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永遠に、ぼくの心を⑪



章乃の病状等について

 私の身内や私自身の経験を踏まえてこしらえた病状です。もちろん全ての方が章乃と同じ運命を辿る訳ではありません。今ではずっと医学も進歩していますし、かなりの確率で改善するものと思われます。章乃は稀な不運が重なったのです。ですから、死因もぼかしてあります。もし、読まれて不快な気持ちに襲われたなら、ここにお詫び申し上げます。

 それから、実名で登場させた人物が一人だけいます。(読み方は違いますが)
 その人は若くしてこの世を去られました。せめて小説の中だけでも幸せになってほしいとの作者の一存からです。


あとがき

 拙作は、病気療養中、一気呵成に仕上げた初めての長編作品です。
 『頭の中で展開する映像を文字で表現してみたい』
 そんな願望も力量不足ゆえに果たせず仕舞い。長年、悶々とやるせない毎日を送るなか、病魔に蝕まれていたことも露知らず、体は悲鳴を上げダウン。大したことはない、と高を括っておりました。しかし、後になって振り返ると、危い目にも遭っていたのだと思い知らされる始末。
 そこで、何か一つでも生きた証を遺したい。その一念が、執筆への原動力となっていったのです。
 幼き頃よりの孤独な夢想癖の果て、二十世紀末葉に創作した物語をベースに、別のストーリーを新たに整形し直し、縫合して完成に至りました。執筆直後の達成感と昂揚感は忘れ難い経験となりました。

 しかし、冷静さを取り戻した後、今一度本作を俯瞰すると、熟成期間を遥かに過ぎ、いささかカビ臭さの漂うものになってはいまいか、との懸念が生まれてまいります。そこで一旦はボツにしようと決心したのです。
 健祐にとって章乃は明るく照らしてくれる存在で、同時に滅びの象徴、まさに斜陽。初恋は青春の象徴、章乃の死は青春との決別の象徴として描きました。それを乗り越えて初めて健祐は前進でき、成長を果たし、章乃は斜陽のように最後の輝きを放って、『命とは終わりを知ったあとの輝き』との滅びの呪文と共に自らの生命を健祐に託します。
 恋人同士としての二人の関係性にリアリティはあまり無いのでは、というのが執筆直後に襲った違和感でした。章乃の極限までの犠牲的行為は、母性そのものでしょう。男女の関係はもっと泥臭いものではないでしょうか。“親子の情愛”、もしくは“家族”が私の根底にあるテーマでしたから、執筆過程で知らぬ間に投影されてしまったのかもしれません。当人同士の盲目的で身勝手な純愛物語は避けるべき、との心理が働いたのも確かです。ゆえに、“章乃と父母”、“健祐と父母・祖母・妻の文”との関係にも着目していただければありがたいと思っておりました。ですから中途半端で下手なストーリー展開だったかもしれません。それが自分でも不満の種でもありましたし、よくありがちな純愛ものとしてだけ認識されるのが耐え切れず、ボツにするつもりで数年間放置しておりました。ですが、自ら生み出した分身を闇から闇へ葬り去ることも憚られ、どんな形にせよ、この世に産み落としたい欲求が沸々と湧き上がる一方。日々募る抑え難い衝動に負け、恥を忍んで人目に晒す決意をした次第です。
 読者の皆様には、芳醇な香だけを堪能して頂きたいのですが、カビ臭さしか伝わらなかったとしたら、お詫び致します。私の力量不足です。ご了承ください。

 ある出版社様から出版のオファーをいただきながら、上記の理由によりお断りしたこと、深くお詫び申し上げます。

 また、2014年に複数の小説投稿サイトに公開し、読者の反応をうかがいながら改題、改稿を繰り返して真の完成に至った作品でもあります。
 予想に反して、各サイトにて大好評を博し、多くの読者の皆様に受け入れられたことは、思いもよらぬことで、戸惑いながらも、この上ない喜びでした。
 非公開、削除の度に、かような不出来な作品なれど、「もう一度読みたい」との熱いご要望が湧き上がったことなど、本当にありがたく思っております。また、「ノスタルジックな、なんとも言えない気持ちにさせられた」「せつなくとも心地の良い作品をありがとう」等の感想を賜り、感謝の念に堪えません。孤独な執筆作業の励みにもなりました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
 
 何はともあれ、拙作が皆様にとって、ひと時の慰みになれば幸いです。
 最後までお付き合い頂きまして、
 心より
 心より
 感謝、感謝、感謝……
 本当にありがとうございました!

   2024年(令和六年)7月日  春乃光


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