「しあわせのハンバーグ」
私は小さい頃からお母さんのハンバーグが大好きだった。
噛むとジュワッとお肉と玉ねぎのおいしさが溢れ出して、ついもう一個、もう一個と手が出る。
子どもサイズのころん、とした、ぷっくりかわいいハンバーグ。
それは、私にとって「しあわせのハンバーグ」だった。
マヨネーズ、ケチャップ、お醤油、ウスターソースを混ぜて作る家のソースも大好きだった。このソースがある時ばかりは私も苦手だったブロッコリーやカリフラワーといった付け合わせのお野菜もたくさん食べることができた。
次の日には食パンに挟んでハンバーグサンドを食べる。これもお決まりで、私はハンバーグが夕食の日は、こうして最低1.5日はハンバーグの幸せを思う存分頬張った。
そんな無類のハンバーグ好きだった私なのに、数年前まで10年ほどヴィーガンになり、一時期はお肉を一切口にしていなかった。
もちろん、ハンバーグも大豆ミートや高きびで作ったりはしたけれど、やはりそれは私の記憶の中の「しあわせのハンバーグ」ではなかった。
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そもそもヴィーガンになったきっかけは、20代の頃、原因不明の体調不良が続き、気持ちも沈みがちだったこともあって、そんな時に出会ったマクロビオティックのカフェのご飯のおいしさに目覚めたからだった。
食を変えてからというもの、体調も依然と比べ物にならないくらいよくなり、気持ちも随分と安定した。だから、この時期は私にとって必要な時期でもあったと思う。
けれど、ある時を過ぎたあたりから、私は元の体調に戻るのが怖くて、自分が食べたいな、と思うものを思うように食べられなくなってしまった。心の声ではなくて、頭の声を優先するようになってしまった。
確かに体調は安定していた。でも、食べたいものを自由に食べるパートナーのことを必要以上にコントロールしたくなったり、明らかに自分の中に不満が溜まっているのを私は感じながらも認めることができなかった。
それを認めて、好きなものを食べるよりも、今の食事にしがみついている方を選んでしばらくは過ごしていた。
私がヴィーガンになったことを知ってからは、母はもうあの「幸せのハンバーグ」を作ることはなくなった。
私はひき肉は身体に悪いとか、散々うんちくを説いた。
今考えただけでも本当にひどい。母にも、豚さんにも牛さんにも、本当に申し訳ないことをしたと思う。
けれど母は私を否定しなかった。
代わりに実家に帰るたびに、私の一人暮らしの家にあった料理本を買ったりして同じような料理を作っては出してくれた。
ごめんね、お母さん、ありがとう。
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けれど、結婚し、子どもを授かり、とても悪阻の酷かった私は、いわゆる「身体にいい」と言われる食事は何一つ口にすることができなくなった。
これまで「悪い」と勝手に決めつけてきたものしか口にできなくなってしまった。
カップラーメン、コンビニのたこやき、豚の生姜焼き、ポテトチップス、ハンバーガー。いわゆる「ジャンクフード」を想像してもらえるといいと思う。
悪阻の期間はとても辛かったけれど、私は同時にどこかでほっとしている自分に気がついていた。
普段だと「これは食べちゃいけない」、「身体によくない」と決めつけて跳ね除けてきた、私の心が「本当は食べたかったもの」を、悪阻という理由があるおかげで堂々と食べることができる。
自分に対して言い訳ができたことに私は内心ほっとしていた。
それでも二人目の悪阻の時まではなかなか堂々とお肉に手を伸ばす勇気はなかった。
けれど、三人目の悪阻で、私はついにお肉しか口にできなくなってしまった。
最後に母の「しあわせのハンバーグ」を食べてからもう10年以上が経っていた。
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悪阻で寝たきりだった時期を少し通り過ぎた冬の日だった。
当時住んでいた富山は記録的な大雪で、船酔いのような気持ち悪さが続く中、轟音の除雪車が家の前を通る音で朝私は目を覚ました。
私の悪阻のせいで、3ヶ月ほど実家から助けに来てくれた母に、私は何度も言おうとした。
「ハンバーグを食べたい」と。
でも、これまで頑なにヴィーガンを貫こうとしてきたのもあって、今更「ハンバーグを食べたい」というのが恥ずかしいような、後ろめたいような、なんとも言えない気持ちになって、ずっと葛藤があった。どう思われるだろう、とかそんなことも考えていたんだと思う。
それでも、私は思い切って母に言った。
「お母さん、ハンバーグ作ってくれへん?」
「お肉やけど、ええの?」
「うん」
「わかった」
そして、屋根からぶら下がる大きなつららがすりガラス越しに覗く台所で、母は玉ねぎを刻み、ひき肉を混ぜ合わせ、リズムよくハンバーグをこね始めた。
しあわせな音がした。
私は、子どもの頃に戻った気持ちになった。
そうして出来上がった母のハンバーグは、10年ぶりに食べても「しあわせのハンバーグ」だった。
私はその「しあわせのハンバーグ」を、息子二人と頬張った。
私の心の中にいる、子どもの頃のただただ純粋に食べるのが大好きだった私が、「おいしーーーーーい!!!」と無邪気に喜ぶのがわかった。
「おいしいわ〜ありがとう」としか、母には伝えられなかったけど。一口食べた時、もう私は嬉しくて今にも泣きそうだった。
私は、何かとてもとても大切なものをこれまで置き去りにしてきていたことに、その時やっと気づいた。
自分の体を労ることは大切だ。
でも、体を労るように、自分の心にも、優しさを向けてあげることも、同じくらい大切だということに。
「しあわせのハンバーグ」は、私のヴィーガン卒業式になった。
それからは、少しずつではあったけれど、私は心が食べたいものにも耳を傾けてあげられるようになった。
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そしてこの前、ふとまた「あ、ハンバーグが食べたい」と思った。実は、3年前に母の作るハンバーグを食べてからも、私はおからだったりお豆腐を入れたりしたなんちゃってハンバーグは作ったことはあったけれど、まだひき肉をしっかり使ったハンバーグを作る勇気がなくて、作れていなかったのだ。
これは、もう作るしかない。
合い挽き肉を600グラム買い込んで、命の重みを感じながら私は豚と牛の命を自宅に持ち帰った。
前日に玉ねぎをたくさん刻んで炒めておき、主人が休みの土曜日のお昼にみんなで食べようと、私はハンバーグを捏ねた。
子どもにも食べやすい、母のいつも作ってくれたあの大きさのハンバーグ。
ナツメグは入れ忘れてしまったけど、卵の繋ぎもなしのシンプルなひき肉と玉ねぎ、パン粉のハンバーグ。
三人の子どもたちも主人も大喜びでペロリと平らげてくれた。(主人は本物のハンバーグだ!と言った。そうだよ、お豆腐入ってないよ!!大豆ミートでもないよ!)
そして、私も子どもたちに譲ることなく同じ数をしっかりと食べた。
ソースももちろん、いつものやつだ。
母のハンバーグにはおよばないけれど、私はもう誰かに自分を幸せにしてもらうのを待たなくてもよくなったのだな、と思った。
私は自分でハンバーグが食べたくなったら作れるようになったんだ。
私は、私を自分で大切にすることができるし、幸せにすることができる。
もっと、自分を喜ばせてあげようと思った。
ハンバーグを食べた後は、「お母さんの作ってくれた幸せな食べ物」という私の頭のカテゴリの中から、昔おやつによく母が作ってくれたアップルパイの記憶が蘇り、急に食べたくなった。
私はせっせと冷蔵庫に残っていたりんごを煮詰め、薄力粉がなかった代わりに強力粉を捏ね、パイをオーブンに入れている間に子どもたちを連れてコンビニに走り、ちょっと奮発してハーゲンダッツのアイスクリームを買った。
家に帰ったらほかほかのアップルパイが私たちを待っていて、アイスと一緒に出来立てを家族みんなで頬張った。
アイスクリームを乗せて食べる、というのは私がカナダに住んでいた頃の思い出だけど、子ども時代の思い出と、青春時代の思い出を一度に頬張ることができてさらに幸せな気持ちになった。
これで体調をもし崩しても、私は絶対後悔しない。
自分を大切にする、ということは、体も、心も、どちらも大切にすることだ。
私は頭だけで色々なことを決め過ぎていた。コントロールしようとし過ぎていた。
まだまだ自分の心の声に従うことがおっかなびっくりな時もあるけれど、少しずつ思い出していけるといいなと思う。
自分の気持ちを大事にするって、どんな感じだったかな、って忘れそうになったら、またハンバーグを作ろう。
ハンバーグは、私が私を大切にする感覚を思い出させてくれる、魔法のアイテムだ。
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