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254.AIはどこまで創作の世界を脅かすのか

MidjourneyというAI画像生成サービスが話題です。

指定のコマンドや英文を入れれば、その情景や人物、物を自動で描き出してくれるという、とんでもない画像生成の機能です。

これは誰でも神作画で誰にも想像がつかないような絵が描ける可能性に溢れたもので、まさにAIの実力をまざまざと見せつけられます。

こんなものがAIで描かれれば、もはや人間の入る余地はなくなるのではないでしょうか。

小説も、音楽もAIで創ることができる世界になってきています。

人間の職業がAIやロボットによって奪われる、という話はよく聞きますが、果たしてこういった創作やクリエイトの分野でも同様なのでしょうか。

小説を書いている一人として、その点を考えてみました。

AIは人類を凌駕するのか、並走するのか

シンギュラリティ、技術的特異点という、AIが人類の知能を超えるタイミングが2045年というのは、徐々に知られてきた説の一つではあります。
このタイミングの真偽や、そもそもAIが人類を超えるのかという問題自体は様々議論がありますが、そのような可能性があることはあちこちで語られています。

今の人類では想像もつかないような技術、発想が生まれることは考えられるかもしれませんが、今回のテーマはこれは創作の世界でも同じかどうかです。

小説に関しての視点でしか考えを話せませんが、これに関しては並走する存在になるだろうと考えています。

マンガのアシスタントさんみたいに、文章を創るという補佐であったり、時にはAIの創った表現の方が自分にヒットしたり、そういった存在になって小説としての彩りが広がるような存在になっていくように感じています。

人にしかできない部分がある、という感覚はあるかもしれませんが、そのうちどっちがどっちかわからないぐらい繊細な、厳密なデータのアウトプットが為されて、よりAIは人に近づいていく。
人もAIに影響を受けて変化していく。

やがて人かAIかというのは議論のメインじゃなくなっていく、そんな世界を想定しています。

車を機械が造ったか、人が造ったか気にしたことはない

車を見たときに、これはこういう機械が造ったんだなということを気にしたことはありません。
職人が造っても、機械が造っても、価値には差があるかもしれませんが、求めていることを満たすという点では大きな相違はないと思っています。

AIが書いた文章か、人が書いた文章か、という点は、これと同じぐらい気にならなくなる世界がやってくると思います。

要は面白ければいいのです。
人生が豊かになれば、それでいいのです。

その分過程はよりブラックボックス化していくことが考えられますが、そんなことを言い始めれば今この瞬間触れているインターネットの仕組みなんてよくわかりませんからね。

そうやって、AIがどれだけ発達しても人類と補い合い、どちらかの奪い合いや脅かしではなく、共存、並走ができる関係性になれば、世の中はより豊かになっていくように感じます。

AIの文章は、これから多くの人を感動させていくかもしれません。
僕には思いもよらないような言葉を紡ぎ出すかもしれません。

それでも、自分だけではたどり着けない境地が見られるとしたら。

そしてその場に、AIの力を借りて一緒にたどり着けるのだとしたら。

体験してみたくはありませんか。

その目で見てみたくありませんか。

その好奇心を奪うことはできません。
ワクワクを止めることはできません。

それが、クリエイターという生き物の性なのです。

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