビトゥス的に優位な人間はその優位性を学校によって試験を通し再確認されて制度化された文化資本を獲得し自らの地位を強化する。いわば学校が社会階級再生産の一翼を担っているとブルデューは指摘した。この指摘が正しいとするならばハビトゥスの差異、階級の再生産、そしてそれらの相続によって階級格差は拡大していくと考えられる。優れた家に生まれた者はより優れる、卓越化する機会を与えられてさらにそれを学校によって強化していく一連の流れについて筆者は現状止める手段を有していない。

問題:

 階級格差は広がっていくと考えられる。なぜならば各階級がそれぞれ卓越化を行い続ければ優れた者はより優れる機会を与えられ、優れていない者は優れる機会を与えられずにそのまま現状の階級に止め置かれる。学校は格差の是正どころか追認機関として機能している。ではある種の闘争関係にある人間個人たちはなぜ現代において協力関係を構築するのだろうか? 

議論:

 この問題について筆者は社会階級だけでなく社会階層が協力の場として機能していると考えている。生まれが規定する社会階級は再生産し続けられる。だが大学や企業、省庁などの社会階層はそれぞれが「組織」として卓越化競争を行っている。この組織として、という点が重要である。組織とは人間の集団だ。多くの組織は個人卓越化だけでは到達できない利益を獲得するために稼働している。そして個人卓越化だけでは獲得できない利益を得るには協力関係の構築が欠かせない。この協力関係の維持に贈答物の送り合いが深く関係していると考えられる。

贈与関係論:

 贈答物の送り合い関係、いわゆる贈与関係を筆者の視点からみると社会層”内”協力の一環としてうつる。まず贈答にはネットワークがある。贈る側と贈られる側だ。この贈与送受信関係と返礼の中にブルデューのいう卓越化は機能いる。なぜならば同じ階層内で誰かより贈答において優れる利点は自己卓越化の視点から存在しているからだ。しかし贈答物として優れているものを相手に贈って関係を構築することは利点があるが”相手より優れたものを”贈ることは結局は返礼によって返されてしまうため、あまり自己の卓越化にはあまり寄与しないと考えられる。つまり贈答関係においては個人の卓越化による差異化はあまり美徳とされないのだ。では、なぜ美徳化しないのか。この点は各地域の文化を個別に参照しなければならない。

日本での例を参考にした議論:

 例えば日本には葬式における香典の(贈られた金額の)半分を贈答によって返す「半返し」という文化がある。この半返し文化に象徴されるように贈答関係においては常に相手を上回る必要はない文化がある。この文化という点が非常に重要である。人間は何も文化が無ければ自己の卓越化を繰り返す、具体的には贈与においてはポトラッチのように常に相手を上回る贈答関係を作ろうとしてしまう。この現象を半返し文化は抑制していると考えられる。また「あまり高い物を贈ると気を使わせてしまう」という気遣い文化は相手に必要以上の気遣いを押し付けないための抑制文化であると考えられる。

ポトラッチの文化的抑制に関する議論:

 このように香典の贈答文化には「抑制」の側面がある。この抑制文化は社会階層における協力関係を強める側面と崩さない側面を持つ。一方では儀礼として贈答文化を履行せよと社会階層内で同調圧力をかけ合い、また一方では必要以上に卓越化競争を過激化させないように抑制する。つまりこの抑制文化が社会階層という群れの紐帯を維持するため、卓越化の過激化を抑えて群れから個人が逸脱しないようにしている。この卓越化抑制文化によって人間は社会階層を維持できている。もしこの文化が無ければ人々は協力関係を構築することはできないだろう。また社会階級、特に一族的な視点において個人の一族からの逸脱を贈与文化は抑制していると考えられる。 

私的贈与と公的贈与に関する議論:

 また贈答文化には冠婚葬祭の場などで行われる公的贈与と私的な場において行われる私的贈与があると筆者は考える。公的贈与は結婚式での祝儀はいくらまでが丁度いいとか葬式の香典ではこの額でなどの文化的抑制側面がある。さらに頂いた額に応じた返礼文化もあり、贈る文化と返す文化が一体となった様式を有している。対して私的贈与の場合は個人から個人への贈与である。こちらは先述の公的贈与とは文化的側面が異なっている。私的贈与は様々な場で見られる。先輩が後輩に奢るなどの業界風習としての贈与、クラブで相手にお酒を奢るなどの贈与、様々な贈与が考えられる。こうした私的贈与には共通点がある。それは贈る側がある種の押し付けを行っている場合が見られることだ。公的贈与では贈与と返礼が一体の文化になっているのに対して私的贈与は文化的規定は無く、贈答物(物であれ金銭であれ)を相手に押し付けてそこから返礼が始まる側面がある。文化の規定内で行われる公的贈与に対して個人の意思で行われる私的贈与は文化の規定がない。文化による規定がないということはつまり個人の卓越化の場として機能を発揮する。私はあなたより優れている、という押し付けを私的贈与では発生させることで個人を卓越化させる。

贈与による関係性秩序の規定に関する議論:

 贈答のやりとりを公的に行うか私的に行うかでは意味合いも異なってくる。公的贈与では文化を果たすことで集団の秩序を維持するが私的贈与の場合は個人間の秩序を規定する。以上のように贈与には公的贈与と私的贈与があると考えられる。公的贈与は集団の秩序を維持するために機能を果たし、私的贈与は個人間の秩序を規定する。言い換えれば集団の構成員として果たすべき贈与、つまり公的贈与は義務的贈与なのであり、私的贈与は個人間における自由的贈与である。視点を社会階級や社会階層に戻して以上を考慮すると階級や階層の枠を維持するために公的贈与は機能していることが明らかとなる。また集団における義務を果たす儀式において一定の贈答をすることは集団秩序の維持には欠かせない儀礼として機能している。対して私的贈与は社会階級や階層を越境する点が特徴であろう。私的贈与は誰から誰に贈与しても文化的には問題がないため公的贈与より自由なやりとりが見られる。自由であるがために社会階級や階層を越境する。対して公的贈与はあくまで集団の義務であるために社会階級や階層を越境することはなく、より身内向き機能していると考えられる。葬式や結婚式などを例にして考えるとこれらの式典、儀式は社会階級のシャッフルでも社会階層のシャッフルでもない。参加者は大枠としてほぼ同じ階級、階層の人間たちである。そこには服装や祝儀、香典の額などが規定として存在しており、この規定を遵守することがその階級や階層の人間たちに求められている。つまり公的贈与は身内を固めるための贈与である。また私的贈与は社会階級や階層を越境する自由な贈与であるためにある種の身内を広げるために作用しているとも考えられる。

結論:

 抑制文化は個人の卓越化による社会階級や社会階層内からの逸脱を防ぎ抑制する作用がある。そして公的贈与は身内を固める義務的贈与であり、私的贈与は身内を広げる自由的贈与であると考えられる。

考察:

  義務的贈与によって社会階級や階層の人間関係は固定化されていくが自由的贈与では贈与が階級や階層を自由に横断することで人間関係が広域化すると考えられる。つまり人間関係を固定化させる作用がある義務的、公的贈与が行われている場が社会階級や階層であり、人間関係を広げる作用がある自由的、私的贈与が行われている場は枠に囚われないが個人の卓越化を発露させる場として機能する。

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