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天地創造とふくろうくんの「なみだのおちゃ」

今日の聖日は子供たちの時間の担当…。
ウチの教会は人数自体がとても少ないので、子供たちの時間と言っても今日も子供さんは一人だけでした。

でもこちらとしては、準備をする中で、学べることが色々とあります。

聖書はご存知の通り「初めに神が天と地を創造した」から始まります。

科学的なビッグバンの理論を最初に打ち出したのがエドウィン・ハッブルで、先世紀の前半のことなので、キリスト教の世界でもビッグバンと天地創造とを結び付けて、聖書的に解釈する理論も数多くあるようです。

しかし、天地創造(=宇宙には始まりがある)は膨張したエネルギーの爆発で片付けられるべきものではなく、人格を持った神様が作られたとするのが、今でもプロテスタントの多くのキリスト教会が打ち出している考え方です。

その信仰を持った目で、周囲の自然を見ると、
「この美しい自然を神様は私のためだけに作られたのだ」と思える域にも達せることを先日牧師先生が教えてくださいました。

そうすると、それ以上の幸いってなかなかないような気がするんです。

アーノルド・ローベルが書いた「ふくろうくん」の「なみだのおちゃ」という絵本をご存知でしょうか?(題名にYouTubeへのリンクがあります。)

ふくろうくんが悲しいことを思い出しながら、涙のお茶を煎れる、という絵本です。

・短くなってしまって誰も使えないえんぴつ。
・ゼンマイを巻く人がいなくて止まってしまった時計。
・誰も見てくれる人のいない朝。だってみんな眠っているんだもの。

そういうことを思い出しながらふくろうはおいおいと泣いて涙のお茶を作ります。

ほとんどの人が見ない朝日を毎日上げてくれる神様は、どんだけ…と思います。もしも創造主がいて、朝日を上げてくれているのだとすると、それを毎朝見たいと願っている自分を祝福してくれる筈だともくろんでいるんです。

が…。