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「矛の記憶、盾の記憶」~欠片と傷口の行方

本日の記事には、虐待の描写が含まれております。読み進めるかどうかのご判断は、各自でお願いいたします。


2日半ほどの間、記憶が飛んでいた。目覚めたのは漁港の駐車場で、車のジュースホルダーには飲みかけのカフェオレが置いてあった。ブラック派の私は、自分でカフェオレを買うことはほぼない。

スマホの日付けを見て、もはや焦る気持ちさえなくしている自分に気付いた。浦島太郎の気分で、空白期間の自分の足取りを探った。LINEの履歴と友人が伝えてくれる事実を重ね合わせ、どうにかこうにか行動の足跡を辿る。

私であって私ではない誰かは、私の息子たちを大切に育ててくれていたようだ。夜練で長男が怪我をしたことも、ちびが激しい夜泣きをしたことも、何一つ思い出せない。薄らぼんやりとした夢のなかで泣き声が聞こえた気がしたけれど、それが果たしてちびや長男のものだったのか定かではない。

車のシフトレバーにかけられたビニール袋のなかに、餅入りのどら焼きが入っていた。まだほんのりと冷たいそれが、買って間もないことを教えてくれた。

こういうとき、知識や経験なんてなんの役にも立たない。

「何故こうなったのか」
それがわかったところで何だっていうんだろう。それがわかったところで、私が失った2日間は返ってこない。私が感じている焦燥感も、苛立ちも、やるせなさも、何一つ埋まらない。

受け入れる。たったそれだけが、こんなにも遠い。


夏休みが明けた途端、反動がきたかのようにフラッシュバックの嵐だった。そして、そのなかでまた幾つかの記憶を取り戻した。浮かび上がった映像が事実なのかそうではないのか、定かではないものも幾つかある。しかし、時々どうしようもなく鮮明な映像がスライドされるときがある。絶望的な気持ちで、その光景を眺める。もしくは、追体験をする。いくら叫んでも、いくら否定したくても、本能が逃がしてくれない。「これは実際にあった過去だ」と、否応なしに突き付けられる。

わかりきっていたはずのことを再認識するとき、思いがけず激痛が走ることがある。その痛みで赤い体液が流れ出さないことを理不尽に感じるほどに、全身がぎしぎしと鳴る。奥歯が砕けそうなほど噛みしめているとき、全身に恐るべき力がかかっている。そういう日の翌日は、必ずと言っていいほど筋肉痛になっている。

わかりきっていても、心の何処かで1ミリだけでもいい、信じていたかった。そういうものが、口には出さずともずっと奥のほうでしこりとなって残っていた。真実は往々にして残酷だ。かすかな望みは呆気なく砕けた。そのとき、私のなかの何かも同時に砕けた。その残骸はまだふわふわと漂っているけれど、回収できる気がしない。おそらくそれは、死ぬまで私のなかで所在なく佇んでいるのだと思う。


私が真っ二つに裂けた原因を思い出した。正解を求めて泣いていた私は、まだたったの5歳だった。

「ちゃんとできない」
「どうしたらいいの?」
そう言って、泣いていた。


私を性玩具として扱った父。
私を「気持ち悪い」と罵倒した母。

最も助けてほしかった相手は、私が何をされていたかを知っていた。そのうえで、助けずに私を薄汚い生き物として罵る道を選んだ。


泣き喚き、絶望した。夜に目に入るドアというドアを叩き壊したい衝動に駆られた。ドアが開いてあの男が入ってくるかもしれない。そんな過去の亡霊に追いかけられ、風呂にも入れなかった。私が初めて手と口で父のものを慰めるやり方を教えられたのは、風呂場だった。赤紫色の浴槽。染みだらけの壁。上手くできなかったときに飲まされる湯舟の味は、ぬるくて不味くて、カビのように嫌な臭いがした。母はそれを、陰からただ見ていた。


「どうしたらいいの?」
そう言って泣いていた私がほしかった答えは、たった一つ。

”どうしたら、おとうさんとおかあさんは、わたしをあいしてくれるの?”

その問いを手放したのがいつの頃だったのか、もう覚えていない。諦めの感情は、受容と少し似ている。後者のそれと錯覚させながらぎりぎりのところで日々をやり過ごし、この年まで生き永らえた。それを幸福と思うべきなのだと理性ではわかっている。しかしこの数日間、私の感情はそれとは真逆のものに支配されていた。


「おかあさん、みて。すながきらきらひかっているよ!」

海辺を散歩していたちびが、いつものように得意気に私に教えてくれた。毎日たくさんの発見をしながら、好奇心の芽をぐんぐん伸ばしている。それは真っすぐ上だけを向いているわけではなく、横に伸びたり下に生えたり縦横無尽に広がっては、ちびの世界を大きく深くしている。

「ほんとだね。きれいだねぇ」

ふと思いついて尋ねてみた。

「ねぇ、どうして海の砂はきらきらしているんだと思う?」

ほんの一瞬考えたちびは、自信満々に答えた。揺るがない表情と、しっかりした声で。

「それはね、”かいがら”のかけらがまざっているからだよ。かいがらって、きらきらひかってきれいだもん。だからうみのすなは、きらきらなんだよ」

海の砂より、貝殻より、よほどきらきらした瞳でちびが言い切った。彼の世界は、彼が信じるものでできている。その世界には、悪魔や地獄は存在しない。それでいい。そんなもの、知らないままでいい。


理性とは真逆の感情に支配されてしまう私を、いつだって息子たちの手のひらと、昔から在る唯一の杭が正しい方向に引き戻してくれる。

「お前は悪くないし、汚くもないし、間違ってもない」

信じたい言葉だけを、自身のなかに染み込ませる。忘れたい言葉は、過去として認識したあとは、きっと忘れていい。そんなものを後生大事に抱えていたところで、幸せになんてなれない。

こういうとき、いつも思う。

この年まで生きてきた。それを今さら、みすみす捨ててたまるか。

この先出会えるであろう人。今すでに出会えていて大切にしたいと想う人。そういう人たちとの未来。それらすべてを、たかが「記憶」なんていう過去の残骸に奪われるなんて嫌だ。

私は私を傷つけ、虐げ続けてきた親との「過去」になど、絶対に殺されてなんかやらない。

私は私を愛してくれる人たちと、笑って日々を過ごすために生きる。そういう人たちの声を聞き、言葉を愛し、重ねた時間のなかで生まれた絆を守りながら歩いていく。


此処で出会った友人が、以前言ってくれた。

「誰かが、私が、はるさんを思って怒り悲しくなった分だけ、はるさんの背負っているものの重みが減ったらいいのに。そしたらあっという間にはるさん楽になるのに。と思っていることだけでも伝えさせてください。
あとこれも。はるさんは、絶対、粘り勝ちする

この言葉をもらえた日、溢れる滴が襟元を濡らしたけれど、心はどこまでも温かかった。友人が手渡してくれた言葉は、間違いなく私が背負っている荷物を軽くしてくれた。


ちびが見せてくれる、きらきらの世界。長男が見せてくれる、わくわくの世界。揺るがない信頼を示し、家族のように想い、伴走したいと願ってくれる友人たち。その人たちが見せてくれる宝ものが、私の記憶には無数に存在している。どんな欠片に突き刺されようとも致命傷を避けられるのは、盾になってくれる温かな記憶が在るからだ。

”受け入れる”までの道のりは、とても険しく遠い。だからゆっくり、ゆっくりと進んでいく。一進一退しながら、焦らず歩いていく。後退しているようでも、長い目で見たら進んでいる。膿を出し切るまでは、どうしたって痛い。でも出し切ったら、緩やかに腫れは引いていく。心も、身体と同じだ。


私は人間として生まれた。だから人間らしく、もがきながらも笑って生きる。餅入りのどら焼きは、ちゃんと甘くてちゃんと美味しかった。どんなときでも好きな食べ物は美味しいし、空の碧はきれいだし、海の砂はきらきらと光っている。

過去と現在は地続きだけど、イコールじゃない。過ぎ去ったから「過去」なのだ。


生きていける。浦島太郎になったって、物語みたいにそこで途切れるわけじゃない。自ら途切れさせることはしない。いつかくるそのときまで、私は、私を諦めない。


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