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映像と共に歩んできた19年間


「はじめてのnote」を読んでくださった方々、本当にありがとうございます!
(まだの方は是非こちらも見ていってください☺︎)


たくさんの方にこの記事が届いたことを嬉しく思うと同時に、私の奇抜な人生観が、皆さんの目にどう映ったか、少しハラハラしている部分もあります。(笑)

 

前回の記事では私の概要についてお話しましたが、今回は、私の活動の一つである「映画制作」についてお話したいなと思います。




中学二年、気づいたら動画クリエイターになっていた!


映像制作を始めたのは、中学二年生の時です。とはいえ、映像を作ろう!と思って始めたわけではなく、友達で芸能界を目指して活動を始めた子がいて、その子を見ていたら、「私もインスタでフォロワーを増やしたい!」と思うようになり、何がバズるのか模索した結果、映像制作に辿り着いた、という経緯です。

 正確には、手書き文字とイラスト、写真と音楽を組み合わせて、歌詞動画を制作していました。その当時はなんの経験も知識もなく、ただひたすらに動画編集ソフトと手書き加工ソフトを調べまくり、試行錯誤しながら制作していました。


この点は今後記事にしたいと思っていることですが、私は、説明を読んだり、説明通りに物事を進めることが大の苦手です。読むくらいなら実践から入ってしまいたい!と思うタイプなので、「動画編集ソフトや手書き加工ソフトを調べまくり、試行錯誤した」なんて、本当に珍しいことなのです。


 だから、

本当に没頭できることを見つけると、苦手なことも得意に変えられる

あるいは、

自分が達成したい目標が強くあって、その過程で必要なことであれば、苦手なことでも苦に感じずに取り組める

のではないかと思うのです。

 今でも説明を読むのは苦手で、とても嫌いなので、できる限り避けていますが、本当にやりたいことのために必要だと思えば苦なく読めるので、苦手を克服するのではなく、自分の達成したい目標を探すことに努めた方が早いな、と思っています。

 それでも説明書を読めないせいで失敗したり、損することもたくさんあるので、いつかは克服したいところです。笑

 


さて、話は歌詞動画制作に戻りますが、最初の頃はフォロワー数が思うように伸びず、うまくいった!と思った作品が思いのほか伸びなかったり、そこまで満足できないなと思う作品が1000いいねを超えたり、周りの反応が自分の予想を超えてくることに衝撃を受けていました。

その後、作品のデザイン性だけでなく、投稿時間やハッシュタグによっても反響が変化するのではないかと思うようになり、自分で分かる範囲で分析を行いました。これがいわゆるマーケティングだったことを、当時の私は知りませんでした。笑

 
そこから一年ほど制作→投稿を繰り返した結果、フォロワーが6000人まで伸びました。


 ですが、一つのことに没頭すると他が手につかなくなる性格もあり、成績が低迷し始めたので、中三の終わりにアカウントを一時停止することにしました。今でもアカウントは停止したままなので、いつか復活させたいとは思っています。

 

高校一年、合宿に釣られて入ったのにコロナで合宿中止 


私は、中学三年の終わりからコロナが始まった世代だったので、高校生活は全てマスク生活でした。高校生になると中学の頃よりも制限がなくなり、部活ごとに合宿にいけるようになりました。


ある日、映画部という部活の顧問をしていて、仲の良かった副担任の先生が、「映画部の合宿は30分くらい撮影したらあと残りの時間は全部遊んで過ごせるから楽しいよ」と言いました。コロナですでに高校一年生の半分を失っていた私と友達たちは、「海で遊べる」「ゆるく楽しい」に釣られて速攻入部しました。


そして入部して間もなくして、またもコロナが深刻化し、「合宿禁止」が言い渡されました。合宿に釣られて入った私たちは拍子抜けすぎて、驚きを隠せなかったのを覚えています。

 
それでも私は昔から、文章を読むこと、書くこと、そして中学時代の映像制作の経験から、映像を作ることに興味があったので、映画を作ろう!と思いました。(映画部だからそれが本来の活動なのですが。笑)

 


しかし、コロナによる規制と、上の代の引退が受験の関係で早かったことから、本格的に活動を始めようと思った時にはもうすでに上の代が引退してしまっていました。


 映画制作ってまず何からやるの?脚本は?カメラの画角は?機材の使い方は?


 全てが初めて、かつ未知すぎる状態だったにも関わらず、気づけば後輩が入部、私は部長になっていました。部長として後輩と部全体をまとめつつ、後輩にアドバイスすること、自分の作品を締切までに作り上げること、とにかくやるしかない、という状況の中、映画制作をスタートさせました。

 

コロナと引退までの時期の関係で、高校時代は一作品しか作れなかったものの、私はそこで脚本と監督を務め、高校生映画コンテストで、審査員奨励賞と特選に選ばれました。

 

今思うと、本当に忙しく、考えることの多い一年だったと思います。


 部内の関係性もずっと良好だったわけではなく、モチベーションの違いによるすれ違いや、コロナで思うように撮影が進まない焦り、後輩たちの作品管理やモチベーションの維持・・・。

 それでも完成まで持っていき、何もかもが初めてながらに賞を受賞するまで一緒に作り上げてくれたメンバーにはとても感謝しています。ありがとう。

 

私はこの映画制作を通じて、映像が人の心に与える影響の力が偉大であることを知りました。たくさんの人に自分の作品を見てもらいましたが、時には涙を流してくれる人さえいました。今その作品を見返すと、まだまだ不慣れでたくさん改善の余地があるなと感じますが、それでも誰かの心に残り、評価してもらえることの嬉しさを実感できました。

 そして、大学生になったらまた絶対映画制作をする!という思いで大学受験に突入しました。


大学一年、一時間の質問攻めを経て映像制作サークルに入サー

 
大学に入りたての頃は、映画よりも音楽に没頭しており、びっくりするほど映像制作をやっていませんでした。それでも、映画を作りたい!という気持ちには変わりなかったので、一年生の終わり頃にサークル探しをすることにしました。映画サークルはたくさんあるのですが、映画鑑賞サークルだったり、カメラ技術にフォーカスしているサークルだったりと、思ったよりも映画制作をしているサークルを見つけることに苦戦しました。

 絶対に、きちんと映画を作りたい人たちが集まっているところに入りたかったので、インカレまで手を広げて探し、入サーする前に代表の方に一時間の質問攻めで、サークルの活動や映画への考え方について聞きました。

 丁寧に対応してくださり、自分の求める映画制作像と一致したので、無事入サーして現在そこで映画制作をしています。

 


私と映画制作 


振り返ると、私は映像と共に成長してきました。元々文章を書いたり本を読むことも好きで、何かと文字にして表現していたように思います。

それを考えると、映画制作との出会いは必然だったのではないかなと思います。

 これまで散々「映画」という言葉を用いてきましたが、実は全然映画をみるタイプではありません。というのも私は、映画よりも映像化、脚本構成に関心があり、映画に限らず、お笑い、CMなどのコンテンツ構成を重視して見ているので、「なんの映画が好き?」と聞かれても全く即答できません。笑

そんな私ですが、最近はアイデア停滞期に入っており、また1からインプットを行っている段階です。「ヒューマン映画を撮りたい」という軸は高校生の頃から変わっていないので、それに向けて、模索したいと思っています。

 
映画、映像、脚本の魅力を語りたい気持ちは山々ですが、今はまだインプット段階で、言語化しきれない部分があるので、またいつか記事にできたらなと思います:)


終わりに

 私にとって映像制作との出会いは、映像の素晴らしさだけでなく、人の心を動かすコンテンツ作りの面白さ、人をまとめあげる難しさ、人と一緒にものを作り上げる面白さ、言葉の表現の幅の広がり・・・本当にたくさんのことを教えてくれた、なくてはならないものです。

 

どんな形になるかはわからないけれど、

「映像とは生涯を通じて関わっていきたい」

と、心の底から思ってます。

 

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