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【そらのかみさま】

「そらのかみさま、おねがいございます」

そう言って、ちびは両の手をあわせて空に祈った。今にも泣きだしそうな灰色の空。フロントガラスにぽつりと滴が落ちる。

「かみさま、そらのかみさま。おねがいございます。どうか、たいようをちょっとだけかしてください」

雨の週末、息子たちが会いにきてくれた。彼らと新しい土地で過ごすのは、これが二度目。迎えにいく道すがら、天気予報を調べた。土曜日は雨。日曜日はどうにか少し晴れ間が出る予報。元気玉みたいな二人は、エネルギーを正しく発散しないと夜も眠らない。どうやって雨の週末を乗り切ろうかと思案しながら、車を走らせた。

「土曜日、雨なんだって」
「えー、こうえん、いきたかった!」
「そうだねぇ。行きたかったね」
「おかあさん、はれにしてよ」

まだ幼いちびは、時々こうして無茶なことを言う。

「それはちょっと無理だなぁ。でも、ちびがお願いしてみたら?」
「だれに?」

長男が、答えを引き受けてくれた。

「それはやっぱり、空の神さまだろ」

長男が幼い頃、雨が降るたびに外で遊べないことをぐずっていた。そんな彼に長靴を履かせ、雨傘を持たせ、私はよく庭に出た。バシャバシャと水しぶきを跳ね散らかしながら、長靴のなかが濡れるのも構わずに遊びに興じる。最終的には長靴も脱ぎ捨て、裸足で草むらを駆け回りながら長男は言った。

「おかあさん、あした、はれにして!」
「それはちょっと難しいなぁ。今は梅雨だからね」
「”つゆ”ってなあに?」
「雨がたくさん降る季節のことだよ」
「おれ、”つゆ”、きらい」
「でもね、梅雨がないと困るの。雨が全然降らなかったら、お水がなくなるんだよ。そしたらみんな喉渇いちゃうでしょ?」
「みんな?」
「そう、みんな。お花も、木も、動物も、人も、みんな」

長男は小さな頭をうんうんと捻り、それから納得したように大きく頷いた。

「わかった!じゃあ、”そらのかみさま”におねがいする!」
「空の神さま?」
「おそらには、かみさまがいるでしょ?あめもだいじなのはわかったから、おれ、きょうはがまんする。だからあしたは、はれにしてください!っておねがいするの」

信じきった目というのは、どうしてこうも強く、きれいなのだろう。小さな手のひらをあわせ、彼はひと際大きな声で空に祈った。

「そらのかみさま、あしたはどうか、はれにしてください」

「おかあさん、みて!くもさんはいっぱいだけど、まだおそらは”ないてない”よ!こうえん、いけるよね?」

映画を観た帰り道、空に向けた小さな手のひらの祈りが、どうやら届いた。雨予報80%、にも関わらず、ぎりぎり降り出すのを待ってくれているかのような曇り空。広い敷地の公園に辿り着いたと同時に、新緑の木立のなかを二人は一斉に駆けていった。

兄の背中をちびが追う。まだまだ短い足を懸命に動かし、だいすきな兄に追いつこうと必死になる。背中なのに、笑っているのがわかる。彼らはこういうとき、全身で笑っているのだ。

「おかあさーん!」
「なあにー?」
「そらのかみさま、おねがい、きいてくれたね!」
「そうだね、よかったね」

息を切らしながら、ちびは空に顔を向けた。大きな大きな声が、森のなかにすこやかに響いた。

「そらのかみさま、ありがとうー!!」

私も思わず、空を見上げた。その顔にぽつりと滴が落ちた。泣き出した空。でも、駆け回る二人にはその滴さえご褒美だ。


かみさま。そらのかみさま。
どうかこれからも、あの二人を守ってください。

こだまする笑い声が辺りを照らす。その光は、まるでお日さまみたいだった。もう一滴、頬に当たった。空の涙を拭い、二人の背中を追うために私も走り出した。



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