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「俺がお母さん守るから」

「お母さん、俺、兄弟が欲しい」

長男がそう言いだしたのは、彼が幼稚園の年中の頃だった。破天荒で突拍子もないことを次々にやらかす息子一人だけで、当時の私は正直手一杯だった。そして何より私を足踏みさせていたのが、妊娠中の悪阻だった。

長男を妊娠中、私は重症悪阻で2度の入院を余儀なくされた。妊婦にも関わらず体重は10キロ以上落ち、頬はげっそりとやつれた。水も吐き、点滴とたまに食べられる冷やしトマトだけで命を繋いだ。

もし次も同じような状態になったら、長男を誰が見てくれるというのだろう。実家は両家とも遠方にあり、様々な事情から手伝いを頼める状況にない。そんな完全核家族の環境で私が入院するリスクを背負ってまで二人目を望む気には、正直なれなかった。でも、長男は諦めなかった。

サンタさんへの手紙に「きょうだいをください。おもちゃはがまんします」と書いてあるのを目にしたとき、とうとう私たち夫婦は腹を決めて、数日かけて話し合いをした。経済面、私の体調面、夫婦間の溝。踏みとどまるべき要素の方が圧倒的に多いと感じていた私たちだったのに、結局は長男の希望に添う方向で話し合いは終結した。二人目の子どもが、私たち夫婦の溝も埋めてくれるかもしれない。そんな淡い期待もどこかで抱いていた。

それからほどなくして、私のお腹の中に新しい命が宿った。心配していた悪阻はやはり酷かったが、入院は何とか免れた。産婦人科の先生には「ケトン体の数値も出ているし本当は入院した方が良いのだけど…」と何度か言われたが、私はその度に息子を代わりに養育してくれる人がいないことを説明し、点滴に通うことで何とか手を打ってもらっていた。

日に日にやつれていく母親を見て、息子の顔は徐々に曇っていった。トイレで嘔吐を繰り返す私の背中を擦りながら、ある日彼は消え入りそうな声でこう呟いた。

「ごめんね……。俺が、兄弟欲しいなんてワガママ言ったから。そのせいでお母さんこんなに苦しいんでしょ?ごめんなさい」

便器に顔を突っ込んで胃液を吐き出していた私の目から、溜らず涙がこぼれた。


そうじゃない。そうじゃないんだよ。


苦しいのも辛いのも事実だった。悪阻で吐き戻す私の背中をいつも擦ってくれるのは旦那ではなく息子だったし、ほのかに抱いていた期待が打ち砕かれたことに落胆していないわけでもなかった。でも、大好きな息子にこんな言葉を言わせる為に、二人目の我が子をこの身に宿したわけではない。

「悪阻は確かに苦しいよ。でもそれは、あなたのときもそうだった。そうしてあなたが産まれた。産まれてきてくれた。それだけで十分なんだよ。今が苦しいからって、その先まで苦しいわけじゃないんだよ」

口元を拭ってそう伝えて、まだ小さな息子をぎゅっと抱きしめた。その肩は震えていて、私の服の襟元には涙のシミがじわりと広がった。狭いトイレの中で、私たちは静かに泣いた。


「俺がお母さん守るから。産まれてくる赤ちゃんも、絶対、俺が守るから」

そう言い切った息子は、ぐいっと袖で涙を拭った。その顔はまだ頼りなく眉が下がっていたけれど、誰よりも優しく、誰よりも逞しく見えた。

息子の中で大きく育っている思いやりの心が嬉しかった。元気な顔を見せてやれない自分を不甲斐なく思ったのも事実だったが、それ以上に彼の優しさが私の心を温めてくれた。


長い長い10か月を越えて、可愛い次男が無事に誕生した。その生まれたての小さな身体を初めて抱っこしたとき、長男が言った。

「重いね。小さいのに、こんなに重いんだね」


命の重さを肌で感じた彼は、あの日狭いトイレの中で宣言した通りに、私とちびのことを毎日守ってくれている。たくさんの優しさと揺るぎない強さで、私たちに笑顔を手渡してくれている。


私は母親として、彼に何を返すことが出来るだろう。与えるよりも遥かに多くを与えてもらっている毎日。抱えきれない感謝を胸に、今夜も愛しい寝顔にそっと祈る。


元気に大きくなりますように。

明日の息子たちが、笑顔でありますように。


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一番好きな書籍は村山由佳さんの「翼」です。
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書くことは呼吸をすること。 cotreeアンバサダー。エッセイは育児関連が多め、小説はフィクションとノンフィクションの融合。原体験が軸。 「サバイバーからの伝言」マガジンで自身の経験を元に虐待抑止の発信を執筆中。*プロフ参照 《ブログ》https://harunomama.com

コメント13件

たなかともこさん、ありがとうございます🍀
とても嬉しいです。(*´-`)
優しい息子たちに日々支えられています。
私たちの元に来てくれてありがとう。
心から、そう伝えたいです。
彼らが巣立つその日まで、毎日を目一杯楽しみたいと思います。
えむさん、ありがとうございます🍀
えむさんも悪阻重かったのですね……あれはしんどいですよね。
吐いても吐いても止まらず、本当に胃袋がひっくり返るかと思いますよね……😭
えむさんのお子さんも、ママの背中を擦ってくれたのですね。あの温かさは宝ものですよね。

そう言ってもらえて嬉しいです。
ありがとうございます✨
まっそさん、ありがとうございます🍀
とても嬉しいです!
息子の優しさがいつも私を助けてくれます。ちびはそんな兄貴の背中を見て、すくすくと育っています✴
洋介さん、ありがとうございます🍀
本当に、しみじみと思います。
生まれてきてくれてありがとう。
私たちに会いに来てくれてありがとう、と。
温かい優しさを持った彼らが、この先の人生も笑顔で歩んでいけることを切に願います。
いつも本当にありがとうございます✨
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