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『小説の神様』アンソロジー参加記念SS『“文学少女”な奥さんの世界一のごちそうは?』


「見て見て心葉【このは】くん! 注文していた千谷【ちたに】くんの本が届いたの。さっき引き取ってきたのよ。どう? このおなかが鳴りそうな素晴らしい光景」

 休日の午後。ぼくの奥さんは上機嫌だった。

 陽射しがさんさんと降り注ぐリビングの床に、大量の本を扇状に並べて、その真ん中にぺたりと座り込み、おやつの山を前にした子供みたいに目をきらきら輝かせている。
 実際、本を食べる妖怪――もとい、食べちゃうほど物語を愛している“文学少女”な遠子【とおこ】さんにとっては、自宅で一人バイキング状態だ。
 子供たちが、夕べから叶子【かなこ】さんの家に泊まりがけで遊びに行っているので、普段は母親として抑え気味にしている欲求を解放してみたのだろう。

 いや、いつもこんなかもしれないが。
 父親のぼくは、やんちゃなさかりの子供たちが迷惑をかけていないか、心配でしかたがない。

 叶子さんの家には息子の流人【りゅうと】くんとお嫁さん、その子供たちも同居している。流人くんはいっそ保育園に就職すれば良いのではと思うほど子供の扱いが上手で、うちの子たちも『流おじさん』が大好きだ。“おやつ”も“ごはん”もじゅうぶん持たせたので、叶子さんがあの子たちの世話をしているわけではないだろうけれど。

 叶子さんはどう見ても子供好きではなさそうだしなぁ。むしろ『うるさくて嫌い』とひんやりした顔で言いそうで。

「もう! 心葉くんたら、また時計を見て心配そうな顔して。叶子おばさんはうちの子も流人の子も大好きだから、大丈夫よ。でなきゃ『叶子ばぁば』なんて呼びかたを許すはずがないわ。子供たちと遊園地や動物園へ行くのを叶子おばさんも楽しみにしているのよ」

 遠子さんが笑顔で断言する。
 流人くんも同じことを言ってた。

 ――オレがうっかり『叶子ばぁば』なんて口にしたら、凍りつきそうな目で見てくるくせに、子供たちにそう呼ばれても無表情っすから。

 いや、無表情って、それ本当に大丈夫なのか? けど、そう語る流人くんも今の遠子さんみたいに晴れ晴れと笑っていたので、問題ないのかな……うーん。

「それよりねぇ、心葉くん。千谷くんのこの本の装丁、素敵じゃない? 花布【はなぎれ】が銀色なのも神秘的だし、紙質もとてもしっとりしていて美味しそうなの」
  遠子さんは、すっかり目の前のご馳走に夢中だ。本の背に貼り付けられた銀色の飾り布を、細い指で嬉しそうになぞっている。

 それからぱらぱらとページをめくり、そのひそやかな音を楽しむようにうっとり目を細めたあと、ページの端を大事そうに小さく千切って、口へ入れ、かさこそと咀嚼し飲み込むなり、今度は目をぎゅっと閉じ、打ち震えた。

「ああああああ、やっぱり美味しぃぃぃぃ。早春に摘みとった若芽を、甘いお大根でさっぱりみぞれあえにしたみたい。なんて瑞々しいの。ほのかな苦みと甘みのコントラストもたまらないわ。苦いと思ったら、ふわっと甘さがくるの。それもとても繊細な甘さなのよ! 千谷くんの本は追加で三冊ずつお願いしたの。経費じゃなくて自費購入にしたから食費がかさんじゃったけど、後悔はないわ」

 千谷一夜【ちたに いちや】は、遠子さんが今、一番お気に入りの作家だ。まだ若く、高校生だという。
 もともとは同じ高校生作家で売れっ子の、不動詩凪【ふどう しいな】をひいきにしていて、

 ――不動さんとぜひ、お仕事をしてみたいわ。でももうずっと本を出していなくて心配なの。ほら、色々あったから書けなくなっているみたいで……。それでなくてもまだ高校生の女の子だし、いきなり人気作家になってあのレベルの作品を出し続けてゆくのは、プレッシャーもあったはずよ。また書いてくれるといいのだけれど。

 そんなふうに憂い顔で話していたのが、ある日食べかけの文庫本を胸に抱き、ぼくがPCで原稿を書いている最中の書斎に駆け込んできて、興奮して言ったのだった。

 ――この本、不動さんの味がするわ! 帆舞こまにさんという新人さんのデビュー作なのだけど、味の組み立て方が不動さんにそっくりなの。レシピを不動さんが作り上げて、もう一人別の料理人さんが、うんと大切に、丁寧に、繊細に、調理した感じよ。レシピも最高だけれど、文章が醸し出す香りや微妙な味わいがとにかく素敵なの!

 帆舞こまには、不動詩凪と千谷一夜、二人の高校生作家の共同ペンネームだった。ツテを駆使しして出版元に確認した遠子さんは、このコンビに興味津々で、二人が同じ学校に通うクラスメイトで、どちらも文芸部に所属していることまで聞き出してきた。

 ――こんなに美味しくて胸を震わす作品を書く二人が、クラスメイトで文芸部員だなんてロマンチックすぎだわ。ああ、どんな子たちなのかしら? 会ってみたいし、一緒にお仕事したい。

 即断即決な遠子さんは、それで色々名目を作って、実際に二人の学校を訪ねたのだ。不動さんとは会えなかったけれど、千谷くんとは文芸部のOGをよそおって言葉を交わしたらしい。どんな話をしたのかと尋ねたら、ふんわり微笑んで、

 ――小説の神様のお話よ。

 と答えた。
 千谷くんがヘンな先輩にからまれて、引いていないことを祈りたい。

 遠子さんは床にぺたりと座り込んだまま、複数の本のページをちょっとずつ破いては口へ運び、堪能している。一冊手にとって、お気に入りの文章をほんのちょっと破いて咀嚼し、また別の一冊を開いて「この文章がもうっ! 甘酸っぱすぎ!」と口に入れる前からふるふると体を揺らし、愛おしそうにそっと破いて口へ運ぶ。

「一冊の本をじっくりいただくのも、お味に耽溺できるけれど、こんなふうにいろんな本を並べてちょっとずつ楽しむのも、とても贅沢ね。さぁ、次はどれにしましょう」

 ぼくはソファーで、次の作品に使う資料の整理をしていた。プリントアウトしたコピー紙を淡々と振り分けながら、ほどほどにしておかないとまたおなかを壊すぞ、おかゆを書く【つくる】のは、誰だと思っているんだ、などと考えていた。
 そのうち、奥さんが一人であんまりはしゃいで羽をのばしているので、嫌みのひとつも言ってやりたくなり、口を開いた。

「遠子さんは、高校生作家が好きだから。雀宮【すずめのみや】くんのことも、編集者の仕事の範囲を超えるくらい熱心だったし」

 あからさますぎだったかと言い直そうとしたとき、遠子さんが本を食べる手を止めて、ぼくのほうへえらく嬉しそうに膝でずりずり近づいてきた。

「それってヤキモチかしら? 心葉くん?」

 目をきらきらさせて、口元にこぼれそうな笑みを浮かべて、ぼくの足もとから見上げてくる。

「事実を述べただけだよ。また暴走して、若い作家さんたちに迷惑をかけたらいけないからね」
「ほら、やっぱりヤキモチね。誤魔化してもダメよ。わたしが若くてフレッシュな千谷くんたちに夢中で、もう若くないベテラン作家の心葉くんはモヤモヤしちゃったのね」
「ぼくがおじさんなら、きみもおばさんだから、遠子さん」
「あら、心葉くんはダンディなおじさんになってしまったかもしれないけれど、わたしはごらんのとおり、永遠の“文学少女”よ」

 高校時代のままの薄い胸をそらして断言してみせるけど、“少女”はないだろう。せめて『中身は』と付け足すべきだ。

 ぼくがあきれて黙っているのを都合良く解釈したらしい遠子さんは、ますますにこにこして、
「忘れてない? 心葉くん? わたしが一番気にかけていて、一番熱心にお世話をした高校生作家が誰だったのか」
 なんてことを言ってくる。

「十代のその時期にしか書けない物語は確かにあって、そんな瑞々しくて、どこか不器用でまっすぐで甘酸っぱい物語が、わたしは大好物だけれど、でも、おじさんの心葉くんが書き上げる優しく洗練された、深い味わいも、大好きよ。きっとおじいさんの心葉くんが書く物語も」

 いくつになっても、
 どれだけ歳を重ねても、

 遠子さんにはかなわないと思うのは、こういうときだ。

 躊躇わず恥じらわず、いつでも朗らかにまっすぐに、必要な言葉を伝えてくれる。
 ほっそりした白い手がぼくの足にそっとふれ、膝に頬ずりし、いたずらっぽい目をすると、あまい声で続けた。

「それにごはんは、いつ、どこで、誰といただくかや、誰が作ってくれたのかでも、美味しさの感じかたが違ってくるものだと思うの。千谷くんの本を取り寄せてくれた町の書店さんがね、本の配置もポップも、接客してくれた若い女の子の店員さんもとても素敵で、そんな書店さんで、何日もわくわくと待ち続けて購入した本だから、ますます美味しくいただけているのよ。だからつまり、その法則でゆけば――」
 
 遠子さんが、いっそう目を輝かせる。

「心葉くんが書いてくれるあまいおやつが、わたしにとって世界一のごちそうよ」
 
 胸の奥で光がぱっとはじけて全身を駆け巡るような感覚を、この先彼女は何度、ぼくに味合わせてくれるのだろう。
 きっと幾千回、幾万回も。

 いや待て、これはおやつを書いてほしいという催促なのでは。
 奥さんに対して簡単すぎる自分を反省し、そんな疑念を抱いたとき、

「ねぇ、心葉くん。今度聖条学園の文芸部へ行ってみない? 千谷くんと文芸部でお話していたら懐かしくなっちゃって。それで誰もいない時間に出かけて、心葉くんに三題噺を書いてもらうの。わたしはそれをパイプ椅子に座っていただくのよ。わたしが心葉くんの尊敬する先輩だったころみたいに。ねぇ、わくわくするでしょう? きっと最高に美味しいはずよ」

 遠子さんが、ねぇねぇと言いながら、ぼくの膝を揺らす。
 ああ……やっぱり、おねだりだった。

「勝手に校内に侵入したら通報されるから。それにいくらなんでもその歳でパイプ椅子に体育座りはやめてくれ」
「やだ、ちゃんとおしとやかに座っていただくわ。わたしだってとっくに立派な社会人で大人で、子供たちの母親なんだから」
 心外だわ、という顔で言ったあと、

「でも、今日この家には、わたしと心葉くんしかいないから」

 少女のように瑞々しい、いたずら気な目をして、すっと立ち上がると、ソファーにちょこんと体育座りした。そうして、隣に座っている僕に向かってとびきりの笑顔で両手を差し出すのだ。春の木漏れ日のようにあたかかな、幸せそうな声で。

「心葉くん、今日のおやつは?」

◇あとがき◇
 こちらのSSは、相沢沙呼さんの『小説の神様』アンソロジーに参加させていただいた記念に書いたものです。アンソロジーの中で、遠子さんが千谷くんとお話しています。
 まだ相沢さんが『小説の神様』をご執筆されていたころ、相沢さんの担当編集さんが「今、相沢さんに、こんなお話を書いていただいているんですよ。とても素敵なお話なので、出版されたらぜひ野村さんも読んでください。お送りします」と、それは嬉しそうににこにこと、熱く語っておられました。
 もう編集さんのこのお言葉と表情だけで、私も期待に胸をふくらませて、発売されたご本を拝読させていただいたのでした。
 読んでいるあいだ、ずっと胸がしめつけられて、はらはらして、どうか千谷くんが報われますようにと祈るような気持でいたので、ラストのまばゆさは感動で、放心状態でした。
 よかったー!
 本当に、本当に、素敵なお話だったー!
 出会えて良かったー!
 と心の中で、繰り返していました。
 そのときは、遠子さんを千谷くんと共演させていただけるなどとは、想像してもおりませんでした。
 こんな夢のような機会をいただいて、相沢さんにも講談社タイガの編集さんにも心から感謝しております。
 ありがとうございました。

 ※画像その他、ファミ通文庫さんと講談社タイガさんのご許可をいただいております🙇‍♀️

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