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原宿カルチャーの源流。70年前の「神宮前交差点」はリトルアメリカだった

今回の歴史散策は明治神宮前駅のある神宮交差点にフォーカス。表参道・原宿エリアの地域情報サイト「おもてサンド」のディレクター・まあやさん、歴史ページ担当の重久直子さんと歴史を巡ってみた。

「ラフォーレ原宿」と「東急プラザ表参道原宿」が向かい合う「神宮前交差点」。原宿と言えば、若者でごった返すこの交差点の風景を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。

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「昔この周辺は、アメリカの軍人向けのショッピングストリートだったらしいですよ」

そう教えてくれたのは、表参道周辺の地域情報サイト「おもてサンド」(※現在、ウェブ版は更新終了。SNSへ移行)のディレクター・まあやさんと、歴史ページの担当をしていたライターの重久直子さん。軍人とはものものしい響きですが、当時の神宮前交差点付近はどんな街だったのだろうか。ふたりと一緒に周辺を歩き歴史について探ってみた。

戦後の神宮前は「米軍御用達」だった

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戦後の代々木公園にあったワシントンハイツの様子

「1945~1952年の間、日本は米軍を主とした連合国軍総司令部(GHQ)の占領下にあり、米軍の戦闘部隊は1958年まで駐留していました。神宮前交差点に近い代々木公園の敷地には、米軍向けの集合住宅『ワシントンハイツ』があり、軍人やその家族たちが住んでいたそうです」と重久さん。
今はのどかな景色が広がる代々木公園に、そんな歴史があったとは…!

「そのため、神宮前周辺にはアメリカ人客を相手にするお店が並んでいたといいます。たとえば、キャラクターグッズでおなじみの『キデイランド』は、ワシントンハイツに住む外国人に向けて、本や雑貨を販売するお店だったようですね」

とまあやさんが続ける。今は高級スーパーとして有名な青山通りの『紀ノ国屋』も、ワシントンハイツに住む軍人の奥様御用達の食料品店だったそう。

おしゃれなブランド店が立ち並ぶ銀杏並木を進んでいるとエキゾチックな門構えの特徴的なお店が現れた。

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「この『オリエンタルバザー』も実はかなり古いお店なんですよ」

と、まあやさんが指差すお店の中を覗くと、扇子など外国人向けの日本土産が並んでた。『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(秋尾沙戸子著、新潮文庫)によれば、こちらも戦後はアメリカ軍人向けのお土産店だったそう。それから70年近くも続いているというから驚きだ。

文化人が出入りした「セントラルアパート」

さらに今の「東急プラザ表参道原宿」がある敷地には、かつて「原宿セントラルアパート」という建物があったという。こちらは外国人向けの高級賃貸マンションだったようだが、実はこの建物が後の原宿・表参道のカルチャーに大きな影響を与えたのだとか。

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1980年代の神宮前交差点。右正面に見えるのがセントラルアパート

「GHQが撤退していった60年代以降、セントラルアパートはカメラマンやデザイナーなど、流行の最先端を行くクリエイターが集う場所になっていきました。映画監督の伊丹十三氏や俳優の渥美清氏、タレントのタモリ氏などが出入りしていたみたいです。80年代には、コピーライターの糸井重里氏も事務所を構えていたといいます」

と重久さん。

「1階には『レオン』というカフェがあって、そこにたくさんの文化人が集まっていたそうです。セントラルアパートに事務所を持つことが、ある種のステータスになっていったんでしょうね」とまあやさん。

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1972年 セントラルアパート1階「レオン」周辺/『70’HARAJUKU』
(小学館)より  撮影:染吾郎

今でも原宿・表参道にはクリエイターの事務所が多いイメージだが、その先駆けとなったのが原宿セントラルアパートなのだ。

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ファッションでいう『原宿カルチャー』は個人ブランドが集まって作り上げているという印象が強い。それは元をたどれば、セントラルアパートの小さなスペースで、ファッションデザイナーが商売をしたことがきっかけだったという。

「私も昔、セントラルアパートの中の『MILK』というお店に行ったことがあります。ビルの間の細い隙間にあるとっても小さなお店だったんですが、店内には若い女の子が殺到していました」

と重久さん。ちなみに、この「MILK」は今も神宮前に本店があり、原宿のファッション・カルチャーをけん引し続ける伝説的ブランドとして知られている。原宿セントラルアパート自体は1998年に解体されてしまったが、そこで生まれたカルチャーは原宿の街に、深く根付いているようだ。

今でも愛されるヴィンテージマンション

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「昭和40年、オリンピックの翌年に建てられて、日本で初めての“億ション”(※分譲価格が1億円以上のマンション)と言われたマンションがあるんです」

とまあやさんが見上げた先には高級感漂うグレイタイルの大型マンションが。

「このマンションは『コープ・オリンピア』です。屋上にプールがあったり、受付にはコンシェルジュがいたりと、当時の“最先端”が詰まった住居だったそうです。当時は大女優なんかが住んでいたらしいですよ」

築年数はすでに50年を超えているが、原宿駅徒歩1分でアクセスもよく、ホテルライクなフロント体制や管理の良さが定評で、今でもなかなか空きが出ないそう。SOHOとしても人気でカメラマンやデザイナーらが事務所を構えているという。

歴史を探りながら街を観察することで、“トレンド発信地”として表参道・原宿の成り立ちが見えてきた。70年前はリトルアメリカだった神宮前交差点周辺。その影響下で今の表参道・原宿のカルチャーが出来あがったのだと思うと面白い。文化的背景にも注目してみると、街歩きはもっと楽しくなりそうだ。

【取材協力】
・おもてサンド
おもてサンド Facebook

【参考資料】
秋尾沙戸子『ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後』(新潮文庫、2011年)

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