新年の目標に「空を飛びたい」そう言った友だちが本当に空を飛んだ話について
今年も新しい年がはじまった。
新年を迎えるといつも思い出す友だちの話がある。
今から8年くらい前の話。
私もその友だちも大学生だった。
新年を迎えて、しばらく経って学校がはじまった頃
その友だちは、私に今年立てた新年の目標について話してくれた。
その友だちは毎年、新年の目標を手帳に書き起こしていくタイプの子で
そうやっていつもその目標について私に説明してくれる。
「春休みにお金貯めて海外に行く。」
「本を毎月5冊読む。」
「インターンに行く。」
大学生らしい目標が並んでいる中に1つ目を惹いた項目があった。
「空を飛ぶ」
「何これ笑」と私が笑いながら尋ねると
「私ずっと空飛んでみたかったじゃんね。」
かわいらしい愛知弁で、目を輝かせながら彼女はそういった。
「空ってどうやって飛ぶの?」
「うーん。いろいろ考えたけど、パラグライダーにのってぴゅーって飛ぼうかなと思っとるで、そこに乗れるところを探してるんだよね。ほんとは風の谷のナウシカに出てくるメーヴェみたいなかんじで飛ぶのがいいんだけど。」
「ナウシカのメーヴェいいよね。私も小学生の頃めっちゃほしいと思ってた。あとテトも。」
そういって笑いながら、彼女の計画を聞いていた。
それから春が過ぎて、夏が過ぎて、新年の目標なんてとっくに忘れてしまっていた頃
彼女からLINEで、パラグライダーに乗っている写真が送られてきた。
「空飛んだよ!」
ってうれしそうに報告してきた。
そんな彼女の話をいつも私は新年に思い出す。
私も彼女のマネをして、新年の目標を紙に大きな字を書いてかかげていたこともあったけれど、だいたい1ヶ月もすれば、その紙に書いたこと自体もすっかり忘れて、その紙はどこかに消えている。
29年生きてきて思うこと。
新年になると人は1年の目標をたてたがるけれど、それをしっかり実行できる人って意外と稀有なんじゃないかと思う。
私はいつも結局のところ、実現できない。
海外にだっていきたいし
遠くに住んでる友だちにだってたくさん会いに行きたい。
けれど
「今仕事で有休とるの難しいし」
「結婚式とかでお金あんまりないし」
そんな自分にたくさんの「現実」という言い訳をつけていつも私は行動することをあきらめてしまう。
彼女は計画を立てるのが得意だ。そして計画を立てることなら私だって得意である。
けれど、その計画を立ててから実行に移すまでの、なんと表現したらいいのか、フットワークの軽さが尋常じゃない。
例えていうなら
「現実」が大地で、「1年の目標」が空だとしたら
私の場合、空を飛びたいと願いながら、ずっと大地から空を見上げている人間で
彼女の場合は、空を飛びたいと願ったら、大地で計画たてて、それをつかみにすぐ飛んで行っちゃうみたいなかんじ。
そのつかみにすぐ飛んで行っちゃうフットワークが私にも切実にほしい。
前はもう少し軽かった気がするのだけれど、最近急に重くなってきた。
このフットワーク、言い換えると「勇気」になるのかなと思う。
1歩「現実」の外に出る「勇気」
それが私には足りてない。
彼女はよくこの言葉を使っていた。
「明日死ぬかもしれんから、お金ないけど、贅沢定食食べよ。」
「人生いつまで続くかわからんから、好きなことせんとね。」
彼女はこの言葉をエンジンにして
「えい!」って勇気のアクセル踏んで、今を生きている。
最近の彼女は
「私ワーホリにやっぱり行きたかったじゃんね。」
そうやって、いつものようにかわいらしい愛知弁で
30歳ギリギリになって、見事彼女はワーホリに旅立った。
シンプルにかっこいいし粋だなとうらやましく思う。
うらやましく思うんじゃなくて、私も彼女のように勇気を出してみなくては。
もちろん、今の私は「現実」にがんじがらめになってしまっているのだけれど。。少しずつ。。。
「明日死ぬかもしれないし、大好きな友だちに会いに行こう。」
そうやって枕詞を変えてみる。
少しずつ、少しずつ、勇気を出して、アクセル踏んで今を生きていこうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?