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樫の木庵のマボ(第1巻 大賢者ニルバーニアと双頭の魔女)

樫の木庵のマボ

あらすじ

樫の木村に、小さな男の子と目の見えないおばあさんが、ひっそりと暮らしています。男の子の名前はマボ、まだ5歳です。少し臆病で控えめですが、優しい性格です。

このマボのお友達に、気が強く好奇心旺盛な孤児モモ、お金持ちを鼻にかける、つんとすましたお嬢様のネネがいました。樫の木村にある時、世界に広がっているはやり病がおそいました。

そこに普段姿を現さない大賢者ニルバーニアが現れました。大賢者は6歳まで病気にならないことに目を付け、マボ、モモ、ネネを、村を救う子供として指名します。

選ばれた3人は、迷い森の奥に住むという(病の謎を解くカギを握る)双頭の魔女に会うべく、冒険に旅立ちます。

-主な登場人物-

マボ:5歳の男の子。少し臆病で控えめだが、優しい子供。家は貧しく、町はずれの傾いた掘立小屋で暮らしている。
モモ:5歳の女の子。おてんば、おしゃべりで元気な子供。施設育ちで、街一、二位を争う金持ちシュールレ奥さんにひきとられている。
ネネ:5歳の女の子。お金持ちの子供で、つんとおすまししたお嬢様。

キッチュ:エルフの女の子。愛しのバブバブ坊やを探している。人間の子供を見つけると、虫に変えようとする。
バブバブ坊や:キッチュが探している森をさまよう迷子の赤ちゃん。口癖は「ばぶー」。ものすごく”はいはい”が速い。

アマノジャク:「ひひひ…いとしい、いとしい、モモとネネはどこだ!?」迷い森に住んでいて、背丈は子供くらいしかない、その正体は…!?

ニルバーニア:めったに人界に姿を現さない大賢者様。鳥と猫をこよなく愛する。
双頭の魔女:迷い森の奥深く、魔女の館を構える。2つの顔を持つ恐ろしい魔女。

奇妙な男:ニルバーニアの知り合い。コウモリ傘をかかえ、灰色の薄汚いかっこうをしている。凄い魔法を使えると豪語するが、いつまでたっても使わない奇妙きてれつな男。

樫の木ばあちゃん:マボと一緒に暮らす、目が不自由なおばあちゃん。

シュールレさん:モモの養母。ご主人をなくしているが、全国に展開するボルダック商店をひきついだため大変なお金持ち。口癖は「モモ、レディのたしなみというのは…」。

アルマンゾさん:ネネの父親。村のあちこちに土地を持ち、人にかして暮らしていてとても裕福。口癖は「ネネはとっても良い子」。

バルコさん:ジャンク屋の主人。口癖は「マボ、Tシャツ一枚買えねえよ」
ぶっきらぼうだが、優しい人でマボやモモに好かれている。

1.プロローグ 

 深い深い森の先。そこは決して人が踏み入れてはいけない場所です。たとえ入口が穏やかな森に見えるからと言って、うかつに入ってはいけません。だって、そこが恐ろしい”ゴブリンの洞窟”や”トロルの住む荒地”につながっているとも限りませんから……”草の海”と呼ばれている原っぱから続く”迷い森”も、決して入ることが許されない森でした。
 その森に足を踏み入れた者は、騎士でも力自慢の乱暴者でも名が知れた英雄でもありません。青いオーバーオールを着て、よたよた歩く子供でした。この子供の名はマボ。年齢は5歳になって数カ月を過ぎたばかり。”なんでまたこんなお子さんが、森に入ったのだろう…”、森にいるリスやら鳥やらが首を傾げて見つめております。
 マボという子供はそれはそれは臆病な子でした。ですので、リスやら小鳥に出会うたびに驚いて足を止め、首を傾げて眺めます。そうしてドギマギしながら、ゆっくりとゆっくりと歩いて行きます。樫の木ばあちゃん(マボは自分のおばあちゃんのことをこう呼んでいます)は、
「森には怖い怖いデュラハンや赤帽子、大耳族の魔神猫に人食い虎、そんなものがうようよしているんだよ。だから、森に決して一人で入っちゃあいけない。絶対に大きい人と一緒に行かなくてはいけないの。それに足を踏み入れたとしても、森の奥に行ってはいけない。二度と戻れなくなるのだから!」
 と口を酸っぱくして言ったものです。マボは正直な子供ですので、それをしっかり信じてしまいました。
 けれども、今のマボには森をうろつかなくてはいけない理由があるのです。森の奥深くに住むという”双頭の魔女”に会い、はやり病の原因を突き止めなくてはならないのです! 村では、不治の病にかかった人達が苦しんでおります。いえ、実をいえば、どこかしこでも、謎のはやり病が流行しつつあり、世界は大変なことになっているのでした。
 
 マボはいつか習ったばあちゃんの歌を歌おうと思いました。そうして、森の恐怖を振り払おうとしたのです。けれども、タイミングというものは悪いもので、何も思い出せません。マボはそれでも、一生懸命思い出そうと、歌の節を頭の記憶からたぐりよせました。まさに、その時になって風がぴゅうと吹き、ざわめくように木々の枝を揺らしたのです。その風は何とか枝にひっついていたドングリの実をポトリポトリと落としました。
 マボはもうそれだけで腰が抜けそうになって、その場に踏みとどまるので精一杯です。目を閉じ、体をかがめて風に耐えます。そうして、やっと風が落ち着いた所で、マボはそっと目を開けました。
 すると、何ということでしょう! いつのまにか目の前に少女が立っているではありませんか! 
「あー、いない、いない。どこにいったのかしら…おーい、バブちゃん、私の可愛い可愛いバブバブ坊や。返事をしなさい。さもないと、痛い痛いお仕置きをしなくちゃあいけないんだよ」
 女の子は言いました。突然現れた女の子に驚いた我がマボ坊やは、しっかりと地面に尻餅をついていました。しかも、御大層な事に、空気の足りない金魚のように口をぱくぱくしております。そんなマボに女の子は気付きました。
「あら、こんな所で、どなたかがお座りになっていらっしゃるようね…しかも、よく見れば、この森にはあまり入って行けない人間のお子さんじゃないかしら!」
 女の子は叫びました。怒っているのか、かわいい真ん丸お目目が、少しばかり釣り上がっています。
「この森はねぇ、妖精や動物が暮らす場所なの。決して人間なんかが、入ってはあいけないの。もしも、そういう悪い子がいたら、お父様に言いつけて、ブタやネズミに変えてもらうの!」
 もう女の子は本当に、怒っていました。怒りのあまり帽子は脱げ、金色の髪が逆立っています。不思議なことに女の子の感情に合わせて風が吹くのか、突風が地面から空に向かって吹き始め、木々のこずえをわさわさ揺らし、さっきよりもたくさんのドングリを空高く舞い上げました。マボは思いました。これが樫の木ばあちゃんが言っていた、怖い怖い妖精なんだと。見た目は可愛いらしい女の子でも、怒らせればとても厄介で恐ろしいものなんだと。しかも、ついていないことに、出会ったそばから女の子は怒っているではありませんか!
「だけど、私はそんな魔法は使えないの」
 こう聞いた時、マボはほっとしました。だって、ブタやネズミになってこの先暮らすのは、やはり惨めだと思ったからです。それに言葉も話せず、歌も歌えないなんて考えただけで、ぞっとします。けれど、女の子は言いました。
「私ができる魔法と言ったら、悪い子供をのみや毛虫、おけらなんかに変える魔法ぐらいなの」
 女の子はにやりと笑いました。その恐ろしい事。少しうつむいた女の子の目は陰で覆われています。それでいて、ギラリと光った瞳でマボをしっかりと見ているのです。
 マボは必死で、ばあちゃんに教わった妖精への対処法を思い出しました。しかし、こんな時程、頭の巡りは悪いもので、なかなか思い出すことができないのです。
 そうこうするうちに、女の子はブツブツと何かを唱え始めました。それが、子供を虫に変えてしまうおまじないだというのは、マボにでもわかりました。下から突き上げる風はさらに強くなりました。
 ここにいたってマボはいつの日か、樫の木婆ちゃんに聞いた対処法を思い出したのです。それは、ばあちゃんが節を付けて歌ってくれたものの一部でした。急いでマボは言いました。しかも、がんばって笑みを作っていいました(これはモモの教えです)。
「……お歴々」
 これは妖精への誉め言葉……敬いの言葉でした。女の子はおまじないを唱えるのをやめ、きょとんとしました。同じく下から吹く突風もやみ、舞い上がっていたドングリが雨のようにボトボトと降ってきました。そうしてこのお子さんは突然、何を言うのだろうというふうに、目をパチパチさせています。
「小さな人々、平和好きなの人たち、善いお隣さん……」
 これがマボが思いつく、すべての誉め言葉でした。女の子は幾分、怒りが和らいだように見えました。
「ふーん、あんたって、まんざらでもないようね。だけど、そんな風に誉めたって許さないわ」
 この時、マボは気づきました。女の子の耳は髪にかくれていましたが、風に吹かれて見えたのです。カールした豊かな髪からのぞくそれは、大きくとんがっていました。これこそが偉大なるエルフの証なのです!
「高貴な人!」
 マボは大声で言いました。途端に女の子は、にっこりしてしまいました。というのも、エルフとは誇り高い妖精です。他の妖精からは、高貴な人々と畏敬と畏怖をこめられ、呼ばれているぐらいなのです。無論、この森で最も偉い妖精族の一つです。そして、この言葉こそエルフへの最高の誉め言葉でした。
 マボはさらに繰り返して言いました。
「高貴なるエルフさん」
 女の子は、もうくすぐったいかのようにモジモジしながら、何とか怖い顔を作ろうとしていました。しかし、それはなかなかうまくいきません。怖い顔をしたかと思うとすぐに顔がほころんで、かわいい笑顔になってしまうのです
 マボはもう、できる限りの誉め言葉をまくしたてました。
「高貴で小さい人々、偉大なる平和な人、かわいいかわいいエルフちゃん…!」
 こんな具合にマボは思いつく限りの褒め言葉を並べました。特に最後の「かわいい…」という誉め言葉は、妖精に対するものではありません。しかし、多くの女性がそうであるように、やはりこの女の子もそんな誉め言葉は特にうれしかったのでした。
 マボが言い終わると、女の子はもうすっかり怒りが消えていました。
「なるほどね…人間でも、エルフの偉大さは知っているのね」
 マボが頷きました。
「でも、人間がこの森に入ることは、絶対に許されないの」
 マボはそう言われていささか恐縮しましたが、勇気を出して言いました。
「ごめん。僕はモモとネネと一緒にきたんだけれど、迷子になってしまったんだ。それに、村では病気で苦しんでいる人がいるから、何とかしなくちゃいけないんだ」
「だけど、だからってここをウロウロしちゃあだめなの」
「それはわかっているよ…森に入ってはいけないって、樫の木ばあちゃんはいつも言っていたもの」
「樫の木ばあちゃん?」
「うん。一緒に住んでいるおばあちゃんだよ。ばあちゃんは目があまり見えないんだ。でも、ミシンが得意で、いつも糸をつむいでいるんだよ! それに、ばあちゃんは妖精の事なら何でも知ってるんだ。夜になると、いつもお話ししてくれる。そして、僕らの住んでいる小屋の裏には立派な樫の木があるんだ。だから、樫の木ばあちゃんって呼んでいるんだ!」
 マボにとって、ばあちゃんは自慢のおばあちゃんでしたから、得意げになって言いました。
「ふーん…樫の木ばあちゃんって面白い名前ね」
「僕が考えたんだよ!」
 マボは低い鼻をぷっくらとふくらませました。これは、得意げな時にするマボの癖でした。
「そういうおチビさん、あんたの名前は?」
「僕はマボ。君は?」
「ハハハ。あんた変な名前ね。私はキッチュ。いい名前でしょ!」
 マボは内心「お互い様じゃないか」と思いましたが、またつむじを曲げられるわけにもいきませんので我慢しました。
「ねえ、君は魔法を使えるの?」
「もちろん!」
 横を向くと、キッチュは口を尖らせ、フッと息を吹きました。すると、その吐息は猛烈な突風になり、次にグルグル廻るつむじ風となって、近くのエルムの木に襲いかかりました。キッチュはさらに、オーケストラの指揮者のように、手を横に振ります。すると、そのつむじ風は意志をもったかのように隣のブナの木に襲いかかりました。その後に、キッチュが手を叩くと、その風はすっかり消えてしまったのです。
 マボは驚くやら感心するやら恐ろしいやら、まるで身動き一つせずにお地蔵さんのように固まって見ていました。そのマボの驚き様にキッチュは得意になったのでしょう。今度はマボの方に向かって、優しくそっと息を吹きかけました。するとその吐息は、春風のような穏やかな風となり、マボに届きました。本当に心地よいお母さんの腕に抱かれたらこんな感じだろうと思わせる素敵な優しいそよ風です。ほのかに花の甘い香りもします。これが、エルフであるキッチュの魔法の一端です。キッチュはここに至って大切なことを思い出しました。
「いけない! もしも、人間といるなんてことがばれたら、私はお父様に酷いお仕置きをされてしまうわ!」
 これは本当でした。妖精にとって人間に姿を見せる事でさえ、恥とされています。まして、調子にのって魔法を見せるなんていうことは、大変なお仕置きの対象となるのです。キッチュは困った顔をしました。
「僕は今のことを言わない」
 マボはきっぱりと言いました。そうして、さらに言葉を付け足しました。
「その代わり、力をかしてほしいんだ。だって、君は素晴らしい魔法を使えるだもの」
 この言葉は、再びキッチュを怒らせるのに充分でした。なぜなら、妖精にとって、人間とのこういう取引こそ最も忌み嫌われることだったからです。
「やっぱり、人間ていうのは、子供だってずる賢いのね!」
 こう言われても、今のマボはめげたりしませんでした。
「でも、お願い。助けて! 僕はモモとネネとすっかりはぐれてしまったんだ! 奇妙なおじさんはてんで頼りにならないし…僕は1人ぼっちになって、とっても困っているんだよ。それに、今では村でたくさん人がはやり病で苦しんでいるんだ。だから、助けて、お願いだよ。助けてくれたら、僕はブタにだってなるよ!」
 マボは思わず言いました。目には涙がたまっています。でも、苦しんでいる村の人のことを思ったら、どうなってもいいと思ったのです。
 その思いはキッチュにも伝わりました。思いに、人間も妖精も、もちろん、動物も関係はないのです。いえいえ、それどころか虫にだって、思いは伝わるものなのです。
「ふーん…妙なことを言う子ね。人間っていうのは欲張りで、自分勝手で、意地悪だとばかり思っていたけれど…おチビさんは、そうじゃないのかもね」
「僕はマボだよ」
「そっか、マボか…マボ……しょうがないわね。ところで、あなたは何で迷い森にやってきたの」
「僕はこの森の奥にいるという双頭の魔女を探しているんだ」
「双頭の魔女ですって!?」
「知ってるの!?」
「ええ、知ってるわ、当り前よ。とっても悪いおばあさんの魔女よ。そして、とっても恐ろしい魔法を使えるそうよ! だから、その魔女の住んでいる館には妖精も妖鬼も近づかないのよ。それどころか、妖精の騎士でさえ、近づかないようにしているわ!」
「妖精の騎士でも!?」
「ええ、そうよ。妖精の騎士はとっても、とっても強いのよ。下っ端の竜ぐらいなら、1人でも倒せるほどよ。でも、その妖精の騎士でさえ、敵わないと言われているの。だから、私も実際に見たわけではなく噂で聞いているだけなの。ともかく、近づかない方がいいわよ。どんな理由だとしても、その魔女が手助けしてくれるなんて思えないもの。マボ、もう諦めて帰った方がいいわ!」
 キッチュはマボのことを気に入ったのでしょうか…心から心配して言いました。
「ううん、僕は行かなくちゃいけないんだ。だって、村の人を助けないといけないし…そりゃ、僕だって本当なら行きたくないよ。でも、大賢者ニルバーニア様にも言われたんだから、僕らが行くしかないんだよ!」
「ニルバーニア様に会ったことがあるの!?」
 キッチュは驚いて目をまん丸くさせて叫びました。
 というのも、大賢者ニルバーニアの名前は、人間の世界だけではなく、妖精の世界にまで広くとどろいているからでした。
「うん、ついこの前会ったよ」
「そう、そうなの、あなたは選ばれし子だったのね。でも、この森は世界の果てまで続いているっていわれているぐらいだから、私も隅々まで知っているわけじゃないし……でも、わかったわ、私も力をかしてあげるわ。その代わり、マボも私の坊や探しを手伝ってよ」
「坊や…?」
「そう。私の大事な大事な赤ん坊。バブバブ坊やよ!」
「そのバブちゃんを一緒に探すの?」
「そう。赤いおべべを着ているの。とってもかわいいのよ!」
「わかった、探すのを手伝うよ!」
「ありがとう、じゃあ、これをかしてあげるわ」
 キッチュはそう言うと、自分が首にかけているメダルがついた首輪をマボにかけてあげました。それは、妖精の騎士だけがかけることを許される、とっても珍しいプラチナ色のメダルです。ピカピカに磨かれて輝いているメダルの表面には、緑色のオークの木が一本、彫られています。これこそが、妖精の騎士だけがかけることを許される世にも珍しいメダルでした。このメダルをかけることが許されたのは、世界でも何人もいないと言われています。すなわち、”白いカイト”、”鷹の目のレリアス”、”金剛力のシーボット”だけでした。どうしてこんな貴重なものを、小さなおチビ、マボ坊やにキッチュがかけたかは謎でした。それには、理由があるのですが、それはまた先の話でした。
「これはね、妖精の騎士だけが持つことができるメダルなのよ。きれいでしょう! これをかけていれば、デュラハンだって、意地悪ゴブリンだって、怖がって簡単には手を出さないわ! それにね、このメダルをかけていれば、私とどこにいたって心の中でお話ができるの! だから、マボにこれをかしてあげるのよ!」
 これはマボにとって本当に幸運なことだったのです。しかし、マボはびっくりして言ったのです。
「今、デュラハンって言った!?」
「ええ、言ったわよ。どうかした?」
「キッチュはデュラハンを見たことがあるの?」
 マボは”妖精と魔法騎士ペロンちゃん”という絵本を繰り返し読んでいました。これは、マボのお気に入りの本でした。いつも寝る前に読むのが習慣だったのです。だって、マボは誰にも言ったことはありませんが、本当は魔法騎士になりたかったのですから! その絵本の中に、世にも恐ろしいデュラハンというものが出てくるのです。
「もちろん、見たわよ。デュラハンはね、夜な夜な迷い森をさまよい歩いているのよ。そして、やっぱりさまよっている旅人を見つけては、利き手にもったその大きな斧で切り刻んでしまうの。2mをこす大男で、ものすごい力があるのよ。鉄の棒だってぐにゃりとまげてしまうほどよ。真っ赤な狩衣を着ているから、見ればすぐにデュラハンだってわかるの。でも、何より恐ろしいのはデュラハンは、左手には自分の首を抱えているのよ。何でも悪いことを繰り返したため、罰として首が転げ落ちてしまったそうよ。それでも、今でもこりずに人を探して回っているんだって」
 マボはこれを聞くと、何度もぶるっ、ぶるっと体を震わせました。なぜなら、魔法騎士ペロンちゃんは絵本の中のものと知っています。もし、デュラハンに遭遇でもしたら、誰も助けてはくれないでしょう。マボはそれをわかっていたので、心底恐ろしくなったのです。キッチュはマボがあまりに怖がるので、慌てて言いました。
「でも、大丈夫よ、きっと。迷い森はとっても広いし、私だってはっきり見たわけではないのよ。遠くにいるのを一度見たきりよ」
「本当?」
 マボは心配そうにたずねました。
「本当よ。だから、そんなに怖がる必要はないわ…いけない、すっかり話し込んでしまったわね。私はちょっとこれから行くところがあるから、またあとでね。困ったら、メダルに触れて私に呼びかけるのよ、きっと、かけつけるから!」
 キッチュがそう言うやいなや、一陣の風が吹いたかと思うと、あっという間に姿を消してしまいました。後には風に吹き上げられた木の葉が、舞うばかりでした。
 しばらく、マボはキッチュがいなくなった場所をぼんやりと眺めていましたが、木の上で歌うように鳴いている色鮮やかなオウムに気付くと、はっとして再び一人ぼっちで森歩きを再開したのでした。


2.樫の木ばあちゃん

 迷い森の一番近くにある村は”ヤドリ”とか”ヤドリ村”と呼ばれていました。
 ヤドリ村の西の外れには、柱を直接地面に埋め込んだそれはみすぼらしい掘立小屋が立っており、その裏庭には似つかわしくないほど立派でたくましい、何百年も生きている樫の木の大木が立っていました。
 その掘立小屋には、小さな5歳の男の子と、とても目の悪いおばあさんが住んでいました。子供の名前は”マボ”と言います。マユの上で切りそろえた栗毛色の前髪、後ろはすっかりかりあげて、かわいい頭をしています。ダークブラウンの目はくりくしており、鼻は低めです。いつも紺色のオーバーオールを着ておりますから、みんなはすぐにマボと気づきます。
 小屋では物知りの樫の木ばあちゃんが、休むことなく踏み板を踏んで、糸をつむいでいます。ですから小さな部屋が一つしかないそのみすぼらしい小屋では、いつも糸車が回る”カタカタ、カタカタ”という音が響いておりました。
 マボはその音を聞くのが好きでした。だって、ほんの赤ちゃんの頃から、いつもその音を聞いて育ったからです。樫の木ばあちゃんの回す糸車の音は、マボにとっては子守唄のようなものなのですね。
 ところでみなさんはなぜ、”樫の木ばあちゃん”と呼ばれているか詳しく知らないと思います。これはマボという子供が空想にふけるところがあるからでした。というのもマボのおばあちゃんというのは物知りで、眠る前やおやつの時間、夕食の時によくお話をしてくれたからです。それは、迷い森にすむと言う妖精の話(樫の木ばあちゃんは、かわいい小人や高貴なエルフに会ったことがあると言っています)、大陸の真ん中にあるきらびやかな王都の話、北の地の果てに住むという竜族の話など、つきることはありません。もちろん普通の子供が大好きな、昔話やら童話だってたくさんお話しをしてくれるのです。
 そんな物知りばあちゃんの自慢は、家の裏にある立派な樫の木だったのです。ばあちゃんは長生きした老木には精霊が宿ると言う考え方を持っていました。ですので、毎朝のように樫の木のところに行っては、
「樫の木のお友達。いつも私たちを見守ってくれていてありがとうね。どうか、私のかわいいマボを正しい方向に導いてくださいね。そして、思いやりの深い子供に育ててやってくださいな」
 などと、あいさつをするのです。そういうこともあり、マボは自分のおばあちゃんが、樫の木とお話しできるのではないか、樫の木にはばあちゃんが言うように見えない何かがついているのではないか、と思っているのでした。それで、村の友達には樫の木ばあちゃんと言うことにしていたのです。
 時々ばあちゃんはマボに、樫の木に挨拶するようにいいます。マボは毎日ではありませんが、しばしば樫の木の前に行き、心の中で「おはよう」とか「おやすみ」とか言いました。マボも小屋の裏にたたずむ樫の木が大好きだったからです。
 もちろん、マボは樫の木のお友達の声を聞いたことはありません。ですが、夕方の空に溶ける風が吹き、梢が揺れる音を聞くと、不思議に心がざわめきます。樫の木の上の梢に住んでいる小鳥の親子が、朝になるとピイチク、ピイチクと楽しそうにおしゃべりしていると、マボもうれしい気持ちになります。時折強い風が吹いて高い梢がごうごうと揺れて、葉っぱやどんぐりをぽとりと落とすことがあります。そんな時、樫の木が返事をしてくれているように思えて、マボは喜ぶのでした。

 こんなマボと樫の木ばあちゃんが住む掘立小屋は、ひどくみすぼらしく、狭く、夏は暑く、冬は寒いところでした。村の一番西のはずれにポツンと一軒だけ立っていて、目の前には原っぱが広がっています。灰色の板は腐食が進んでいますし、ところどころに緑の苔がはえています。特に日が当たらない北側はひどくいたんでいます。床はミシミシいいますし、立てつけの悪い鎧戸はしっかり締まらず、風が吹くとガタピシ言います。作りの良くない建物ですので、あちらこちらで風が吹き込んできしむ音がしますし、ネズミのちょろ太がどこかの隙間をぬってたずねてきては、床に落ちたパンくずをしっけいして帰ることだってあるのです。樫の木ばあちゃんは、いつか小屋が崩れてぺしゃんこになるのではないかと、本気で心配しているほどでした。
 このような小屋の状況ですので、経済はまったく良くありませんでした。ばあちゃんが村の人から頼まれてつむいだ糸のお金で日々の糧を得ていましたが、それだけでは足りません。
 マボは外が暗い早朝に竹で編んだかごを背負って出かけていきます。村の家々の軒下に出されているガラクタを、トングで拾い集めるのがマボの日課だったのです。そのガラクタは、マボの住む掘立小屋とは反対…村の中央にある塔のように高い時計台を通り過ぎ、さらに、ずいぶん歩いた先にある東のはずれのジャンク屋に持っていきます。ジャンク屋ガレージの入り口には箱や液体が入ったプラスチックケース、あちこちから集められたがらくたが山のように置かれています。その山の中に埋もれるように、サングラスをかけて、いつもせわしそうにトンカチをトントン叩いたり、のこぎりでギィコギィコ切ったり、火花を散らして溶接しているのがジャンク屋の主人バルコさんでした。ジャンク屋の主人も経済は上向きとはとても言い難く、いつも煤汚れているTシャツを着ており、「マボ、Tシャツ1枚買えねえよ!」と言うのが口癖でした。
 バルコさんはぶっきらぼうで、村の中では奇人として通っています。中には子供をジャンク屋に近づけるのを嫌がる人や、バルコさんが通りかかると顔をしかめてあからさまに避ける人までありました。
 しかし、マボはバルコさんがとても気の良い人だと思っていました。「よう、マボ、いつもガラクタをありがとうな!」とか、「樫の木ばあちゃんは元気か?」とか、「あまり無理するなよ」などとマボに会うたびに励ましてくれます。寒い時などは工場の前でたき火をおこして、そこで焼いた焼き芋やじゃがいもをくれることさえあったのです。そんな時だってバルコさんはおしつけがましくはなく、「マボ、温まるぜ、これを持って行け!」なんて、ぶっきらぼうに言うだけでした。
 このバルコさんにガラクタをわたすと、いくばくかのお金がもらうことができますので、マボは帰る道すがら、村一番の品ぞろえを誇るボルダック商店に立ち寄ることにしていたのでした。
 こんなマボを道端で見かけると、村の子供の中には、”ガラクタ集めのマボ”だとか、”ガラクタ坊や”と呼んでからかう子がいました。マボは大人しい子供ですので、顔を曇らせながら、その場から足早に離れるのでした。

3.おてんばモモ

 ボルダック商店は繁盛していて、朝早くから何人ものお客さんが来ています。秋が迫り、少し肌寒く感じるこの朝でもそうでした。商店の前にはお買得のパンや惣菜、お弁当用のサンドイッチがおいてあり、それは良い香りを漂わせています。お店に入ると、ところ狭しと食料品や日常品が棚に並べられています。その一角には本のコーナーもありましたので、マボはたまに絵本を手に取って読むことができました。また、一年に一度だけ、クリスマスに安いおもちゃを買うことができるのですが、いつもは眺めるだけのおもちゃコーナーもお店の隅にありました。そこにはぶりきのロボットやら、かわいい赤ちゃん人形なんかも置いてあったのです。カウンターには店員が立って愛想をふりまいていますし、その後ろの地面には小さい樽が二列で並んでおり、塩や砂糖が入った麻袋も置かれています。カウンターの上にはきらきら輝く宝石が埋め込まれたブローチや調度品が置かれ、店員が背にする壁には美しい帽子がいくつもかけられていました。
 そんな盛況なボルダック商店で、マボはいつものお買い得品、黒パンと紙袋に入った少しばかりの砂糖を買うのがお決まりでした。砂糖はばあちゃんが一日で一番楽しみにしている、ティータイムで飲む紅茶に入れるためのものでした。
 このボルダック商店を経営しているのは、村で一、二を争うお金持ちのシュールレ奥さんでした。シュールレ奥さんはかつて王都に住むそれはお金持ちのボルダックさんと結婚しました。ボルダックさんはその名の通り、いくつもの大きな町でボルダック商店を経営している旦那さんだったのです。しかし、残念なことに何年か前に病気で亡くなってしまいました。資産や商店はすべてシュールレさんが引き継ぎました。経営の多くは従業員に任せ、今は故郷であるヤドリ村に帰ってきているのです。このような大変な資産家ですので、村の南の大きなお屋敷が立ち並ぶ場所でも、とびきり大きなお屋敷に住んでいました。屋敷にはメイドのテディや、執事のオジャムを従えています。加えて、マボと同い年のかわいい女の子、モモも引き取って育てていたのです。モモは理由があって親元を離れ、シュールレさんのお屋敷に引き取られていたのでした。
 モモは気が強く好奇心が旺盛、とてもはきはきとして、それは元気の良い子供でした。一方で感情的になりやすく、そそっかし屋なところもあります。いつもではありませんが、たまに行くと、奥さんにつれられてボルダック商店に姿を見せることもありました。この日もそうでした。マボが黒パンを買いにたずねると、モモがせっせと乱れた棚の商品を、きれいに並べているのです。モモはシュールレ奥さんの子供のような存在ですから、店員からは”お嬢さん”と呼ばれて、それは大事にされています。裾や袖にかわいいフリルがついたピンクのドレスを着ており、腰の前でリボンベルトを結んでいました。肩まで伸びる長くて光沢のある赤毛には、淡いピンクの小さいリボンをつけています。ピカピカ光る上等な赤い靴を履いており、薄汚れて使い古した靴を履くマボとは正反対です。
 モモはマボを見かけると、こんなふうに声をかけてきたのです。
「あら、マボさんではありませんか、ごきげんよう! お体の具合はいかがですか!?」
 なんて、5歳の子供なのに言うのです! これはシュールレさんが人一倍、しつけに厳しい奥さんだったからです。”レディのたしなみというものは…”と何かに付けて口やかましく言う人なので、モモも話し方に気を使っているのでした。ですが、シュールレ奥さんが誰かと話し込んだり、目が届かないとわかると、本当のモモが姿を現します。
「ああ、マボ、このフリルがついたドレス、なんて腰が窮屈なんでしょうね! なんで、大人たちというのは、こんなにも面倒な服を着せたがるのかしら!? シュールレの奥さんをごらんなさい。”おほほ…”なんて、すまして笑っていらっしゃるわよ! ああ、私はシュールレさんの窮屈なお屋敷は、耐えられないの! 今すぐにでも家出したいぐらいなの、ねえ、マボ。あなたならわかってくれるでしょ!」
と、まくしたてるのでした。
「モモ、家出したいの、あんな立派なお屋敷に住んで、おいしい御馳走も食べられるのに!?」
 マボは人差し指をくわえながら、驚いてたずねます。だって、ガタピシいう狭い家で硬い黒パンをかじるマボですから、モモの暮らしぶりは、やはり、うらやましかったのです。
「ええ、そうよ。私は今すぐにでも、この赤い靴とドレスをぬぎすてて、原っぱをかけまわりたの!」
「原っぱを!?」
 マボは目を丸くさせました。マボはいつだって、小屋の目の前に広がる原っぱを自由に、好きなだけ、どこまでも、駆け回ることができるからでした。それは、マボにとっては当たり前すぎて、普通のことにしか思えませんでした。
「マボ、私はね、いつもあなたをうらやましいと思ってるのよ! だって、口やかましいシュールレの奥さんもいないし、何でも気を回すメイドのテディもいなければ、いつも奥さんの顔色をうかがっている執事のオジャムもいないでしょ。それに、あなたはいつだって自由にどこにでも行けるんだもの! 原っぱに住む綺麗な蝶々と追いかけっこすることもできるし、地面に寝転がってかわいい草花を好きなだけ眺め続けることだってできるわよね。本当にうらやましいわ!」
おしゃべりなモモは、いつもマボを見るにつけ、このようにまくしたてながら話しかけてくるのでした。
「僕はモモがうらやましいよ。だって、いつもお肉やクリームたっぷりのケーキを食べているって聞いたよ!」
 マボは樫の木ばあちゃんが、夕飯の時にいつかしていた話を思い出しました。それはこうでした。もちろん、マボと樫の木ばあちゃんが食べているのは黒パンと野菜のくずが入った粗末なスープだけです。

「マボ、シュールレの奥さんの家ではね、毎日お肉が出るらしいよ」
「お肉? 僕は生まれてこの方、食べたことがないけれど、それはおいしいの?」
「ええ、とってもおいしいのよ。ばあちゃんもいつ食べたんだが、忘れてしまったけれどね……ああ、マボにもいつか食べさせてやりたいねえ」
「ばあちゃん、僕はスープと黒パンがあれば、十分だよ」
 マボはこう答えるのが常でした。しかし、頭の中で御馳走を思い浮かべています。
「それにねえ、マボ。あの家では毎晩デザートで、クリームたっぷりのパンケーキが出るらしいよ。チョコソースをかけたり、イチゴやバナナもついている時だってあるそうよ」
 これにはマボも驚きました。
「クリスマスでもないのに!?」
 というのも、マボにとっておいしい、おいしいケーキが食べられるのは、一年に一回、クリスマスの夜だけと決まっているからでした。実をいえばマボはとても食いしん坊ですから、紙切れの裏に手作りカレンダーを作って、クリスマスの日を大きく赤で二重丸に囲み、来る日を毎日のように確かめては楽しみにしているほどだったのです。
「そうだとも、マボには本当に苦労をかけるねえ」
「いいんだよ、ばあちゃん。僕には黒パンがあるもの。それに、あと一週間ガラクタ集めをしたら、ほんの少しのはちみつを買ってくるから。一緒に食べようね」
 マボは言うのでした。

 このような粗末な生活を送るマボですから、モモの豪華な食事について指摘したのです。けれど、モモははっきりと答えました。
「いいえ、そんなものは野原を駆け回ることに比べたら、うらやましくもなんともないわ。確かにマボの言う通りよ。最初は私も毎晩、お食事が楽しみだったわ。でも、考えてごらん。あんなにこってりしたもの、毎日食べたらおかしくなるわ。たまに食べるからいいのよ、あんなものは!シュールレの奥さんをごらんなさい、体を動かさず食べてばかりいるから、動くのも重そうなくらい体が大きくなってしまっているのよ! しかも、ダイエットしているにも関わらず、”お肉は別腹!”なんて言って、なんべんもおかわりをするの! 私は毎日お勉強ばかりでしょ。体も動かさず、食べる食事ほどまずいものはないわ。私は明日にでも家出するつもりなの!」
「家出するの…どこに行くつもりなの!?」
 マボはこわごわとたずねました。モモはりんごのようにほっぺを赤く紅潮させ、大きい目をきらきらと輝かせています。
「もちろん、迷い森よ!」
「迷い森だって!?」
 これにはマボもびっくり仰天、自分のことのようドギマギさせながら叫びました。というのも、迷い森を恐れて、村の大人もめったに近づくことはありません。ヤドリ村と迷い森の間にある原っぱで遊ぶ子供たちだって、迷い森には足を踏み入れないように気を付けているぐらいなのです。実際に足を踏み入れようものなら、お尻をはたかれたり、痛いお仕置きを覚悟しなくてはいけないほどです。その森に5歳の女の子モモは、自ら「行きたい!」と言うではありませんか!
「だめだよ、モモ。あの森には恐ろしい魔女や虎、妖精なんかが、うじゃうじゃ住んでいるんだから!」
 マボは見たこともないのに、さも自分が経験したかのように言いました。
「マボ、これだけは言っておくわ。妖精には良いもの、悪いものがあるのよ」
「良いものと悪いもの?」
「ええそうよ! でも、たいていの妖精は人間の事を、大嫌いなのよ。だって、人間は身勝手で、住んでいる星にこれっぽっちも感謝しないし、食べ物にもお礼なんか言わないからね。だから、妖精だけでなく、動物だって、人間を嫌っているのよ」
「そうなんだ…」
 マボはとても残念に思いました。というのも、マボが大好きな絵本、”妖精と魔法騎士ペロンちゃん”に出てくる妖精は、とても優しく、親切に子供を助けてくれるのですから。モモはがっかりしたマボに気付いたのでしょう。励ますように言いました。
「でもね、マボ。中には人間を嫌っていない妖精もたまーにいるのよ!」
「それは、どんな妖精?」
 マボはうれしくなって、顔をぱっと明るくさせました。
「そうねえ…」
 モモは後ろで手を組み、しばらく考えてから言います。
「そういう妖精はねえ、にっこり笑いかけるといいのよ。良い妖精はね、子供の笑う顔を見ると、親しみを覚えることがあるのよ。だからね、もしもばったり出くわしたら、マボもにっこり微笑んで話しかけてごらん!」
 マボはモモの言葉に深くうなずきました。
「ねえ、モモ。でも、何だって迷い森に行きたいんだい?」
「決まっているじゃない!」
 モモはすぐに答えました。
「私は魔女になるの! 森の奥に住む魔女に会って、魔法を教わるの。私も魔法使いになるのよ!」
「魔女になるだって!?」
 マボは再び驚きのあまり、声を上ずらせ、口を閉じるのを忘れてしまいました。マボ坊やはおてんばレディ、モモにてんてこまいです。
「ええ、私はきっと魔女になってやるの。そうして、悪い大人たちをね、かたっぱしから魔法でこらしめてやるのよ、ああ、楽しみ!」
「こらしめるって、誰をこらしめるんだい!?」
 マボはまた不安になって、人差し指をしゃぶり始めています。
「決まってるじゃない、シュールレの奥さんよ! 二言目には”外で遊ぶお暇があったらお勉強しなさい””お勉強が終わったらピアノを弾く練習をなさい””ピアノが終わったら、本をたくさん読みなさい、モモ、本がさかさまですよ!” だもの、嫌になっちゃうわ。外で遊ぶ暇もありゃしないわ! だから、魔女になってシュールレ奥さんを動物に変えてしまうつもりよ!」
 モモが不敵に笑うので、マボは本当に怖くなってしまいました。だって、自分も動物……例えば、ネズミのチョロ太なんかに変えられて、みじめにパンくずを拾って暮らすなんて、考えてもみたくなかったのです。そんな青ざめたマボの表情に気付いたのでしょう。モモは言いました。
「どうしたの、マボ? もしかしたら、動物に変えられるのが怖いの?」
 マボがコクリとうなずくと、
「大丈夫よ、あなたを動物になんて変えたりしないわ!」
 これにはマボもほっと一息、肩をなでおろしました。
「マボ、私たちはお友達なんだから! そうねえ…マボはいったい変われるなら何になりたの!?」
 優しいモモはマボの希望をかなえてくれるのでしょうか? マボの顔をのぞきこむようにしてたずねました。マボの坊やは一生懸命考えましたが、”やっぱり僕は魔法騎士か妖精の騎士になれたらいいな!”と内心で思いました。それから、モモは自分を何に変えてくれるのだろう? とマボは、わくわくして鼻をぷっくりふくらませながら、モモの瞳を興奮して見つめました。しかし、モモはもっと恐ろしいことを言ったのです。
「マボを変えるとしたら…やっぱり、オケラやミミズ、虫に変えてしまうのがいいわね!」
 これには、マボもビックリ仰天、ほっとした後に期待を膨らませたそばから、全くの不意打ちをうけたのです。マボは不安になると鼻をひくひくさせる癖がありましたので、今ももちろんそれをしています。すると、モモはお腹をかかえて笑いながら、シュールレの奥さんのような言い方で話しました。
「おほほ…マボの坊や。ちょっと、冗談がすぎましたわね。ええ、冗談ですのよ、冗談。今日は楽しかったわ。また、お話ししましょうね、ごきげんよう!」
 モモはパニエをはいてほのかにふくらんだドレスの両端をちょこっとつまむと、軽く持ち上げてレディのようにすましながら、軽く膝をまげてあいさつをしました。それから話し終えたシュールレ奥さんと手をつなぎ、足早にボルダック商店から出て行ったのです。
「なんだい、モモったら! 僕を虫に変えるだなんておどかして。僕は虫ではなくて魔法騎士になりたいのに!」
 マボはつぶやきましたが、実のところ”虫に変えられなくて良かった!”とほっと溜息をつきました。それから、すっかり話し込んで道草をくってしまったマボも、黒パンと少しの砂糖を買うと、急いで樫の木ばあちゃんが待つ小屋へと帰って行ったのでした。

4.ニルバーニアと選ばれし3人の子供 

 今お話ししたように、樫の木ばあちゃんや友達のモモ、ジャンク屋のバルコさんなどと仲良くしながら、粗末な掘立小屋でマボはひっそりと暮らしていたのでした。そして、そんな日々は明日も明後日も、その次の日も…季節が春、夏、秋、冬と移り変わり、巡り巡っても、ずっと変わらずに繰り返すとばかりに思っていたのです。
 しかし、それは嵐のように突然やってきました。村の人たちが次々と”ゴホン、ゴホン”と咳き込み、はやり病にたおれたのです。何でもとなり村もそのとなりの村も、はたまたその隣の村も、いえいえ世界中のあちらこちらで、”ゴホン、ゴホン”と咳が響いているというではありませんか!
 残念なことに大陸で一番偉いとされる王都の王様は、病気を食い止めることにあまり関心はなく、お金をためることにしか興味がなかったのです。ですので、世界一高いと言われる100階建ての塔の99階にひきこもり、夜な夜なためこんだ金貨を数えていると噂されていました。こんなわけで、はやり病は世界に広がるばかりだったのです。
 さいわい、マボの暮らす村はずれのみすぼらしい掘立小屋をたずねる奇特な人はほとんどいませんでした。この掘立小屋をたずねてくるのは、ねずみのちょろ太やそのお友達のねず子、ヤモリのやもちゃんぐらいだったのです。当然、人との交流も盛んではありません。ですので、マボも樫の木ばあちゃんも元気でした。しかし、樫の木ばあちゃんは糸車を回す踏み板の足を止めては、
「いったい何が起きているのかしらねえ。この頃、世の中は本当におかしいねえ。まるで、この世とあの世がごちゃまぜになってしまったみたいだわ。でも、マボは正しい道を行くのですよ」
 と、深くためいきをつきながら、心配そうにつぶやくのでした。
 そして、空が茜色に染まる夕暮れ、カラスの親子が家路についてカアカア鳴いているのが聞こえた時でした。すきま風がもれて今にも壊れそうな掘立小屋の扉を、バン、バンと叩く者が現れたのです。樫の木ばあちゃんは思わず糸車を回すのをやめ、耳を傾けました。
「あれまあ、こんな夕暮れの時分に、家を訪ねてくる人があるなんて、珍しい日だわね。マボ、誰なのか見てきて頂戴」
 マボが扉を開けると、そこには肩で息をするモモが立っていたのです。モモは何か大事な用があって、この村はずれまで、かけにかけてきたのです。
「マボ、今ネネのお屋敷に大賢者様がきているのよ! それでね、村中の子供たちを集めるようにおっしゃったのよ。さあ、マボも早く来てちょうだい!」
 モモはいつになく真剣な表情でそういうと、マボの手をひっぱってすぐにでも連れて行こうとします。あわてたマボは夕飯のためにテーブルに置いていた黒パンを一切れ手に取ると、
「ばあちゃん、ちょっと行ってくるよ! すぐに戻るからね!」
 そう言って、口に黒パンを加え、モモと一緒にネネのお屋敷に向かったのでした。
 
 ネネのお屋敷は”長者御殿”などと呼ばれるそれは立派なお屋敷でした。モモの住むお屋敷の隣にありますから、彼女にとってはネネは”お隣さん”なのです。ヤドリ村で一番のお金持ちは誰なのかという話になると、村の人たちはネネのお屋敷か、モモのお屋敷かどちらかで、意見が分かれます。最終的にはどちらかが一番で、どちらかが二番という意見で落ち着くのですが…。
 モモとマボは噴水がある広々とした庭をかけぬけ、銀色の輪をくわえる虎の顔のあるいかめしいドアの扉をたたきました。すると、扉が開いて、屋敷の大事なお嬢様ネネと背の高い執事が迎え入れてくれました。
「あら、マボもつれてきたのね」
 つんとおすまししたお嬢さん、ネネが言いました。ネネはフリルのついたコバルトブルーのドレスを着ていました。腕には赤いボンネットをかぶった、それはかわいいミルク飲み人形を抱いています。
「ええ、そうよ。マボだって、村の子供だからね!」
 モモは少しばかりネネをにらみつけながら言いました。このお金持ちのお嬢さんたちですが、実を言えばあまり馬が合いませんでした。というのも、モモの家で遊ぶと、すぐに庭で追いかけっこや鬼ごっこ、隠れん坊が始まります。ネネは外で遊ぶことが大嫌いでした。大事なドレスや靴に泥がつくのも嫌ですし、運動も得意ではありません(ネネが得意なのは計算でした)。ですから、すぐに捕まってしまい、いつも鬼をやる羽目に陥るのです(仮にネネがお屋敷で召使と鬼ごっこをするとしましょう。すると、みんなは気を使って、ネネはいつまでたっても捕まることはないので、とても気分よく遊べます。そんな時、決まって召使は最後に「お嬢様は賢いばかりではなく、運動神経も素晴らしい、降参です!」と口をそろえて、おべっかを言います)。けれども、モモは遊びに遠慮なんてしませんから、ネネを追い掛け回して捕まえてしまいます。しまいにはネネはへそを曲げて、勝手に家に帰ってしまうのが常でした。
 一方、モモが遊びに行くと、ネネのお家でおままごとや人形遊び、お姫様ごっこなどが始まります。お姫様ごっこをすれば、お姫様の役はいつだってネネでした。モモはといえば、召使か悪い魔女にさせられます。お嬢様ごっこでもお嬢様は、当然ネネです。モモはやっぱり召使です。腹を立てたモモは、動物ごっこを提案します。モモはライオンになったり、猫になったり、とにかく駆け回ります。ネネはといえば、うさぎになってぴょんぴょん飛び跳ねるのですが、すぐに飽きてやめてしまうのです。最終的にはお人形あそびかおままごとをやることになり、やっぱりモモも一抜けたで帰ってしまうのでした。
 こんな具合ですので、2人はお隣さんだというのに、あまり遊ぶことがなかったのです。
「マボ、相変らず汚れた古い靴をはいているのね。おばあちゃんに言って買ってもらえばいのに!」
 ネネはいつもの調子で言いました。このようにお金持ちのネネは配慮もありませんし、何でもお金で買えると思っています。これは悪い癖でした。
 マボはそう言われたものですから、思わずうつむきました。もちろん貧しいマボは、新しい靴を買う余裕なんてないのです。モモはマボをかばって言いました。
「あら、ネネの靴のようにどれも新品のようにピカピカな方が変よ。まるで、外で遊ぶことも、駆け回ることもない、不健康な子供の靴よ!」
「モモったら、私に対してはいつもやっかみで悪口を言うのね。お父様に言いつけしまうから! 外で泥んこになって遊ぶなんて、お行儀が悪い子供がすることよ。お行儀が良い子は私のように、家の中でお勉強や本を読むものなの! もっとも、あなたにお行儀なんて言ったって、通じないでしょうけれどね!」
「やっかみなんかじゃないわ。本当のことを言ったまでよ! ええ、どうぞやってごらんなさい。あなたの大好きな”お父様”に言いつければいいでしょ。あなたじゃなくて、私が言っていることが正しいってきっとおっしゃるわ!」
 モモとネネは会ったそばから一瞬即発になりました。マボはといえば、2人の間でおろおろするばかりです。しかし、その時屋敷の中からネネのお父さん-アルマンゾさん-の呼ぶ声がしました。
「ネネ何をしているんだい、早くこっちにおいで。お友達もきているんだろう。早く一緒にきなさい」
 こう言われたので、モモとネネは同時に「はーい」と返事をし、思わず顔を見合わせました。それから、”ふん”と鼻をならして、お互いの顔を見ないように顔をそむけると、肩を怒らせながら屋敷の中に入ったのでした。

 お屋敷の大広間には、村中にいる子供たちが集められていました。子供と言ってもマボと同い年くらいの小さい子供ばかりです。とはいえ、赤ちゃんはいません。さらに、まだ病気にかかっていない村の大人たちも何人かいましたが、一様に眉をしかめて険しい顔をしています。その重苦しい雰囲気にマボの足取りも重くなったのですが、すぐにそれは驚きと喜びに変わりました。大広間の真ん中に、赤い法衣を着ているめったにお目にかかることができない有名な人物がいらっしゃったからでした。
 その人物は大賢者と呼ばれ、世界中にその名が知れ渡っています。大賢者様の名前はニルバーニアと言いました。右手にはフラーナの杖と呼ばれるそれは古めかしい、けれどもよく磨かれてつやめいた木の杖を持っており、首には淡い青色で薄地のそれはおしゃれなマフラーをしています。赤い法衣とひとつづきのフードを深々とかぶっており顔は見えませんが、透き通るような色白の素顔をわずかにのぞかせています。そのフードからはカールした茶色の髪がわずかに垂れていて、かすかに揺れています。
 この人は人前にめったに姿を現さないことで有名でした。普段は人里離れた緑豊かな湖のほとり、頂上に雪が残る荘厳な山々がみはらせるそれは心地よいログハウスで、猫と一緒に暮らしているとされています。何でも、そのログハウスには妖精が訪ねてくることもあるとか、ないとか、噂が聞こえてきます。つまり、ほとんどの人が噂でしか耳にしたことがない人物だったのです。ヤドリ村でニルバーニアに実際に会ったことがあるという人は、90歳まで生きている牛乳屋の御隠居さんだけということです。
 そんな大賢者様が人界に姿を現したわけですから、世界が大変な危機に陥っていることは明らかでした。ニルバーニアの隣にはネネのお父さん、アルマンゾさんがおり、熱心に話し込んでいます。アルマンゾさんは色つやの良い立派な口ひげをした人で、村の人からも信頼が厚い人です。金持ちということを鼻にかけるのがたまにキズですが、根は悪くありません。村のあちこちに土地を持っており、人に貸してそれは裕福な暮らしぶりです。
「ニルバーニア様、いったいこのはやり病はいつまで続くというのでしょうか!? そして、治療する方法はあるのですか!?」
 アルマンゾさんがたずねました。心配ですから、自然に声が大きくなっています。いつのまにか、大人たちはみな、ニルバーニアを取り囲むようにして立っています。子供たちはといえば呑気なもので、大広間の絨毯が敷かれたはしの床に座って、おしゃべりするものもあります。お屋敷のお嬢様、ネネは自慢のおもちゃ箱を持ち込んで、子供たちに得意げに見せびらかしています。ですが、触るのは自分だけ、子供たちは見るだけなのです。しかも、他の子をさしおいて、自分だけはちゃっかり椅子に座っているのでした。黒色の髪を両端で結んでツインテールにしているネネは、アルマンゾさんの一人娘で、それは大切に育てられていました。ですので、父親のようにお金持ちを鼻にかけるところがあるのでした。外で遊ぶのが大嫌いなので、日に焼けておらず、色白でした。
 一方、モモとマボのくりくりの瞳は、大賢者ニルバーニアに釘付けでした。ニルバーニアの顔はフードで見えず、ただピンク色の口元のみがあらわになっています。
「そうじゃのう…」
 それが、マボとモモが初めて耳にしたニルバーニアの言葉でした。話し方はお年寄りのそれですが、その声は若い娘のようでした。
「いったいいつまで、この病が続くものなのか…私にもわからないのじゃよ」
「ニルバーニア様でもですか!?」
 アルマンゾさんは驚いて言いました。
「ああ、そうなのじゃ。私も何度も星石で占ってみたのじゃが…」
 ニルバーニアは首を横に振りました。それから、淡い紫色のシルクの布きれと、ひもで結んである小袋を懐から取り出しました。子供たちはおしゃべりをやめ、みんな大賢者ニルバーニアの方を見ました。一体何をするのか、とても気になったからです。
 ニルバーニアはその場に座りこみ、指をぱちんとならしました。すると、何ということでしょうか…大広間の明かりが突然消えてしまったのです。それどころか、ネネのお屋敷の中にある灯りがすべて、ランプの火までも消えてしまったではありませんか!
「おっと、真っ暗では子供たちもこわがるじゃろうて…」
 ニルバーニアは再び指をぱちんとならします。すると、二ルバーニアの横に置かれた緑笠のランプに勝手に火がついたのです。これは、ニルバーニアにとっては、ほんの序の口の魔法にすぎません。しかし、大人も子供も…もちろん、マボもモモもネネだって、驚いて言葉も出ませんでした。ネネなどは抱いていた自慢のかわいいミルク飲み人形を、思わず落としそうになるほどでした。
 ランプに照らされているニルバーニアは、まったくもってこの世の人とは思えませんでした。ランプの炎で彼女の影がゆらめき、世界のどこかに魔法の国があるならば、そこににいざなわれているかのように思われます。
 ニルバーニアは取り出したシルクの布きれを床に敷き、その上に小袋の中身をまき散らしました。それは、星石と呼ばれるとても貴重で、世にも珍しいものでした。赤、青、紫、黄、緑など様々な色をしており、その多くがクリスタルのように半透明で透けています。どの石にも銀色で見たこともないどこかの国の文字が彫られています。ニルバーニアが再び指をならしてランプの火を消したのですが、それでも彼女の周りはまばゆいばかりの光に照らされて、ぼんやりと浮かび上がっています。宝石のように美しい星石が、煌めくような光を放ち、明滅しているからです。
「さてと…」
 ニルバーニアはそうつぶやくと、手前に転がる星石を奥にあるものにぶつけはじめました。それを、何度も何度も繰り返します。これこそがニルバーニアだけができる星石占いでした。ニルバーニアはこの占いで、未来をうかがい知ることができるのです。子供たちは何のことだかさっぱりわかりませんが、空から降ってきた星のように輝く星石がぶつかってパチパチと音をたてては、転がっていく様を眺めていました。
 一度占いを終えたニルバーニアは星石を小袋にしまいました。それから、また同じように中身をばらまき、占いをします。それを全部で三度繰り返しました。すると、まったくもって不思議な、とても考えられないことが起きたのです。3回とも最初と最後の石の配置が、寸分たがわず同じだったのです!
 ニルバーニアは占いを終えると、指を鳴らして、屋敷中のあかりをつけました。シルクの上にはまだ、星石がばらまかれたままですが、ニルバーニアはじっとそれを見つめています。そして、首を何度も横に振りながら、
「こんなことは初めてじゃ。私も年をとりすぎたようじゃのう…まるで星石が語ってはくれん。わかったことはただ一つ、このヤドリ村にこいということだけじゃ」
「はあ…」
 星占いの結果に期待していたネネのお父さん、アルマンゾさんはがっかりして要領を得ない返事をしました。あれほど立派で美しく、仰々しい占いの後ですから、病気がおさまる日にちや治療法、少なくともそのヒントぐらいならば、大賢者様がお示しくださるとばかり思っていたのです。そればかりか、けちで有名なアルマンゾさんですが、お礼に渡そうと金貨がざっくり入った袋まで用意していたのです。ですが、何とも腑に落ちない占いの結果でしたので、アルマンゾさんは慌ててその袋をひっこめてから、たずねたのです。
「ニルバーニア様、このままでは村の人が全員、はやり病に倒れるのは時間の問題です。我々はいったいどうしたらいいのでしょうか!? 聞くところによれば、ヤドリ村ばかりではなく、世界のそこもかしこも、あらゆる国の街や村々にまで病が広がっていると言うではありませんか!? このまま好き放題にやってきた人間は、この星から必要とされずに消え失せる運命なのでしょうか!?」
ニルバーニアは一つ一つ、大事な星石を小袋にしまっています。それから、一度手を止めて、ずいぶん考え込んでから言いました。
「……もしも、人間が消え去るのであれば、それも運命(さだめ)じゃ。人間はあまりに自分を見失い、傲慢になりすぎたのじゃ」
これを聞くと、アルマンゾさんだけではなく、その場にいた大人たちはすっかりふさぎこんでしまいました。というのも、全く思い当たる節がなかったわけでも、ないからでした。
「されど、アルマンゾさん。まだ、運命が決まったわけではござらぬぞ。気付いておるのかわからんが…この病には6歳までの子供がなぜかかからぬのじゃ。私は世界のあちこちの街や村々を見て回ったのじゃが、どこでも同じことが起きていた。なぜか子供はかからないのじゃ!」
「そ、そういえば!」
 大人たちは思わず顔を見合わせました。
「だから、ここに6歳までの子供たちを集めてもらったのじゃ」
 そう言ってニルバーニアは初めて、頭にかぶっていた法衣のフードを取りました。すると、誰もが驚き、目を見張りました。皺だらけの老人とばかり思っていたニルバーニアですが、何とも美しい若い娘のような顔立ちだったからです。短めでくせっ毛の強い茶色い髪、目は快晴の空のように青い瞳をしており、誰もが見とれてしまいました。その老人のような話ぶりと全く釣り合わないニルバーニアは、いったどれほどの年齢なのかはわかりません。ここにいる誰よりも長く生きているのは確かなのですが…。
 ニルバーニアは布きれの上に、星石を3つだけしまわずに残していました。そして、その最後に残っていた3つの星石を手のひらに乗せると、今度は壁際に座っている子供たちを、その澄んだ青い瞳で一人一人見つめたのです。マボもモモもネネもニルバーニアとそれぞれ、目が合いました。ニルバーニアの空色の瞳は、何とも優しげでした。
 広間にいる誰もが、ニルバーニアのことをじっと見守っています。ニルバーニアは目を閉じると、ぎゅっと手のひらの石を握り、
「願わくば星石に宿る精霊よ、運命をお示しくだされ…」
 こう念じると、おもむろに星石を天井高くに投げあげました。すると、その星石は頂点に達すると、意志を持ったかのように三つに散らばりました。部屋の誰もが上をみあげ、星石の行先を目で追いました。星石はゆっくりと弧を描いて落ちていき、3人の子供の前にピタリと落ちたのです。その3人の子供とは、マボ、モモ、ネネだったのです。ニルバーニアはじっくりと、3人の子供の顔を見回し、それからパッと顔を明るくさせて、
「なるほど、まだ星石は私のことを見捨ててはいなかったようじゃ!」
「と、申されると!?」
 アルマンゾさんが目を白黒させてたずねます。
「星石は選んだのじゃ、この3人の子供に迷い森に行くようにと!」
「迷い森ですと!」
 大人たちがいっせいに声をあげます。
「そうじゃ。迷い森の奥の奥、その奥の奥には双頭の魔女が住んでおる。道を間違えれば、地の果てにいってしまうような、険しく奥深い森の果てじゃ」
「う、噂には聞いてはいます。しかし、本当にそのような魔女がいるのでしょうか!?」
「ああ、いるとも。この世には魔女ばかりではないぞ、人の皮をかぶった悪魔だってそこかしこにおるのじゃよ。それは、ともかくじゃ…その双頭の魔女が今回のはやり病、何か秘密を知っているはずじゃ」
「本当でしょうか…し、しかし、子供たちを迷い森に行かせるなどということは…危険すぎはしないでしょうか!? マボとモモは仕方ないにしても、ネネは私のかわいい一人娘です」
 アルマンゾさんは、ネネを心配そうに見やりました。ネネは「迷い森に行くなんてごめんだわ。しかも、頼りないマボと、おてんばモモとなんて、絶対に嫌よ」と内心では思ってます。
 しかし、ニルバーニアは3人の子供の前に行くと、床に落ちている石を拾い上げます。そして、子供を立ち上がらせると、その石を与えてしっかり握らせ、それぞれに声をかけました。
「マボや、お前は思いやりがあって、思慮深い子じゃ。その心持を大切にしなさい。困難な目にあったとしても、きっと、誰かが助けてくれるはずじゃ。あとは、心にしっかりととどめておくのじゃ。物事は早いうちに手を打つことが大切。大事になると、火を消すのが大変じゃからのう」
 マボは受け取った青色の宝石を握りしめ、強くうなずきました。
「モモや、お前は負けん気が強くて、好奇心が旺盛、元気が良い女の子じゃ。されど、怒りんぼ坊でそそっかし屋なところがたまにキズじゃ。そんな良い所も悪い所もあるモモは、マボとネネと仲良くして、何かにつけて力を合わせてことにあたるようにしなさい。人は一人より二人、二人より三人集まれば、大きな力を発揮できるものじゃ」
 魔法使いになりたいモモは、あこがれの大賢者様を前にすっかり舞い上がっていました。手渡された赤い星石を小さい掌にのせて、いとおしそうに見つめています。しばらくしてはっとすると、モモはドレスのポケットから絹のハンカチを取り出してくるみました。
「ネネ、お前はちょっとわがままなところがあるのう。もっと、自分の足で歩くようにしなさい。それから、これだけは覚えておいておくれ。本当のお前は深い慈しみを持っておる優しい子だということを。ともかく、最後まで投げ出さずに、マボとモモを手助けしてやりなさい」
 ネネはそう言われて、黄色の星石を手渡されました。正直言えば、ネネは今すぐにでも窓を開けて、”こんな石はいらないわ、エイッ”と言って、その星石を外に投げ捨てたい気持ちになりました。お金持ちのネネは何不自由なく暮らしていて、身の回りの世話もすべて召使がやってくれます。食事の用意も世話も後片づけも、部屋の掃除だってすべて召使任せです。実を言えば、まだ一度だって自分の布団をたたんだことさえないのです。ネネは親の言いつけに従い、お行儀よくして、お勉強と習い事をしていれば良かったのです。そうすれば、好きなだけ服やおもちゃを買ってもらえましたから、村の子供の中で一番偉いとさえ思っていたのです。加えて外遊びが大嫌いで、いつも部屋で遊ぶような子供でした。ですから、迷い森に行って泥だらけになるなんてもってのほかでした。森には大嫌いな動物や虫だってわんさかいるでしょう。まったくもって想像するだけで、ぞっとすることでした。
 こんな具合ですから、ニルバーニアに選ばれたのは全くの迷惑千万だったのです。しかも、みんなの前で”わがまま”なんて言われたものですから、とてもショックを受けていました。というのもネネは自分のことを、”とっても良い子”と思っていました。叱ることなんて一度もないアルマンゾのお父様も、”ネネはとっても良い子。村を探したってネネほど良い子はみつかるわけがない”と口癖のように褒めるのが常でした。いつも身の回りの世話をしてくれる召使たちも、”お嬢様はとてもかわいくて良い子ですから、どこかの王子様がきっといつか迎えにきてくれるはずです”と言うぐらいなのです。
 そういうお屋敷育ちのお嬢様ですから、ネネは夜な夜な2階の寝室の窓を開けては、夜空に浮かぶお月様をうっとり眺めて空想にふけっていました。”いったいいつになったら、私の素敵な素敵な王子様は迎えに来てくれるのかしら! きっとそれは美しいたてがみのつやめいた白馬に乗ってやってくるはずよ。しかも、1人ではないわ。何人もの王子様が私と結婚しようとやってくるはずよ。私はその中でも一番素敵で、優しい王子様と結婚するのよ。きらびやかなドレス、宝石をちりばめられたネックレスを付けて、私はお姫様になるの。結婚式は2人だけで星降る夜に教会であげるのよ!”
それなのに、人間の中では最も賢いとされる大賢者様は、すべてお見通しとばかりに、ネネの事を”ちょっとわがまま”なんてみんなの前で言うものですから、恥ずかしいやら悔しいやら。ネネはすっかりニルバーニアの事が嫌いになってしまったのです。仮にニルバーニアがお世辞を働かせて、”かわいいネネはとっても良い子。きっと、将来お姫様になるわね”なんて言っていれば、ネネはすっかり満足していたでしょうネネは甘やかされて育ったのです。
 我がままお嬢様ネネは、お金持ちのお父様ならばきっとどうにかしてくれるはずとばかりに、アルマンゾさんの方をすがるように見ました。もちろん、ネネの父親であるアルマンゾさんは、何とか自分の娘以外を迷い森に送り込めはしないか、あれこれ頭を働かせています。一度はひっこめた金貨の袋を3つ用意して、ニルバーニアに頼み込んだら、占いをもう一度やり直してくれるかもしれない、などとも思いました。しかし、大賢者ニルバーニアは、お金などに鼻から興味がありませんから、それは無理な相談だったのです。占いのお礼とばかりに渡した金貨十数枚も、そこに置いて帰ってしまいました。ですので、アルマンゾさんはがっくりと肩を落とすよりほかなかったのです。そんな父親を見て、世の中にはお金に動かされない人間がいることを、ネネは初めて知ったのでした。
 こうして、選ばれし3人の子供になった、マボ、モモ、ネネは迷い森に向かうことになったのです。

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