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【それでも私は、この文章をこのまま公開する】

 医師との間に信頼関係が築けていたとしても、病院に向かう足取りはいつだって重い。言葉にして話すことで、それが現実に起きたのだと再認識する過程は、とても苦しい。悪い夢であってくれたらよかったのに。そう思いながらも、これが紛れもない現実であると誰よりも知っていた。

「退院後の生活はどうでしたか?」
「何とかやっていました。ただ、酷く疲れていて。記憶が混乱しています。自分以外の誰かが生活している場面を上から見下ろしているような、そんな錯覚に囚われるときがあります」
「記憶が繋がっているということは、それだけ統合に近づいているということです。ただ、本来切り離したいと願っている感覚までも繋がってしまうので、最初はそのストレスを大きく受けて混乱が見られるかもしれません。でも、不安に思う必要はないです。むしろ、すごく良いことですよ」

 解離性同一性障害の治療を始めて早6カ月。”統合”というワードをまともに聞いたのは、今回が初めてだった。私の治療がどこに向かっているのか。統合か、共存か。それさえもよくわからぬままに、とにかく”受け入れる”ことから始めた夏の盛り。季節は流れ、年が明けて初詣の時期も終わり、スーパーでは節分の豆や鬼の面が売り出されている。私を取り巻く環境も、この半年、いや、この1ヵ月で激変した。今でもその変化についていけずにいる私は、度々交代人格に表の世界を任せて、奥のほうで昏々と眠り続けているらしい。

「このストレス下に於いて、解離が起こらないほうがむしろ不自然です。解離は貴女自身のSOSでもあるのだから、気に病む必要はないんですよ」

 数か月前は受け入れられなかったが、今の私はその言葉に大きく頷いている。交代人格の性格も様々で一概には言えないが、基本的には私よりも”私本人に起きている事象”に対して、ドライに対応できているらしい。これはあくまでも各人格と話したことのある友人から聞いた話であり、私本人が体感しているわけではない。友人曰く、『お母さんのように身の回りの世話や生活を回してくれている』人がいて、その人はとても冷静、沈着な人物らしい。

「こういう自分で在りたい、っていう理想の姿なんじゃない?」

 そう言われても、私にはその人物が見えない。ただ上から見下ろした光景は、私そのもの。声も姿も、私でしかない。スーパーで買い物をしている私。部屋で音楽を聴いている私。友人と電話で会話をしている私。でもそれは、本当の意味の”わたし”ではない。

 こうして書き出してみると、混乱していたものが整理される。医師の言う”統合”が果たされる日が来るのか、それはまだわからない。何なら年末にもう一人増えた話を友人からは聞いている。
 大きな負荷がかかるたびに混乱する記憶。分裂する人格。それと同時に統合に向かおうとする私の心。あまりにも混沌としているその有様を、外側から冷静に見つめている自分がいる。とても不可思議に感じる。そして、ようやく自分という人間に何が起きているのかを知る立ち位置まで来たのだとも思う。

 記憶が欠けていることに気づかないふりをしていた。おそらくずっと、長い間。何がトリガーだったのかは今でもわからない。ただそれが溢れ出した時期から、私はいずれ事実と向き合わざるを得なかったのだろう。

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 トラウマが人にもたらす弊害の大きさを日々考える。ただ痛いとか、苦しいとか、そういうレベルの話ではない。実生活に於いて様々な問題を引き起こし、本来であれば何てことなくクリアできるはずの課題も難問にすり替わってしまう。
 病気や障害を”個性”だと謳うのは容易い。ではその個性故に狭められた選択肢を眺めながら、当の本人がどんな気持ちで生きているのか、想像できる人がどれほどいるだろうか。前向きな言葉しか許されず、反骨心を持たない者は弱者と言われ、日常生活が脅かされる症状を抱えながらも明るく正しく生きることを求められる。
 こういう本音を書いた途端に、「自己憐憫に浸っている」と揶揄される現実がある。それでも私は、この文章をこのまま公開する。
 伝えたいのは希望であり、光。それは変わらない。ただ、その後ろ側にどのような葛藤があるのか。その部分を根こそぎ切り落としてしまうのは、私のなかでは正しくない。あくまでも、私のなかでは。

 医師からは障害年金の申請を勧められている。近日中にその件で年金事務所へ相談に行く予定だ。普通に定職に付いて働ける状態であれば、経済面の不安は解消できた。それならば、子どもの親権争いを考える余地も残されていただろう。でも、それさえも叶わない。離したくないものさえ諦めざるを得ない。障害年金だって、申請したからと言って必ずしも保障されるものではない。審査に通らなければ、援助は受けられないのだ。

 病気や障害を”個性”だと謳うには、今の世の中はあまりにもやさしくない。当事者の一人として、それが正直な思いだ。

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 今日も数時間が欠けて、目覚めたのは海の防波堤。波の音が奥深くで聞こえていて、気づいたら冷たいコンクリートの上に座って潮風を浴びていた。

「海に行ったら起きるかなぁ」

 ”お母さん役”をしてくれている人が、そう言っていたらしい。その通り、海の匂いと音、風により、私本人の意識が目覚めた。数時間眠っていたらしい私の頭は、しっかりと冷めていた。

 波間に映る太陽が淡くぼやけて光る。青空の下、元気な男の子が凧揚げをしている。海面に浮かぶ水鳥の群れ。水平線の先に浮かぶ一艘の白い船。砕けては混ざる波。どの景色も、自分の意識下で見たものが一番鮮明で美しい。


 統合の先に平穏があるのか、共存に切り替えて生きるのか、先のことはわからない。ただ、その道のりは平坦ではないだろうと、それだけはわかる。
 悲観して嘆くばかりでは前に進めない。気が済むまで泣いたなら、そのあとは這ってでも進むしかないのだ。ただ、思う。そういう道のりでできた全身に残る擦り傷は、もう誰にも遺したくない。その痛みを知っている。だからこそ、もう終わりにしたいんだ。


 人は人を愛し、守り、育む力を持っている。誰しもが最初は、真っ白なままで産まれてきた。だからどうか、大人たちは、その心をやさしく包んであげてほしい。
 傷つけられ、虐げられるために産まれてくるなんて悲し過ぎる。それによって後の未来までも潰されてしまうなんて、そんなのはもう見たくない。聞きたくない。

 傷つけられた側が己を責めて苦しむのは、もうやめにしよう。理不尽な痛みには抵抗していい。逃げていい。その痛みは、耐えるべきものではない。そして、その痛みを次の世代に引き継いでも、決して楽になんてならない。

 痛みを知っている。知りたくもない痛みだった。でも、だからこそ、それを断ち切ることに意味がある。


 揺り戻しが大きく、なかなか安定した毎日とはいかない。そんななかでも、穏やかな日常は在る。これからまずは、がんばってお風呂に入る。それができたら100点満点。そのくらいに自分を甘やかすところから始めている、今日この頃。

 追い炊きのボタンを押して、もうすぐ30分。じきに、お風呂が沸く。「お風呂が沸きました」と教えてくれる機械音。その音が鳴ったら、私は自分のなかにあるスイッチをオフにする。

 ちゃんと生きる。そのために、今はちゃんと休む。


 具体的に何をどう変えたいのか。「書く」以外、私にできることは何かあるのか。頭が擦り切れそうなほど悩む毎日だからこそ、まずは私自身の毎日を守る。
 考えるのは、そこからだ。



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