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人生が変わる、失恋を勇気に変える「拒絶セラピー」のススメ

振られた!・・・あれ?

「あなたとは付き合うことはできない」

満点の星空の下、彼女はそう告げた。

1日一緒にドライブをした。2人きりで過ごした。

海辺の真上に広がる星空の下のベンチ。告白に絶好のロケーションだ。

だというのに、半年間片思いをしていた子に振られてしまった。

失恋。

僕はこれで3度目の失恋だ。多いのか少ないのかは分からない。

今回の失恋は、自分の人生で5本指に入るぐらい、貴重な経験ができたと思っている。

告白して、振られる。

世の中の振られた経験のある方なら誰でも、深く傷つき、立ち直れずに辛い経験だったと振り返るだろう。

実際僕も傷つきはしたが、

ん?意外と大丈夫じゃね?と内心で感じていた。

この日は夕日が綺麗だった。

相手の返事を冷静に聞き取り、自分を落ち着かせることができ、今回の失恋を肯定的に捉えることができている。

思ったより傷ついていなくて、引きずっていないのだ。

「ごめんね、付き合うことはできない」

と返事をもらう可能性は想定していたものの、実際にそう返事が来た時に、ひどく狼狽えることはなかった。

むしろ、自分のありのままの気持ちを伝えたことで、相手のありのままの気持ちを聴き取れてよかったと思っている。

僕は恋愛経験は少ないほうだが、失恋は一種の「拒絶される」経験でもある。

この、「拒絶される」経験を積み重ねていくことが、自分が成長する秘訣なのだと思った。

拒絶セラピーとの出会い

振られた後なのにも冷静さを維持できている自分や、スッキリしている自分がいる。

なぜそういられたのか?気になって調べてみた。

すると、TED Talks でドンピシャな動画を見つけた。

『100日間の拒絶される経験から学んだこと』ージア・ジアン

ジアンさんは、6歳の時に、学校で公共の場で拒絶される経験をし、それ以来人の目に立つことを恐れるようになったという。

「拒絶」から逃げてきた人生

僕にも同じような記憶がある。

小学生の時、自分が答える順番になり、正解がわからず必死に捻りだした答えに対し、クラスメイトから「違いまーす」と言われたのだ。

この経験は後に大きな影を落とすことになり、それ以来、自分を表現することを恐れるようになった、と解釈している。

恋愛経験が少ないのは、学生時代の自分が逃げ腰で、自己否定を繰り返し、「誰も自分のことを好きになる人はいない」と決めつけていたからだ。

異性に限らず、友人関係も同様だ。誘われるのを待つ、声を掛けられるのを待つ、連絡先を聞かれるのを待つ。

自分を防衛するように、受け身の姿勢を保っていた。

「だって、自分から言って拒絶されたら怖いじゃん」

拒絶とは、広く捉えれば

  • 否定されること

  • Noと言われること

  • 断れること

  • 違う考えを言われること

などが含まれる。

こういうことをひどく恐れていた青春時代だった。

100日間拒絶チャレンジ

その後、ジアンさんは起業家を目指し、起業もしたが、否定されることは変わらず恐れていた。

恐怖心を打開するため、彼は偶然見つけた「拒絶セラピー」のサイトを参考に、セラピーを自分に対してやってみた。

セラピーを元に、彼は否定されるネタを考え、自分が拒絶される経験をブログに立ち上げたそうだ。

ネタとしては、

・見知らぬ人から100ドル借りる
・無料のハンバーガーのおかわりはないか、を聞く
・ドーナツ屋に、オリンピックの形のドーナツはないか、と聞く
・スーパーの店員に、倉庫の案内をしてくれないか、と尋ねる
・知らない人の家の庭でサッカーをする

というものが挙げられている。

拒絶回避=人生の縮図

ジアンさんは最初のほうは拒絶されるのが怖くて、1回聞いてダメそうだったらすぐその場を立ち去ろうとしていたらしい。

初めの「見知らぬ人から100ドル借りる」を実行したとき、断れた後、恥ずかしさのあまり、すぐにその場を立ち去ってしまったらしい。

彼は「なんで?」って聞いてくれたんです。私は色々と言えたはずなのに、説明することも交渉することもできたのに、何もしませんでした。

やったのは逃げることだけです。「すげえ、俺の人生の縮図みたいだ」と思いました。ちょっとでも拒絶されそうになるたびに、私は速攻で逃げていたんです。

と最初のチャレンジを振り返る。

逃げたことが人生の縮図みたいだ、というのはまさに自分もそうだった。

ここで思わず涙が出てきた。

逃げるのをやめて得られた教訓

その後彼は気持ちを改め、2回目のチャレンジ、
「ハンバーガーの無料おかわりをお願いする」を実行した。

もちろん断られるのだが、2回目ですでに拒絶される危機感は薄れており、逃げることはしなかったそうだ。

そして3回目のチャレンジ、
「ドーナツ屋に、オリンピックのマークの形のドーナツを作ってもらう」を実行した。

するとドーナツ屋はそれを真剣に受け止めてくれて、紙をペンを出してどうしたら作れるのかを考え始めた。

しばらくすると、店員のジャッキーが本当にオリンピックのシンボルの形のドーナツを作ってくれた。
しかも、ご丁寧にカラーも揃えてくれていた。

彼は今回のチャレンジから、一旦断られても、逃げ出さなければ「No」が「Yes」になる可能性があること。
そのために、「どうして?」と聞くことが大切だということを学んだ。

その後も「拒絶チャレンジ」を続け、彼はある重要なことを学んだ。

繰り返し学んだのは、相手が抱きそうな疑念を、聞かれる前に言葉にすれば信頼を得られるということです。承諾してもらえる確率が上がるんです。

現在、彼は拒絶チャレンジを体系化し、本を出版し、研究活動に勤しみ、拒絶セラピーで対人支援を行っているらしい。

失恋が最も自分を成長させるのではないか

拒絶を自己価値と結び付けない

告白とは恐怖心を伴うものだ。

自分の好きな「こと」や「もの」を言うのは簡単なのに、目の前の相手に好意を伝えるのはなぜ怖いのか。

それは伝えることで、関係性の名前や心地よさが変わってしまうことを恐れるからだ。

僕と彼女は「トモダチ」であった。彼女はそのように認識していて、心を許せる相手として信頼してくれていたらしい。

僕はそれ以上の関係を望んだ。しかし彼女はそうではなかった。それだけのことだった。

「それだけのこと」として受け止められるかどうか。それが拒絶される恐怖を乗り越えるポイントなのだと思う。

それだけのこととは、「自分と相手のタイミングやニーズが一致しなかっただけ」であって、決して「自分に価値がなかった」という訳ではないということだ。

今までの告白することに恐怖心を持っていたのは、告白に応じなかったことが、自分の無価値感を強化することになり、そのダメージを味わいたくなかったからだろう。

しかし今回の告白は、拒絶される恐怖や、心地よい関係性が壊れる恐怖を越えて伝えることができた。

そして、相手の返事を、そのまま聴きとることができた。

その理由は、相手からの真実を受け止める勇気を持てるようになったからだと思う。

相手の真実を理解する勇気を持つ

拒絶される勇気を持つだけでは恐らく不十分だ。拒絶されるだけで良ければ、片っ端からナンパするとかで慣れていくかもしれない。

しかしそれは、相手への敬意を欠いているし、拒否された時に、「どうして相手がそう思うのか?」を理解しなければ自分を顧みることができない。

営業、プレゼン、企画立案、デートの誘い、食事の誘い。就職・転職活動、推し活、ゲームのガチャ。日常には「拒否される」可能性に溢れている。

世の中では、「Yesをもらうための」伝え方や勉強法、スキル開発が流行っている。

根っこにあるもしダメだった場合の受け止め方のベースがないまま、失敗しないようにする方法論が溢れている。

大切なのは、「失敗」から学び、次にどういう行動を取るのか、「失敗」と自己価値を結び付けない自分への信頼を持つことだ。

そのマインドセットを持てるようになるには、相手の真実を理解する勇気が必要だ。

フィードバックをもらうことは確かに怖い。けれど、重めのフィードバックを何回か経験すれば、自分の身体の反応も慣れてくるし、冷静に受け止められるようになる。

意外にも、行き詰っていたことが解決したり、心配していたことが杞憂に終わったり、新しいアイデアを得られたりする。

本音を伝えることで、気の置けない、腹を割って話せるような関係へと近づいていく可能性もある。

その経験を重ねることで、思うような成果を上げられなかった時の対処法を身に着けていけるのだと思う。

だから、自分の解釈やジャッジを脇に置いて、相手が懸念していることを聞いたり、理由を聞いたりすることに、大きなチャンスが広がっているのだ。

僕はそれを、今回の失恋から学ぶことができた。

世界の不確実性を信頼する

僕は改めて、その子に告白をしてよかったと思っている。

それだけ向き合いたいと思える人に出会えたこと。
向き合う覚悟を持ち、本音を伝えたこと。
振られ、拒絶される勇気を持ち始めていること。

沢山のことを彼女との関わりから学ぶことができた。

大切なのは、この経験をどのように活かすのか。

僕はフィードバックを求めるのが苦手だ。
だけど、案外平気な人間になっているのかもしれない。

他者と関わるのだって苦手だ。
だけど、関わりから得られる発見に心が躍っているのも事実だ。

ありのままの関係とは、「自分のありのままを伝えた相手のありのままを受け止められる関係だ」とある人に言われたことがある。

恋愛であれ、仕事であれ、「相手の中に、何が『ある』のか?」を知ることは大きな発見がある。

世界は確実なものなんてなくて、不確実なもので溢れている。

そういうものとして受け入れて、世界に身を開いてみようと思う。

人にお願いするとか、反応を伺うとか、アイデアを共有するとか、誘ってみるとか。

簡単なチャレンジは、すぐそこにある。

やってみよう。





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