「そんなこと」なんかじゃない。

例の感染症の影響に伴い、学校がGW明けまで休校になった。プール授業もなくなって、長男の小学校生活最後の運動会さえも、何が何だか分からないうちに煙のように消えてしまった。

走るのが好きで、泳ぐのが好きで、とにかく運動が好きで。何よりバスケが好きで。それなのにもう1か月以上まともにバスケをしていない。庭のゴールでひたすら練習しているけれど、一人で打ち込むシュート練習だけでは単調過ぎて物足りないらしい。そりゃそうだろう。息子はバスケが好きなのと同じくらい、一緒にバスケを頑張っている仲間のことが大好きなのだから。

「体育館で、みんなとバスケしたい…」

無理と分かっているからこそ、小声でそう呟くに留める長男。

「そうだよね…したい、よね」

「ようやく、俺たちの代がきたのに。俺たちの代で、色んな大会で優勝したかったのに」

先月から今月に至るまでの間に、主要な公式戦が4つ潰れた。彼らに、もう一度6年生はこない。2020年は、過ぎてしまえばもう返ってこない。

分かっている。みんな、みんな闘っている。
仕事を失った人。お店が危機に直面している人。戦々恐々としながら満員電車に揺られて仕事に行かざるを得ない人。大切な家族を、喪った人。


非常事態は、その事態が重くなればなるほどに不満を漏らすことすら許されない空気が蔓延する。愚痴を溢すと、「大変なのはあなただけじゃない」と言われる。でもきっと、愚痴を溢した人だってそんなことは分かっている。「自分だけ」なんて誰も思っていない。ただ、現状で辛いことがあれば思わず溢したくなるのが人というものだ。そこで心のバランスを取っている人も少なくないだろう。


「自分だけ」が辛い状況のとき以外は、弱音を吐いたらだめなのだろうか。他にも大変な人がいたら、「大変だ」と口に出したらだめなのだろうか。


東日本大震災のときも、同じようなことが起きていた。
「東北人は我慢強い」とネット上でも褒めたたえられ、でもそうやって褒められれば褒められるほどに弱音はタブー視された。そのことがとても苦しい、と当時地元に住んでいた友人が泣きながら電話をかけてきたことがある。

家を失ったと嘆けば、家族が生きてるだけいいじゃないかと言われる。
思い出の場所が流されたと嘆けば、家があるだけいいじゃないかと言われる。
家族を喪ったと嘆けば、でもあんたは生きてるんだからと言われる。

どれほどの悲しみかなんて想像するまでもないはずのことが、あまりにもありふれたものとして扱われてしまう。ありふれているから、悲しくないわけじゃないのに。悲しみも痛みも、誰かのそれと比べる必要なんかないのに。


弱音を吐いているだけでは前に進めない。何も変えられない。それも正論だ。ただ、ときにはそういう時間が必要なことだってある。

「こんなことがあって辛かったんだ」
そう言ったとき、「そうなんだ。それは大変だったね」と言葉をかけてもらえたら、それだけで楽になれることもたくさんある。少なくとも、「それくらいで…」と咎めらるよりは余程救われるはずだ。


私は、長男が溢す台詞に蓋をしたくなんかない。

「バスケができないくらいで」
「運動会がなくなったくらいで」
「友だちと会えないくらいで」

そんなふうには、絶対に言いたくない。

彼にとって、それらはかけがえのないものだ。他の人にとってどうかなんて関係ない。バスケは彼の夢に繋がるもので、運動会のリレーの選手に6年連続選ばれたくて日々走り込みも続けていた。友だちは、彼のかけがえのない宝ものだ。

子どもの世界は広くて狭い。自身を取り巻く環境が大きく変わり、それまで目標にしていたものが次々と奪われていく。その悲しみを消してやることはできないけれど、せめて受け止めてやりたい。

この状況がいつまで続くか分からない。ただ、楽観視できないであろうことだけは肌で感じている。長期戦になればなるほど、親も子も疲弊するのは目に見えている。

一人で抱え込まないでほしい。子どもも大人も、悩みや不安を抱え込んだままでは、心と共に身体の元気もなくなってしまうから。そうなる前に、誰かにSOSを出せたらいい。


「しんどいんだよ」

先の見えない毎日のなかでそう呟いている人がいたら、その口に手をかざすのではなく、そっと背中に手をあてられる人で在りたい。そうして澱を吐き出したら、前を向けることもある。


「これが落ち着いたら、みんなで頑張って絶対に優勝カップ取るんだ!」

ミドルシュートを打ちながら、息を切らして長男が言う。

それが叶う日がくるといい。その光景を、早く見たい。
一生懸命な君たちの本気の顔。嬉しい顔。悔しい顔。どっちでもいいよ。どっちでもいいから、早く見たいよ。

寝ぼけ眼で朝4時半から試合のおにぎりを作る。そんな朝が、一日も早く戻ってきますように。


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