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見えない世界を本"で"観る ~「読書と社会科学」を読んで~

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どんな本?

物事の根底にある構造を明らかにする、"自分だけの眼"を養う方法を学ぶことができる本です

なぜ読まないといけないのか?

解決策がコモディティ化している今の時代で価値を創造するためには、”自分ならではの視点"が非常に大事になってくるからです

1. 本を通して世界を観ることの重要性

1-1. 自分だけの視点の重要性

物事を独自の方法で構造化し、問題を発見する眼の重要性は、今後ますます高まってきます。これは、解決策のコモデティ化に起因します。現代は、文明が高度に発展し、衣食住が保証され、80才まで生きることが当たり前となり、ありとあらゆるモノや情報が世界中に行き渡るようになってきました。これは、人類にとっては喜ばしいことですが、自分達の生命・財産の安全が確保された時代において、古代には日常的にありふれていたはずの問題を、発見することが極めて難しくなってきています。また、一度問題が発見されたとしても、大抵の問題は、高度なテクノロジーにより立ちどころに解決できてしまいます。つまり、"解決策"が氾濫しコモディティ化してきており、一方で、"問題"はその希少価値を増していると筆者は考えています。したがって、これからの時代は、解決策を提案するスキル・技術より、問題を発見する力が重宝されるようになると筆者は予想します。さらに、熾烈な差別化競争を勝ち抜くには、問題をただ発見するだけではなく、”独自の切り口”で物事の構造を捉え、課題を浮き彫りにすることが求められるようになるとも考えます。

1-2. 独自の視点の威力

このような眼を手に入れることができれば、分野横断的な活躍も可能です。本書で紹介された、フランソワ・ケネーの話が印象的でした。18世紀のフランスで、外科医術の第一人者でありながら、60才で現代の経済学の礎を築いた人物です。医学と経済学という、全く分野の異なる学問においてパイオニアとして名を馳せていることから、ケネーは才能あふれる人物であったと大半の人は推察します。しかし、必ずしもそうではないというのがこの本の著者の指摘です。ケネーは、当時、内科医よりも社会的地位が遥かに低かった外科医という立場でありながら、内科医の権力を守るための仕組みを、医師として、人々の健康を守り・改善できる仕組みに作り替える活動を行っていました。この活動を通じて、大局を見渡し、問題点を明らかにするための、彼独自の眼を養うことができ、この眼が、当時の社会経済の分析にも役立っため、後世の経済学の発展に大きく寄与する理論を構築できたとも考えられます。このように、様々な分野で活躍できる人、経験のない仕事もうまくやれてしまう人は、特別な才能があるというわでは必ずしもなく、このような眼を養ってきたためと考えられます。

1-3. 読書から得られるもの

そして、このような眼は、"読書"に真摯に向き合うことで、獲得することができます。これは、読書を通じて、過去の学問研究者の物事の捉え方を、自分の中にトレースすることができるようになるからです。さらに、ただトレースするだけではなく、元々持っている自分独自の捉え方と融合させることで、自分独自の捉え方を構築していくことができるからです。この物事の捉え方のことを、この本では概念装置と名付けています。これは、自然科学において、電子顕微鏡・センサーなどを用いて、物理的に物事を観測する物的装置のアナロジーとして、この本の著者が開発した言葉です。

2. 本の読み方

“読書”に真摯に向き合うためには、次の3つを意識することが必要です。一つ目は、本を古典として読むこと、二つ目は、信じて疑うこと、三つ目は、而して書くことです。

2-1. 本を古典として読む

まずは、行間に落ちている作者の意図をすべからく掬い取るかのごとく、丁寧に本を読むことが大事です。近年は、本をすべて読む必要はなく、流し読みで良いという考え方が良く見られます。これは、本書で表現されるところの、”情報を得る読み”であり、”古典としての読み”とは異なる考え方になります。古典としての読みが必要な理由は、文字面だけをなぞるような読書方法だと、文章の表面上に現れている最大公約数的な考え方を拾いとることしかできず、著者の考え方の根底にある概念装置を自分にトレースし、ましてや、自分の中にある既存の捉え方と融合させることなどできないからです。

2-2. 信じて疑う

次に、著者を信じて疑うことです。これは、一旦、著者のことを信用し、謙虚かつ真摯に文章を一つ一つ咀嚼してみて、どうしても咀嚼できないところを見つけた場合に、その原因を徹底的に調べぬくというような読み方のことです。著者のことを真っ向から疑う、または軽蔑してかかるようなマインドを持つと、自分の考え方に合致するものは受入れ、それ以外は無意識に弾くというような読み方になってしまい、結果、著者の概念装置をトレースするようなことはできません。また、著者の述べることをひたすら盲信するようなマインドを持つと、著者の概念を理解することはできても、それを自分のものとして消化することはできず、最大公約数的な理解しかできず、他者と差別化を図れなくなります。

2-3. 而して書くこと

最後に、而して書くことです。現代風に表現すると、”アウトプット”という表現が分かりやすいかもしれません。いわゆる名著と呼ばれる本を深く読み込んだ結果、新たに見えてきたものは、とても捉えがたいもので、簡単に表現できるものではないことがほとんどです。その、簡単には表現できない、自分の中に沸き起こった”いぶき”を、苦心して言語化することによって、著者の考え方と自分の考え方を融合させることができると考えられます。したがって、アウトプットをさぼってはいけないということになります。簡潔な要約をしてみたり、箇条書きで思ったことを並べたりするのでは意味がなく、本を読んだ結果、自分の内面に生じたものをしっかりと捉え、言語化していくことに意味があるということです。

3. "概念装置"の組み立て方

真摯な読書から得たものを、自分の中で概念装置として組み立てるには、著者の”変数の選び方・組合せ方”を自分の言葉で理解する必要があると、筆者は理解しました。学問とは、無数の変数により駆動されている自然現象、社会現象、文化現象から、ある特定の変数を選び抜き、組合わせ、変数の値域を定めることで、現象をモデル化・単純化し、物事の本質を浮き彫りにすると共に、そこにある問題を分かりやすくすることにあると考えます。この、”変数の選び方・組合せ方”こそ、著者の表現する”概念装置”であると筆者は理解しています。本書では、概念装置の構築実践例として、”自然法と実定法”の例が挙げられています。人が定める法律、即ち、”実定法”、が機能するかどうかを判定するには、それを守らない人が現れることで、集団の存続が危ぶまれるか否かのみでなく、自然の摂理、即ち、自然法、に則っているか否かを検証することが必要だという考え方です。ここでは、法律の、”違反時の集団へのインパクト”と、”自然の摂理との整合度”を変数として抜出し、これをもって、法律の妥当性を評価しようとしていると筆者は捉えました。

まとめ

著者を全面的に信じた上で、文字面をなぞるだけではなく、行間にある著者の考え方を掬い取るように丁寧に内容を咀嚼し、著者の考え方・モノの捉え方を理解し、それを自分なりの表現に置き換え、実際に使ってみることにより、世界を観る眼が豊かになり、これまで観えていなかったものが観えるようになるようです。筆者も、そんな境地に至るべく、今年こそは、読書を継続していきたいと思います。

参考文献

内田義彦、"読書と社会科学" 、 1985/1/21、岩波新書


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