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「女のくせに」「女の子らしく」と言われてきた僕が、それでも男性批判をしたくない理由

最初にお詫びしたいことがあります。

先日、石川優実さんとわたしの違いを考察している方に対し、この連続ツイートをしたところ

(※1つの文章です。文字数制限で2つに分けて投稿していますが、どちらか1つだけで成立するものではありません。)

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多くの方より、厳しいご意見をいただきました。

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観測範囲がわたし個人の見てきたものだけなので、固定観念は「ない」ではなく「ほとんど」なかった、連ツイで「今も入試(※医大入試の件です)や就職試験で女性差別する人たちは生きている」と補足説明しているので誤りではないのですが、やはり読後の印象として、いま現在進行形で差別されていると感じる方たちに取っては、「自分の被害を無かった事にされるのではないか」という不安を与えてしまう書き方だったと思います。

なので「社会にまだ差別意識は根強く残っているが、わたしのまわりにそこまで女子を馬鹿にしたり、差別意識を持っている男子はいなかった」という表現に訂正させてください。

本当に申し訳ありませんでした。ツイートは削除し、ここにお詫び申し上げます。ごめんなさい。

なぜ唐突に年齢の話をしたかと言うと、僕と比較されている石川さんが、過去にわたしについてこのようなツイートをしていたので

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こちらのツイートと対にするためでもありました。確かこの時も何かしら表現規制の話をしていて、今と同じように僕は規制反対派、彼女は規制賛成派だったのですが、その時に叩かれていた愛らしいキャラクターよりも、このツイートの方が生々しく、僕にとって不愉快だったのを覚えています。AVの話をしないから?若いから?だったら何なんだろう。ただの萌えキャラが性的に見えるほどそういうものに過敏なのに、いきなりAVの話をするのは恥ずかしくないのだろうか。世代的なものなのか、それとも単に性格の違いなのか、どうも性に対する羞恥心が違うように思うんです。

わたしの話をします。

以前も書きましたが、わたしの友達にはピンクのランドセルを欲しがっていた男子(その子はおばあちゃんの反対で紺色を買わされてしまいましたが)や、実際にピンクや赤のランドセルで通学していた男子がいました。中学の生徒会長はめちゃくちゃ仕事が出来て人気のある女子でしたし、制服も、わたしが入学するずっと前から女子用スラックスが選択出来るようになっており、わたし自身もごく自然にスラックスを選んでいたので、そこまで社会に差別が蔓延しているとは感じずに育ちました。(中2の頃にお尻がキツくて穿けなくなってしまったので、卒業する頃には残念ながら貰ったスカートに変更。それを考えると、やはり女子の制服がスカートなのは、成長期に身体のラインが変わっても買い替えが要らないという点で、理にかなっているのかも。)さすがにわたしが普段使っている「僕」という一人称には怪訝な顔をする大人も多かったので、学校内にいる時は適当に誤魔化していましたが、子供同士がその事でわたしをからかうような事はほとんど無かったです。地域的なものでしょうか。ジェンダー教育が行き届いていたせいでしょうか。うっかり差別的なことを言った子は、けっこう注意されてたし。

あれからまた月日は流れ、子供時代に「男児用・女児用」とページが分かれていたトイザらスのカタログも男児用女児用の表示が消えて総合カタログになり、LGBTの方が入りやすい多目的トイレも、男性トイレのベビーベッド設置も少しずつ増えてきたらしい。ベビーカーも、わたしがTwitterを始めた10年前はまだ畳むのがマナーと言われていたけれど、今は普通に畳まずに電車やバスに乗れるようになりました。この10年で考えても、世の中はずいぶん良くなってきたような気がします。

まあ中には逆にちょっと進みすぎというか、平等教育が行き過ぎかな?と思う部分もありますが。わたしが小さい頃、あるクラスで男子を〇〇くん、女子を〇〇ちゃんと呼んではいけないと言う決まりができ、みんなクラスメートを「名字+さん」と呼ぶことになったのですが、わたしは幼稚園からの友達や、近所の友達はもうわたしの中で「〇〇くん」「〇〇ちゃん」までが名前になっていたので、どうしてもよそよそしい名字呼びに変える事が出来ませんでした。だから厳しい先生がいない時は「〇〇くん、〇〇ちゃん」と呼んでいたのですが、ある日先生に見つかって、男女差別してはいけません!と注意されてしまいました。なぜだろう。本人が親しみをこめて呼ぶ分には良いんじゃないだろうか。ちなみにその先生のクラスではいじめの原因になるからと「あだ名」をつけることも禁止。だから、あだ名もこっそりつけてました。男女平等、全員平等は大切ですが、何事も行き過ぎるとしんどい。笑

ただネット上に関しては、わたしも「女のくせに、子どものくせに」と、ことあるごとに属性で発言を抑えられて来ました。「女のくせに自分のこと僕って言うのはおかしい。」とか、「僕という一人称を使っているのに、髪の毛がロングヘアだったり、服装がワンピースなのはおかしい。」とか。

特に「女のくせにツイッターやるのは生意気だ。男の子なら自立心があって良いけど。」は、のび太のくせに生意気だ!と同じくらい、意味分かんなくてムカつきましたね。笑

酷い時には性器の写真を送られたり、顔や身体の事を言われたり、アダルトサイトや風俗店のチラシに名前や写真を使われたり。

なのに、なぜわたしは被害者意識を持ち、男性を糾弾しないのか。なぜ男性に媚びてるとか言われたり、名誉男性という名誉でも何でもない呼び名で呼ばれながらも、男性を叩いたりしようとしないのか。それは、「差別されたからと言って差別仕返すのは、わたしの美学に反するから」…そして、私達女性を差別や暴力から守ってくれてきたのも、また同じ男性なんじゃないかと思っているからです。

男性に対して、同じ男性から注意してもらえるのは本当に助かります。特に女性に対する差別意識が強くて、若い女だと思って舐めてかかってきたり、平気で暴力をはたらくような人間ほど、こちら側に男性がいると分かると、途端にシュン( ´・ω・`)と大人しくなります。それはそれで差別だからムカつくし「何だよ!」って思うけど。

当たり前の事ですが、男性には女性差別をする人間もいれば、女性を守ろうとする人間もいるんですよね。女性や子ども・動物などを見たときに、めちゃくちゃに虐げてやろう!と思う人と、逆に傷つけてしまわないように、必死に守ろうとする人たちが。もしかしたら大昔、女性が「産むことの出来る性」だから大事にしなさいと言われてきたからなのかも知れませんが、なぜか、何か有事の時は女・子どもから先に避難させ、危険な場所に率先して行くことになっているのは男性です。鬱や過労死や、自殺が多いのも男性です。私達が女性という鎖に縛られて窮屈な想いをしてきたように、多くの男性もまた「いざとなったら、自分を犠牲にしても女性を守らなければならない」「妻子を養わなければならない」という呪縛にかかって、自分自身を大切に出来ていないのではないでしょうか。

なのに私たち女性側が「どうせ男は〜」等と、男性を一括りに馬鹿にしてしまったら、我が身を投げ出してまで女性を守っていた善良な男性たちは、いったいどんな気持ちになるでしょう。男は皆犯罪予備軍!と言わんばかりにハナから疑いの目で見られたら、加害者と同じように蔑んだ目で見られたら、どんな気分になるでしょう。彼らもまた、多くの女性と同じように、性別による役割の被害者かもしれないのに。

わたしと弟は、男女一人ずつの姉弟です。幼い頃から持ち物も食べものも、ほとんど差をつけられることなく、全く同じように育てられてきました。だからきっと親からしたらどちらも同じ子どもだし、どちらかが男だというだけで戦争に行かされたり、どちらかが女だというだけで教育の機会を奪われたり、大きくなったからと言ってそんなところで運命がわかれてしまうのは、絶対に納得ゆかないと思う。わたしだって弟が危険なめにあわされたら悲しいし、弟もわたしが女性として苦労することを望んでないはず(だと思いたい笑)

わたしは、わたしに対して加害してきた男性はあくまで「嫌なことをしてきたその人」という個人であり、「男性」とは表現したくないし、言わないように気をつけようと思います。つい言っちゃうけど。多くの良識ある男性たちを、その加害者と同じ目でみて、同じ性別という括りで「差別」してしまわないように。

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公衆トイレに「いつも綺麗に使っていただいてありがとうございます」と貼ると、綺麗に使っている人は良い気分になるし、汚く使っている人は少しの後ろめたさを感じ、汚く使いづらくなります。男性に限らず、女性でも、子どもでも、「いつも優しくしてくれてありがとう」という言葉をかける方が、人は絶対に嬉しいし、頑張ろうって思うはず。

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こんな酷い事をされました!!こんなに傷つけられました!!!こいつらはこんなに悪いやつです!!!!

怒りの溢れるインターネット、正直ちょっと苦手です。それに、今ある問題を解決することではなく、誰かと怒りを共有して盛り上がったり、怒りをぶつけることを目的にすると、ただ気分的にスッキリすることしか出来ない。

まずは男女共にお互いが縛られてきた呪いをとき、出来ていることや良いところを見つけて、男だから女だから「こうしなければならない」と考えるのをやめ、ここが嬉しいよ、ありがとう、と感謝を述べることからはじめてみたい。

今も女性差別はある。男尊女卑で時代遅れな、頭カチカチなひともいる。でもそれらは女性差別であると共に、女性より危険なめにあわされてきた男性差別の、悲しき成れの果てでもある。こんなことはもうわたしの生きる時代で終わりにしたい。私たちはみんな、ほとんど同じ赤ちゃんだったじゃないか。そもそも「こういう生き方をしなければならない」と考えること自体が馬鹿馬鹿しい。こんなこと、誰もきっと幸せにはならない「時代を変えよう、自分も変わろう、としている異性と交流して、持っていた荷物を分け合い、だんだんと少しずつ、そちらを主流にしていきませんか。

得意なことは、得意な方がやればいい。仮にそれがたまたま現在の男女の役割分担と同じであったとしても、見えない何かに縛られてそうせざるを得ないのと、自分たちでその生き方を選択するのとでは、天と地ほど違って見えるはずだから…。


春名風花🌸








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18歳になりました

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コメント8件

>>つづき
しかし、ずっと応援してきて、
見えてきたのは、風花さんが何とかしようと声をあげて問題提起してきたことに対してでなく悲しい内容ばかり。

それが今も同じように繰り返されていて、問題を早く何とかしようと言う人たちばかりでなく、、、

これからも協力します。
応援します。
だけど、お身体におきをつけて。
支えになるような応援考えてがんばるね。
守ってくれる男性がいるという一文が心に滲みました。私も女性です。女子供で攻撃性を発揮する男性と幾度か遭遇したことがあります。ついつい、男性がと責めたくなります。
けど被害者意識に浸り過ぎると、次の被害者を生むことになってしまう…。男女という2つのカテゴリー訳は粗過ぎるですね。
「いつも優しくしてくれてありがとう」精神大切にしていきたいと思います。
確かにまだまだ女性だから生きにくい社会な部分もある。
しかし、男性だから生きにくい部分もある。
男女差別って何も女性だけが、受けるものではなくて、男性も受けてるんだよね。
男らしい、女々しい、男なのにって普通に使われてるでしょ。
男女平等って小さい頃から聞いてても、社会に出でから全然平等じゃないって男性も感じてる。
だからお互いにそれぞれの立場を尊重することが大事だと思う。
もう何年も前に著名人の方々がいじめに関する意見をかいた文章を集めた本で読んだ、
春名さんの文章をずっと覚えています。

今回このnoteを拝見し、いじめや差別などの子どもの立場からは見えづらい部分のことをずっと訴え続けてきてくだったのだなと思い、
尊敬とともに嬉しくなりました。

私も学生の間度々いじめにあってきましたが、その過去を引きずるのではなく、表現・作品という形で誰かを救えたらという想いもあり、
文章をかきつづけています。

近い将来お話ができたらなと思います。
素敵な文章をありがとうございました!
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