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友達、できた、かな

自分の心の中の整理整頓に書き出させてもらっているnote
少し前にこんな記事を書きました。

「友達」という言葉にずっとアレルギーがあって。

普段家に来てくれる人も、ご飯を食べに行く人も、
旅行へ行く人も、一緒に何かしらのコンテンツを楽しむ人もいるけれど、
それをどうしても「友達」と呼ぶことが出来ない。
という考えの人間でした。

根本にあるのは、
「相手にとって、自分の価値が大したことがないから」
という劣等感からくるものだと思うのですが。

6年ほど前に、
共通のバンドを好きになりSNS上で知り合った知人が数人いて、
それこそ何度も遊んだり、食事したり、一緒に地方まででかけたり、
旅行したりというのを出会ってからずっと繰り返してきました。
それでもやっぱり、友達、というよりは知り合い、
フォロワーさんという方が私の中の言葉の定義としては近いと
ずっと思っていました。

6年の間に、私はもともと出会ったときに好きだったバンドを離れ、
他のバンドへ通うようになりました。
そしてこの情勢の中、
ライブというもの自体からもすっかり離れてしまいました。

つまり本来の共通の話題を私はすっかり失ってしまったわけです。
それにより会うことがなくなった人も勿論何人かはいます。


ですが変わらず、連絡を取り続けている人たちもいます。
ここ1年半の情勢や、緊急事態宣言等もあり、
会える頻度などはぐんと減りましたが、
別に特にだからと言って連絡が途切れるわけでもなく、
もともと共通の話題だったものがなくなっても、
同じ時間を楽しんで共有することが出来る人たちだなと
最近思うことが出来るようになりました。

あぁ、もしかしたら、
私にとって彼女たちは友達と呼んでいいのかもしれない。

と思えるようになったというか。
別に特に大きなきっかけがあったわけではないんですけれど、
用もなく会うことが出来るとか、
・・・用もなく連絡することが出来るって
私の中ではかなり大きなハードルなんですが、
彼女たちならそうしてもいいのかなと、
6年たってようやく思うことが出来た気がします。
彼女たちが私をどう思っているかは知りません。
ただ不幸を願われてはいないし、
利用されているわけではない、と思います。
それだけで私にとっては充分というか。

自分が「友達」だと思っていようが思ってなかろうが、
楽しい時間を過ごせる人たちではもともとあったんだけれど、
なんとなくその言葉を使うことで安心感が出るような
そんな気持ちになります。

定義なんてあってないようなもので、
言葉にすがるようなつもりはないんだけれど、
なんとなくふっと思えたことがうれしかったので。

一回飲みに行っただけで友達♡みたいなのは
やっぱりアレルギーが出るんですけれど。
少し緩和されてきたのかな。

いつも本当にありがとう。

この先も、「友達」でいられますように。


日々を生きていく力にします。本当に、ありがとうございます。