心の水槽の話(ストレスを溜めにくくするためには)

これは僕がよくお客さんに話をすることですが「心が疲れている人」は「心の中にある水槽がいっぱいになっている」と言う状態に言い換えるとよくわかりやすいです。


水槽は「心のキャパシティ(許容値)」を指します。


そして水槽には水が入ります。この水槽に入っている水は分かりやすく言うと「ストレス」のことです。水を入れ続けるとどうなるかというと水位がどんどん上がっていき、最終的には溢れます。


つまり水(ストレス)がたくさん溜まっている状態を「疲れている」と表現でき、水(ストレス)が溢れている状態を「壊れている」と表現できると思います。具体的に壊れているというのは、精神疾患がある状態だったり、自傷行為(色んなものがあります)をしてしまったりということです。水槽のキャパシティを超えてしまうと、自分の意思で制御できない現象が起こるのです。


逆に言うと、水槽の水位が低ければ「あまり疲れていない状態」「楽な状態」と言えます。


そして水槽に水を入れるためには蛇口が必要になります。つまりストレスが入ってくる蛇口です。蛇口には蛇口ハンドルがついていて水が出る量を調整できますが、このハンドルがたくさんの水がでるくらい回っている人は少しの時間で水槽がいっぱいになりますし、あまり水が出ないように閉まっている人は長い時間をかけないと水槽はいっぱいになりません。


ここまでの話を簡単に整理すると「蛇口からたくさんの水(ストレス)が出ている人は、心の水槽(キャパシティ)がいっぱいになりがち」「水槽に水が溜まりすぎると心が病む」ということになります。


では心が病まないためにはどうすればいいのかというと、蛇口を閉めればいいわけです。


蛇口が開いている状態、閉まっている状態というのはどういうことかというと、同じ現象や物事に直面した時にストレスを感じやすい人とそうでない人がいるのはご存じですよね?前者は開いている人、後者は閉まっている人となります。


この人たちの違いは何なのかというと「認知の歪み具合」なのです。もうすこし簡単に説明するすれば「価値観や"べき思考"の量」と言えます。価値観というのは「何を正しさとするのか」といった考え方で、べき思考というのは「○○すべき」といった考え方のことです。


世の中にはたくさんの常識的な価値観やべき思考があり、多くの人はそれに縛られて生きています。これらができた理由はそういった「正しさ」や「○○であるべき」という考え方を普遍的に共有することで、人がそれぞれ持つ自己中心的な欲望を"制限"し社会を円滑に回していくためだと思います。なので、価値観や"べき思考"は本来良いものなのです。それが水槽に水を入れる蛇口が開きすぎる原因になり、心を病ませる原因になっているのは「必要以上にそれらを持ってしまっている」からじゃないかなと、僕は病んでいるお客さんを見て感じます。要は「自分の欲望や感情の部分に制限をかけすぎている」ということなのです。


こうして蛇口がたくさん開いている状態(価値観やべき思考をたくさん持っている状態)になると、蛇口からはストレスがどんどん入ってきて心のキャパシティはすぐにいっぱいになってしまいますよね。


もうすこし具体的に例を上げてみると「電車で化粧をしている人」「ゴミをポイ捨てしている人」などを見かけたとします。


電車で化粧をしている人は、おそらく"常識的な観点"からするとマナー違反であると言えると思います。ゴミをポイ捨てしている人は、違法行為をしています。つまり世の中的には「ダメなこと」なんですよね。これは普遍的価値観であり、"べき思考"で言い換えると「電車で化粧はやめるべき」「ゴミは道に捨てるべきではない」となります。価値観や"べき思考"の量とストレスの量は比例する旨をお伝えしましたが、この具体例で挙げた価値観やべき思考が悪いものかというとそうではありません。化粧は分かりませんが、僕もゴミは道に捨てるべきではないと思っています。化粧の件が「いやダメでしょ」という人がいてもそれは全然否定しません、自由です。


ただ「電車で化粧をする人」に直面した時に、僕の中で「化粧はやめるべき」というべき思考は無いので、隣で化粧をしている女の人がいても気にもなりません。多分気付かないくらいだと思います(その人が顔にはたいている粉がお気に入りの服にかかったりするとイラッとしますが、これは価値観というより実害なのでまた違う話ですし、多分かかっていても気付かないと思います)。逆にこれに対して「やめるべき」と思う人はそこに直面した時にそれをストレスに感じてしまうのです。


何度も言いますが具体例に挙げた価値観やべき思考が誤っているわけではありません。「それが多すぎるとストレスが溜まりますよ」というだけのことです。


昔に比べるとテレビで放送してはいけないことは増えたし、やってはいけない(やるべきでない)ことも増えたような気がします。


先日ネットで見た記事だと自分の配偶者のことを「旦那、嫁」と呼ぶのはおかしいと書かれていましたが、僕はこれを「伝われば何でもよくない?」と思ってしまうタイプの人間です。なので配偶者のことを「嫁、旦那」と呼ぶ人がいても全く気になりません。全然違うことだと人の咀嚼音も気になりませんし、飲食店で汚物の話をしている人がいても気になりませんし、空いてる電車で寝転んでる人がいても気になりません(多分その人は変な人なので警戒はします)。


これらを気にして「やめるべき!」と思ってしまう人に比べると、僕はストレスが溜まりにくい価値観や"べき思考"の量しか持っていないということになるのです。


ここで勘違いして欲しくないのは、「じゃあ、はるさんは電車で寝転ぶのか、飲食店で汚物の話を大声でするのか」と聞かれると「いいえ」となります。僕は僕の頭の中にそういった価値観やべき思考はないですが、そういった価値観やべき思考が世の中に浸透していることは知っています。だからわざわざ他人のそういうところを刺激する必要はないと思うので、電車で横にならないし飲食店では汚物の話はしないのです。価値観がどうだからではなく「僕がしたいと思っていない」からしないだけなのです。したかったらするかも知れませんが、まあ多分それをしたくなる時は来ないかなと思います笑。


こうして見ていくと分かる通り「蛇口を閉めること」がストレスを減らす一つの方法であり、それが「楽に生きる」に繋がっていきます。


蛇口を閉める方法を書き出すと、水槽の話からどんどん遠ざかってしまうのでここでは簡単にしか話しません(方法については別の記事で書きます).が、要は「まあええやん」と思えるようになることなんですよ。世の中の常識的な価値観やべき思考は先程も言ったとおり、世の中を円滑にするために作られているもので、守った方がいいものではありますが、絶対に守らなければならないものでもないです。違う国に行けば何も問題ないことだってたくさんあります。同じ人間なのに「問題になる場合とならない場合がある」というのは面白いことで、気にならなくなることもできるはずなんですよね。柔軟に思考ができるといいなと思います。


ここまでの話をまとめていくと
・蛇口が大きく開いていることでストレスがたくさん入ってくる人は「価値観や"べき思考"の量」が多い
・蛇口を閉めるとストレスの量は減る
ということになります。

ただ、厄介なことにどれだけ蛇口を閉めてもストレスが心の水槽に入ってこなくなることはありません。


価値観や"べき思考"がゼロになることはありませんし、そもそもそれだけがストレスの原因ではないからです。例えば寒いのが苦手な人は寒いだけでストレスになりますし、隣の家の騒音は価値観以前にうるさくて寝れなくなります。


ということは誰もが多かれ少なかれ水槽の水はいっぱいになり、溢れてしまい、精神疾患を患ってしまうのかというと、実はそうではないんです。


この心の水槽には水槽自体に蛇口をつけることができるのです。この水槽についている蛇口は「ストレスの発散の方法」ということです。


上の蛇口からはどうしてもストレスとなる水を止めることはできません。だから人は自分の心の水槽に蛇口をつけてストレスを外に排出します。そのために世の中にはたくさんのストレスの発散方法として「娯楽」が用意されているのです。


しかもこの水槽についている蛇口は、何個もつけることができます。野球が好きな人、キャンプが好きな人、ライブが好きな人、色んな娯楽を楽しむ人がいて、いろんな趣味を持っている人がいます。セックスも娯楽として成り立っている側面があります。


人は何かを楽しんだり喜んだりしてストレスを水槽についている蛇口から排出して生きています。


でも中には「上の蛇口からたくさん水が入ってくるし、水槽についている蛇口も少ない」という人がいます。こういう人たちは例外なく心が疲弊して病んでいるし、精神疾患を患っている人もいます。


これを読んで「自分は水がめっちゃ入ってくるな」とから「水槽に蛇口全然無い」って思う人は、それぞれの問題点を見つけて「あまり入ってこないように」もしくは「たくさん排出できるように」していくと今より少しは楽になるのではないかなと思います。


ここからは僕の仕事の話になりますが、僕はセックスカウンセラーと自称して女性用風俗店をやっています。


カウンセラーとは、何かの問題点について解決の支援をする人という解釈なのですが、セックスという大抵の人が大切にしていることを切り口にして、その人の人生の向上を図りたいという思惑があってこれを自称しています。


先程も言ったとおりセックスも、心の水槽についている蛇口になり得ます。ただ世の中の女の人の多くはセックスが水槽についている蛇口になり得ていないのが現状としてあります。逆にセックスをすることで余計にストレスを溜めてしまうという本末転倒な現象に苦しんでいる現状の人も多々います。


セックスが水槽についている蛇口になることは必要不可欠かと問われると全然そんなことはありませんが、そうであれば「楽に生きられるよね」とは思います。逆にその他のことでいくらでも蛇口がついている人は、セックスが蛇口になる必要は全然ないと思います。


僕がお客さんと外に遊びに出かけたりするのは、セックス以外にも蛇口はあるということを知ってほしいという側面もあります。そして当然それは僕の蛇口にもなっています。


また僕がカウンセリングと称して、お客さんと心の中を掘り下げていくのは、この文章でいうところの「上の蛇口」を閉める作業になります。



「別にええやん」をたくさん頭の中に持ってほしいし、「楽しい」「嬉しい」をたくさん感じられる何かを得られると、生きやすくなるのではないかなと思うのです。

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