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【cotreeアンバサダーを辞退します】~性虐待サバイバーである、私が今思うこと。

この記事は、cotreeアンバサダーとして活動してきた経緯から伝えたいと感じたこと、また、性虐待を含む虐待被害、性被害を訴え続けてきた私個人の想いを綴ったものです。
この記事の内容が被害にあわれた方々の心情にそぐわない、もしくは傷つけるものであった場合、直ちに加筆、修正いたしますので、お声がけいただければ幸いです。
(※2021年5月11日、追記)

自身が過去に受けた被害と同様のものに触れると、平常心を保てなくなる。他の人がどうかは知らないが、少なくとも私はそうだ。だから、ずっと言及できずにいた。声を上げたいと思いながらも、静観することしかできなかった。

NPO法人『soar』の元理事であり、『ⅬITAⅬICO発達ナビ』元編集長であった男性が、複数の女性に性的加害を行っていた事実が発覚した。この事実を受けて理事は解任、現在も様々な方面に波紋を広げている。

被害者のうちの一人であるト沢彩子さんが懸命に声を上げているのを、Twitter上でずっと見ていた。ト沢さんはご自身が受けた被害を公にしただけでなく、加害者との直接的なやり取り、『soar』がこの件を発信するにあたり出す書面の確認(自分以外の被害者への二次加害を防ぐため)など、あまりにも負担が大きい様々な対応に日々追われながらも、問題提起、再発防止に必要なことを伝え続けてきた。
(※2021年5月11日、追記)

告発そのものだけでも、どれほどの勇気が必要だったか、どれほどの苦痛を伴うものか、想像に難くない。それなのに、声をかけることさえできなかった。
私は、色々なものから逃げたかったのだと思う。

『soar』現理事が、今このタイミングで「許し」を説く旨の発信をすること。それにより被害者が受ける苦痛について。

昨日、オンラインカウンセリングcotreeのCEOである櫻本さんが、「許し」をテーマとした記事をシェアした。そこに添えられた言葉を読み、私個人としては、とても辛い気持ちになった。

すでにその投稿は削除されているので、詳しい文言に触れるつもりはない。(Twitterでスクショが出回っているので、私が発言を明記しないことに意味があるのかはわからないけれど)
『soar』現理事の一人である櫻本さんが、今このタイミングで「許せない」ことによる不幸の連鎖を説くのは、被害者の方々に対してあまりにも酷であったと私は思う。あのツイートから、抑圧的な意図を感じとる人が多数いたとしても、何ら不思議はない。

「許せない」気持ちを抱える人たちがいて、その人たちはそれ相応の被害にあい、現在も後遺症に苦しみ、日常生活に支障をきたしている。ずっと言えなかった苦痛を、やっとの思いで口にした。ようやく、声を上げられた。そんななかで、問題が起きた団体の現理事である方が発信していい内容ではなかったし、”二次加害”であると批判されるのも致し方ないものであったと思う。


二次加害を受けるリスクを抱え、それでも尚被害者がSNS上で声を上げるのは何故か。 その選択をさせたのは、果たして誰なのか。

櫻本さんは、本日その発言について新たにTwitter上で言及、謝罪をしている。そのなかにある一文に、私は相反する二つの感情を覚えた。

「許せない」と向き合うためには、まずは安全な場所で、その苦しみを言葉にし、傷を癒すプロセスが必要です。それなしに許せるものではなく、ましてや強要されて許せるものではありません。ただ、その「安全な場所」がSNSだとはどうしても思えていません。

たしかにそうだ、と思う。SNSで被害を発信することは、当事者に新たな苦しみ、痛みをもたらす。実際に今回のケースでも、二次加害が散見されている。おそらく無自覚に、加害者サイドを守ろうとする心理から発生しているもののように見受けられる。そういったリスクを考えても、苦しみをSNSで表明するのはリスクが大きい。
私自身、性的虐待を含む性被害サバイバーである。この2年様々な原体験を発信していくなかで、何度もそういう場面はあったし、そのたびに傷ついた。

しかし、同時に思う。だったら何故、被害者がそんなにまで大きな負荷を背負う選択をしたのかと。その選択をさせたのは、果たして誰なのか、と。

公ではない場面でどれだけ直接声を上げても、揉み消されたり、事実を歪められる現実がある。だからこそ、全身の勇気を振り絞ってSNSという場所で声を上げるのではないだろうか。

少なくとも私はそうだ。私の声は、現実世界の家族に向けて幾ら訴えたところで、誰にも何も届かなかった。辛かったと伝えても、どんなに泣き叫んでも、「お前がおかしい」と切り捨てられた。
訴えた被害を加害者サイドが真摯に受けとめ対応してくれる世の中なら、被害者が二次加害に晒されながらネット上で声を上げる必要なんてない。 


cotreeアンバサダーとして活動してきた今までのこと。また、今後について。

過去記事を読んでくださっている方々は知っていると思うが、私は、cotreeのアンバサダーを務めている。現在は不定期の更新(実際はほとんど更新できていない)となっているが、2019年10月から2020年6月までの間、cotree側から依頼を受けて、毎週1本のnoteをcotreeのマガジンに寄せる形で書き続けてきた。登壇イベントにパネラーとして参加した経験もある。
念のため申し添えておくと、これらの活動はすべて無償であり、仕事として成立していたわけではない。

随分前に、文字数の関係もあり、Twitter、note共に『cotreeアンバサダー』という文言は削除してしまった。しかし、プロフィール記事や仕事依頼記事には、その記載を残したままにしてある。私自身のなかに、『cotree』というプロダクトへの想いが強く残っていたからだ。

しかし今回の件を受けて、私は正直混乱した。飲み込みきれないモヤモヤを抱えたまま、アンバサダーを続けるのか。納得いかないからと何も言わずに、そっと「アンバサダー」の文言を消すのか。どちらも違う気がした。

一番に感じたのは、「怖い」という思いだった。これを公開したら、もう「書く仕事」なんてもらえなくなるんじゃないか。ただでさえ、もらえている仕事の本数は多いほうじゃない。いよいよ「書いて生きていく」なんて、不可能になるのかもしれない。そう思った。

そして、行きついた。こういう不安を抱えて、言いたいことを言えずに飲み込み続けてきた人たちが、一体どれほどいたのだろう、と。

伝えたいことがある。守りたいものがある。そのために書いているはずなのに、信念を曲げなければ生き延びることができない。そういう体制そのものが変わらなければ、同じようなことは幾らでも起きる。

『soar』現理事の方々の過去の発言も含めて、ネット上では様々な物議が起こっている。今後の対応、発言に注視しながら、今抱えている重苦しい違和感を拭い去れないときは、私はcotreeのアンバサダーを辞退させてもらう。
(※文末に追記があります※)

依頼を受けたとはいえ、完全なるボランティアで活動していたのだから、わざわざ「やめます」と宣言する必要は本来ないのかもしれない。しかし、今までずっとnote、Twitter共にcotreeのプロダクトを推し続けてきた者として、無言で任を下りるのはあまりにも卑怯な気がした。

一つのプロダクトにどれほどの人が関わっていて、どれほどの人たちがそこに尽力しているのかは、充分にわかっているつもりだ。だからこそ、こういう記事を表に出すのは迷いがあった。

ただ、性的被害、性虐待サバイバーとして発信すると決めている以上、今回の件を素通りすることは私にはできなかった。


被害にあわれた方々の心を、何よりも守ってあげてほしい。それ以外のものを、優先しないでほしい。

責めを負うべき人間が責めを負わず、すでに痛みで潰れそうになっている人間に更なる責めを負わせて平穏を保とうとする。その軋轢に苦しみ、涙を流す人がいる。今、この瞬間も。

昨年1月に、このnoteを書いた。私個人は、基本的にこのスタンスで生きている。「許すこと」も「許さない」ことも、どちらともに強要できるものではない。許したい人は許せばいいし、許せない人は許さなくていい。同じ経験を持っていたとしても、人はそれぞれ違う。今までも何度か書いてきたが、同じ体験=同じ人間ではないのだ。

櫻本さんご自身も、昨日のツイート、本日のツイート共に、「許すことを強要することは誰にもできない」旨を記載している。そうであるならば、今このタイミングでのあの内容の記事の拡散、そこに付随する言葉の選びかたには、細心の注意を払ってほしかった。


誰もが誰かを想い、守りたいのだろう。守りたい相手がどちら側かで、発言も対応も異なる。そういう事情を理解した上で、やっぱり私は傷つけられた側がきちんと守られる社会であってほしい。被害者が声を上げるなかで、圧し潰され、傷つき、見えないもののように扱われるのはあまりにも辛い。

SNSの情報は得てして断片的で、すべての詳細は知り得ようもない。だからこそ、発信することに迷いがあった。ただ、性的加害があり、被害者の訴えの大筋を加害者側も認めている。その事実だけは揺るがない。周辺で様々な動きがあるのは当然だろうと思う。しかし、根本を間違えてほしくない。

被害にあわれた方々の心を、何よりも守ってあげてほしい。それ以外のものを、優先しないでほしい。例えそこにどんな事情があったにしろ、最優先事項だけはブラさないでほしい。そのためにも、今このときの発信内容は充分に言葉を選び、これ以上の二次加害を引き起こさないことが大切であると私は思う。


圧倒的なマイノリティである当事者だけが声を上げ続けるのは、あまりにも辛い。

問題が表面化したとき、いつも分断が起きる。その分断は、被害者、加害者だけに留まらない。物事を静観する側、声を上げる側。その両者の間にも、見えづらい軋轢が生まれている。

私は一連の被害の当事者ではない。しかし、当事者だけが声を上げ続けるしんどさを、嫌というほど知っている。辛いものだ、自分の傷を抉って事実を伝え続けるというのは。それでも何故やるのか。それ以外に、伝える方法がないからだ。当事者が皆押し黙ったら、問題は表面化しない。私が両親から受け続けた虐待行為が、ずっと「無かったこと」にされてきたみたいに。

私個人は、自身の体験から声を上げると決めた。でもそれは、「許し」と同じで誰かに強要できるものではない。どんなバックグラウンドがあり、今現在どんな立ち位置にあるのか。原体験も含めて、様々な要因のなかで人は物事を判断し、思考する。その決断一つ一つが、尊重されてほしいと思う。

ただ、もしも「当事者じゃない」という理由だけで「口を開くのは適切じゃない」と判断されているのなら、一つだけ知っておいてほしい。

圧倒的なマイノリティである当事者だけが声を上げ続けるのは、あまりにも辛い。どんなに強い意志を持ってはじめたことだとしても、誰にだって限界はある。喉が裂ければ血が出るし、そうなればもう声は出ない。当事者以外の声を、当事者は切実に求めている。

ただしこれは、あくまでも私個人の想いである。
今回被害にあわれたうちの一人であるト沢さんは、「声を上げる人が守られる状況を望んでいる」としたうえで、「決して無理をしないでほしい」「まずは自分を大切にしてほしい」とはっきり名言している。

(※2021年5月11日、追記)

前述したように、私としても誰かに何かを強制する意図は全くない。そう思わせてしまったなら、心から申し訳なく思う。ただ、そういう側面があるのだという事実を知ってほしかった。


被害者と加害者の間に「対話」を強要する違和感。また、「被害者を守ること」と「暴言をまき散らすこと」を混同する危険性について。

個人を叩いても世界は変わらない。主語を大きくして媒体そのもの、プロダクトやメディアそのものを「悪」呼ばわりしても、本来の解決はない。

・見えない場所で閉鎖的に行われる加害そのものを無くすには、どうしたらいいのか。
・もしも加害が起きてしまったとき、被害者を追い込まない形ですみやかに説明、対応をする重要性の周知。
・無意識に起こる二次加害を無くすために、周囲が気を付けなければいけないことは何なのか。
・被害にあわれた方々にはどのようなケアが必要なのか。
問題の本質はそこであると、私は思う。

また、被害にあわれた方々へのケアそのものに関して、加害者サイドが全面的に関わることを多くの被害者は望まない。今回の被害者であるト沢さんご本人も、「信頼がない状態で”ケア”は受けられない」と伝えている。
ケアに関しては、被害者が安心、安全と思える相手、場所でなくてはならない。ただし、カウンセリングを含む治療等には相応の費用がかかる。その費用面の負担という部分に関してのみ、加害者サイドにもできることはあるだろうと感じる。
(※2021年5月11日、追記)

議論すべきこと、解決すべき問題からどんどん遠ざかる罵詈雑言は、必要ない。必要なのは、対話だ。ただし、被害者と加害者の間で「対話」を成立させようとするのは、どうしたって無理がある。しかし現在の動きを見ていると、そこを無理矢理成立させようとしているように感じる。全体的に、何もかもを被害者に背負わせている構造に、私には見える。

冒頭に書いたように、自身と同様の被害を持つケースを目にした場合、私はどうしても自分と同じ体験を持つ側に心が寄ってしまいがちだ。だから、考えた。1ヵ月以上、ただひたすら沈黙して考え続けた。その上でも、考えは変わらなかった。違和感も、何一つ緩和されなかった。だから、こうして書くと決めた。

「人権」は、目に見えない。でもその見えないものを傷つけられると、人はときに呼吸さえも止めてしまう。そうなる前に、どうか考えてほしい。

軽い気持ちだったから。深く考えなかったから。

そんな行動や言動が、どれほど深く人を傷つけるのかを知ってほしい。

また、「被害者を守ること」と「暴言をまき散らすこと」を混同するのもやめてほしい。罵詈雑言と批判は違う。それなのに、その二つを混ぜこぜにして被害者サイドに立つ人がいるから、余計に二次加害が起こりやすくなってしまうのだ。

誰かを守りたいときほど、強い衝動に駆られたときほど、言葉は選ぶべきだ。そうじゃなきゃ、誰のことも守れない。何も変えられない。


今回の被害者をサポートする寄付金の呼びかけと、加害者サイドに伝えたいこと。

被害にあわれた方の弁護費用を、寄付金として募っている方を見かけた。このnoteも何度も読んでいるのに、「スキ」を押すことさえしなかった。考え続けたのか、逃げ続けたのか。どっちなんだよ、と自分を張り倒したくなる。

soar元理事による性加害の件について、詳しい経緯、記事等も文中に掲載されています。
また、寄付金の送り先等も明記してありますので、ぜひ読んでいただきたいです。(寄付の募集は5月15日までとなっております。)


私を含め、物事に完璧なんてあり得ない。誰だって間違えるし、失敗もする。ただ、性的加害というものが与える大きすぎる苦痛は、筆舌に尽くし難い。言葉にしきれるものではないのだ。だから、現在可視化されているものの何倍もの苦しみがそこにはあるのだと、そのことを肝に銘じて物事に当たっていただきたいと切に願う。

すでに傷だらけになっている人たちに、これ以上「痛い」と叫ばせたくない。そういう光景を、「無いもの」にしたくない。見たくせに、「見なかった」ことにしたくない。ずっとそうやって「見えない」側にされてきた私にとって、この一連の出来事はあまりにも苦しかった。

被害を訴える。その勇気が、どうか報われてほしい。そして、被害そのものを起こさないために必要なことは何なのか、ちゃんと本気で考えてほしい。

誰かを自身の身勝手な欲求で傷つけたのなら、一生かけて償うくらいの気持ちを持ってほしい。簡単に許されるなんて思わないでほしい。それがどんなに苦しいことだとしても、そのたびに思い出してほしい。被害者は、その100倍、1000倍苦しいんだってこと。


”もしも自分が、その立場だったら”

想像力の欠如が故に起こり得る加害が、あまりにも多すぎる。

私は、言いたくない。
「被害にあっても助けてもらえない国なんだよ」なんて。
「声を上げたら傷つけられる国なんだよ」なんて。
そんなこと、息子たちに言いたくない。

「ちゃんと声を上げたら助けてもらえるから、おかしいことには『おかしい』って言っていいんだよ」

私は息子たちに、そう言いたい。

必死で上げた声が踏みつけにされる場面を、私はもう、見たくない。

◇◇◇

※追記※(2021年5月10日)

2021年5月10日を持って、cotreeアンバサダーを辞退いたしました。
今回の件と併せて、今までアンバサダーを務めるなかで抱えてきた違和感の両方に対し、自身の心と折り合いを付けることはできそうもないと判断しました。
よって、プロフィール、仕事依頼記事から、アンバサダーの記載を削除いたします。

この記事は、声を上げること、意見を表明することを強要する意図を持って書いたものではないことを、重ねて申し添えておきます。
決断は個人のものであり、個人の意志が尊重されてほしいと願っています。


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