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一番痛いのは、きっと私じゃない。

夜の空気は、昼間のそれより少し哀しい匂いがする。物音は消え去り、光も少なく、刻々と深まる闇がこちらに近づいてくるような気がする。

それでも、私は夜が好きだ。静けさも、暗闇も、慣れてしまえばむしろ落ち着く。月灯り。星灯り。どれだけ見つめていても目が痛まないその光には、不思議な力がある。

車で夜を過ごす生活にも、だいぶ慣れた。明け方まで起きていて、空が白んできたらようやく眠る。少し眠ったら、簡単な朝食を済ませて息子のスポ少の練習に行く。元気に走る息子の姿に元気をもらいながらも、彼にいつ話をしようかと考えては胸が軋んだ。


先日、旦那との決別を心に決めた。否定されるかもしれない。そんなの間違ってると言われるかもしれない。そう思いながらも、自身に言い聞かせたい気持ちもあって心情をnoteに綴った。結果、その決意をたくさんの方々が応援してくれた。

スキ、コメント、シェア、サポート。様々なカタチでたくさんの方が気持ちを伝えてくれた。そのなかで一番多く頂いた声が、これだった。

幸せになって欲しい。


遠い昔、必死にそれを伝えてくれた人がいた。たった一人、私の実情を知り、ぎりぎりのところにいる私に伝え続けてくれた人がいた。

「幸せになって欲しいよ!」

あの人と同じことを、たくさんの人が言ってくれた。私の文章を読んで、私の身を心底案じてくれた人がいた。背中を押してくれた人がいた。「あなたは幸せになります」と言い切ってくれた人がいた。適格なアドバイスで今後に繋がるようにと心を砕いてくれた人がいた。「一月ぶんのコーヒー代です」と手渡してくれた人がいた。温かいお手紙を書いてくれた人がいた。

みんなみんな、「応援しています」と優しい言葉で伝えてくれた。


現実生活のなかで否定され続けてきたことを、全力で応援してくれる人がいる。どちらが正しいかを決める権利なんて誰にもないのかもしれない。でも、自分の幸せを求めることは間違いじゃないと、声を大にして言いたい。

どんな価値観だろうと、持つだけなら自由だ。でも人に押し付けた瞬間、それは容易く暴力になり得る。

人にはみな、譲れない線というものがある。その境界線は人それぞれで、ぐるりと囲むそのカタチも、もれなく人それぞれだ。違うものを互いにぐいぐいと押し付け合って無理矢理カタチを変えてしまうと、必然的に歪みが起こる。押し勝った方は満足するかもしれない。しかし、押し負けた方はどうだろうか。無理にへこまされた方は、本来のカタチではなくなる。それを見て哀しくならない人は、きっといないだろう。


家族のカタチが十人十色ではだめだなんて、誰が決めたんだろう。”こうでなきゃ”という指針は、どんな価値観の元で決められたのだろう。それを決めた人は、その家族の普段の日常を知っているのだろうか。


***

昨夜、車内で文章を書いている最中、ふと息子たちのことが気にかかった。ただの勘なので、理由は上手く説明できない。ただ何となく、呼ばれた気がした。家の近くまで車を走らせてみると、リビングの電気が煌々と付いていた。長男が起きている、とすぐに分かった。旦那は深夜まで起きていることはほとんどない。そして、その場合でも照明は落とす。

時刻は午後11時を回っていた。「ただいま」の言葉の前に、「どうしたの?」と声が滑り落ちた。息子は夜更かしの習慣はない。9時になると分かりやすく眠たそうな目になり、いつもちびの絵本の読み聞かせの隣で自身の読みたい本をぱらぱらとめくりながらあっという間に眠りに落ちる。理由なくこんな時間まで起きていることはない。


「お母さんと話そうと思って。待ってた」

短くそう言った彼は、頑張って笑おうとして失敗した顔をしていた。泣いていいのに。怒っていいのに。そんなに大人になろうとしなくたっていいのに。

「うん。お母さんも、話したかったよ」

いつも家にいる母親がいない。父親不在のときだけ帰ってきて、父親が帰宅すると同時に家を出る。その違和感に気付かない年ではない。ただでさえ感受性の強い子だ。当初はアパートの鍵を受け取ってから話そうと思っていたけれど、引き伸ばすことに意味なんかないと気付いた。何が起きているか分からない方が、きっと不安だろう。痛くても現実を知れば、そこからどう顔を上げれば良いのかを考えることができる。


「お母さんね、もう、お父さんと一緒には暮らせないんだ。ごめんね。でも、お父さんが仕事でいない夜はちゃんと帰ってくるから。だから3日に一度は会えるからね。お母さんはずっとあなたのお母さんだし、お父さんもずっとあなたのお父さんだから。それは絶対変わらないし、ずっと大好きだから。あなたもちびも何にも悪くなくて、お母さんたちの勝手で哀しい思いをさせてしまってごめんなさい」

頭を下げた私に、息子は小さな声で「うん」と言った。息子の精一杯が込められた、”うん”だった。

どうしてとか、何でとか、息子は一切聞かなかった。胃が痛いと布団で丸まったり、時々上の空になったり、余裕がなくなったり。そんな母親の姿から感じるものが、日々たくさんあったのだろう。旦那とも普通に話しているつもりだった。それでも、その”つもり”を彼はだいぶ前から見抜いていたのだと知った。

「お母さん、どこに住むの?」

「ここに頻繁に帰ってこれるように、そんなに遠くには住まないよ。海の近くだよ」

「海?じゃあ、俺もたまに遊びに行っていい?」

「当たり前じゃん。来たいときはいつでも来ていいよ。言ったでしょ。お母さんは、あなたたちのお母さんをやめるつもりなんかないから」


話は、そんなに長くは続かなかった。おそらく30分ほどだったと思う。
「そろそろ寝るわ」と言った彼を、抱きしめたかった。でも、出来なかった。泣かないように我慢しているのをちゃんと泣かせてあげた方がいいのか、彼の我慢を無駄にしない方がいいのか。散々迷った挙句、後者を選んだ。これが正しかったのか、今でも分からない。


子どもの哀しそうな顔を見ると、胸が潰れそうになる。こんな顔をさせてまで私は私の意志を貫くのだから、ちゃんとそのぶん笑えるようになりたい。家を出てお母さんは元気になった、と彼が安心できるくらいに。

まだ小さいちびは、きっと「なんで、なんで」と言うだろう。一緒に眠れる夜は、たくさん絵本を読もう。抱きしめて、キスをして、大好きだと伝えよう。

何ができるとか、成績がどうとか、そんなのはどうでもいい。彼らが大人になったとき、人の痛みが分かる心を持っていてくれたら、それでいい。笑って生きて欲しい。好きなように生きて欲しい。その背中を、少し離れたところからずっと見ていたい。


「おやすみ」と言った息子の声が震えていたことを、私は忘れてはいけないのだと思う。息子たちがとても哀しい思いをしたことを、ちゃんと覚えておきたい。変に自罰的な意味ではなく、親として忘れたくないというだけの話だ。


好きに生きる。自分の心を守る。それには、たくさんの覚悟が要る。誰のことも傷付けずにそう出来たらどんなにいいだろう。何も失うことなく、誰の涙が流れることもなく。でもそんなふうにはいかないことが、生きているとたくさんある。

息子はきっと布団のなかで泣いただろう。それでも私は、決めた通りにこの家を出る。


息子が寝室に行くのを見届けて、車に戻り夜道を走った。流れてくる音楽すら聞きたくなくて、音量をゼロにした。余計なものを頭に入れたくなかった。こんなのは想定内だった。想定内なはずだった。それなのに嘘みたいに痛くて、喉の奥が震えた。

夜は好きなはずなのに、朝が来てくれることを願った。目が痛くなるほどの太陽が、ただ見たかった。


早くアパートの鍵が欲しい。真新しい鍵を握りしめることができたら、きっとこのおぼつかない足にも力が入る。20年前だってそうだった。くそみたいな親から必死に逃げて辿り着いた新しい家の鍵。これでもう、安心して眠れる。そう思えた、あの瞬間。



春の足音が近づいてくる。風は強まり、春一番がたくさんの命の芽吹きを誘っている。

もうすぐソメイヨシノが満開になる。今年の桜も、きっと綺麗だ。



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先日の記事をきっかけにたくさんの応援を頂き、本当にありがとうございました。サポートをくださった方々へのお返事も、時間はかかりますが必ずお返しします。コメント、シェア、応援メッセージ、とても心強く、温かい力をもらっています。

たくさんご心配をおかけしてしまい、ごめんなさい。

少しずつ前に進んでいます。皆さまのおかげでちゃんとご飯も食べられるようになりました。

これから生きていく環境を整えられるように、精一杯頑張ります。


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