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【番外編】博総日記 博多総合車両所の保存車の最期

2024年は、7月の時点で既に博多総合車両所にとって変化の年となっています。その理由はご存知かと思いますが、

保存されていた4両の歴史的価値のある車両が
7月までにすべて解体された

からです。

以前の博総日記で触れている通り、博多総合車両所には0系、WIN350、100系の2階建て車両2両が保管されていました。JR西日本が自社の車両基地というすぐ解体できる場所に保管しているということから、この車両の価値もうかがえると思います。

そんな車両たちが今年のはじめから、0系を皮切りにどんどん解体されていきました。しかも約半年で一斉に。
正直このまま終わりを迎えるとは思っていなかったので、言葉に表せないほどの悲しさがありました。

その様子をXで公開していないカットを含めてふりかえっていきたいと思います。

0系解体〜終わりの始まり〜

2月13日、3連休明けのこの日の朝は平穏なものとはなりませんでした。解体線に来訪車があったからです。
その車は小さなパンタグラフカバーを先頭車にもかかわらず付いていて、アイボリーの車体に青い帯を窓周りにまとい、団子っ鼻のない短いノーズに輝きを失ったつぶらなひとみを持っていました。その車両は…

そう、保存されていた0系である22-1047号車だったのです。

まさかそんなはずが。あるわけないだろうと信じながら何度も見てみますが、そのたびにそれが真実であることを受け入れざるを得なくなっていきました。

そして学校の後に博総へ急行すると、そこにはさらに衝撃的な光景が…

ご覧の通り、これまで見てきた700系、500系の解体のときには付けられなかった白い幕が設置されていました。これで思うような解体の経過の観察が不能に。
そして少しずつ解体作業も始まっていました。その証拠に、前面スカート部分が取り外されているのが分かると思います。

車体下部を明らかにバーナーで溶断しているのも確認できました。これは何か意味があるものだったのか…

これが側面から撮った最後の写真となりました。白幕の設置がこの後すぐに完了したからです。

縦構図で失礼します

ここでかろうじて見える場所へ移動。青いスカートを失ったその夢の超特急の顔は、どこか物足りない感じがありました。

ふだんはWIN350と連結していたため見えなかった妻面も、悲しい形で見ることになりました。

内装もそのままで解体線に入れられたようで、早いタイミングで荷物棚も外に出てきました。これまで幾多の荷物を託されたその棚も、今となってはもう鉄くず同然です。

この日はこのくらいで観察を打ち切りました。

15日

2月14日はそこまで変化は分からなかったものの、2月15日はもうかなり進んでいました。窓から光が漏れてくる、すなわち奥の外壁はもうないということです。製造よりはるかに短い時間で解体が終わる。現実は悲惨なり…

18日

2月18日にはついにその顔が消え、既に何か分からなくなるような状態でした。

19日

2月19日にはその解体の進み具合を象徴するかのように、白幕の上半分が外されました。

2月20日には車両そのものの解体が終わっていました。つまり残るのはもう弾き出された台車のみ。

21日
22日

その後1日1個のペースで台車もバラされ、見える範囲のパーツは鉄くずと包装されたものだけに。

週開けて26日、ついに包装されていた部品もなくなって完全に解体作業は終了となりました。

WIN350

WIN350の解体の様子も紹介したい…のですが、全くもって記録をしていなかったので省略とします。

さらばスピードスターよ

100系2階建てグリーン車〜巨体も一瞬で〜

桜も満開となった4月8日、雨の中の博多総合車両所にはまた白幕が張られていました。その中には…

少し丸みを帯びた屋根をもつ、巨大な車両がいました。その正体は、100系の2階建てグリーン車、179-3009号車だったのです。既に銘板などが剥がされていたので「やっぱりか…」といった感じでした。

見ての通り、この日は保線の車が大量に止まっていたのであまりその姿を見ることはできず。なのでこの妻面を見ただけでこの日は終わりとしました。

10日

10日にはもう2階部分の窓から光が漏れるようになりました。窓の特殊な形がよく分かりますよね。

11日

11日は妻面が真っ二つになっていました。

自分ができた179-3009の記録もここまでです。

100系2階建て食堂車〜保存車終焉の時〜

7月7日、昼過ぎにまさかの情報が入ってきました。内容は「しばらく動きのなかった解体線に来訪車が来た」というもの。それも車両は100系の2階建て食堂車というのです。
七夕なのにそりゃないだろ…と思いながら、翌朝状況を確認しに行きました。

そこには、確かに168-3009号車の姿が。グリーンのときは見えなかったものの、やはり長期の屋外保管のせいでかなりくたびれているのが分かりました。

そしてまた学校帰りに見てみると…

白幕も張られて屋根も一部無くなっていました。貫通扉がなくなって設備が残った車内が見えたのも、少し悲しさを引き立たせていました。

ここからの解体は、2階建てといえど猛スピードで進んでいきます。

9日

9日にはもううっすら光も漏れ、

10日

10日にはもう妻面が真っ二つになるところまで進んでいました。

11日

11日には妻面が無くなり…

13日

13日には破片だらけの見ていられないような姿になっていました。

17日には、ついに台車と床が切り離され、台車がバーナーで焼き切られはじめます。火花の散るその様子は、何も残らないことを象徴するかのようでした。

すみの方には残った床部分が転がっていました。

その横にはこれから搬出される鉄くずたちが積上げられた山が。鉄道車両も解体されてしまえばただの鉄くずになる、という現実を見せつけられたように思いました。

この日、撤収の準備をしていると、台車に変化が見られました。

右側の車軸周りが分離しているのがわかると思います。そう、バーナーで切り離されてしまったのです。傾いた車軸周りがどこかうつむいている、というよりうなだれているように見えたのは、自分だけでしょうか。

そして23日までにもう片方の台車も解体され、博多総合車両所の保存車両の歴史が終わったのでした。

最後に

株主総会で「保存場所がなくなったから」というふうに説明されたこの解体。
2階建て車両については、京都鉄道博物館での展示前の仮保管が続いたような形ともいわれるので、すぐに解体しなかっただけ感謝すべきかもしれません。ですが、あとの2両も保存例の少ない小窓の0系だったり、完全にオンリーワンかつ歴史を語るうえで欠かせない車両だったりしたので、そこはもう少し選択肢があったのではと思うところもありました。

これから博多総合車両所の解体線は数年間忙しくなります。それも、500系、700系レールスター、N700系改造余剰車の解体が立て続けにやって来るから。これからも見られる範囲で解体線の動向に注目していきます。

Thank You for Reading.

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