カーテンコールが好き

本多劇場Presents『DISTANCE』を観た。

パソコンの画面越しに視る演劇は、どうしたって劇場で観る演劇よりも集中が難しいと思ってはいる。けれど、今のところZoomを使った『未開の議場』も『12人の優しい日本人』も食い入るようにのめりこんで観たし、観劇環境を凌駕するコンテンツ力があればイケるんだ、と思っていた。

が。

劇場で観たかった、と一番強く感じたのは今夜で、それはコンテンツのちからの違いじゃなくて、Zoomで観る演劇と劇場からの生配信はもはや別物、ということが大きかった気がする。作品は文句なしに面白かったし、俳優は輝いていた。俳優が輝いていたということは、スタッフもいい仕事をしていた、ということで、それをとらえたカメラだっていい仕事をしていたってことである。だけど、やっぱり、劇場で観たかった。劇場で観る演劇が恋しくなった。

Zoomで観たものよりも今回の『DISTANCE』の方が、圧倒的に劇場での鑑賞と相似性がある、はずだ。劇場の中で、客席に向かって、舞台装置や機材を使って演劇をやっていた、というところはこれまでのZoom利用の演劇とは明らかに違う。あぁでも、書いていてわかったかもしれない。舞台公演と似ているからこそ違いが際立った、のかも。。。

ビデオ会議ツールでやっている演劇は、新しいジャンルとして面白がれたのだけど、生配信は「舞台での上演」と同じジャンルで認識したのかもしれない。だとすると、違う空間に自分がいることや、画面越しであること、若干のタイムラグ、自分で観たいところを観るのではなくカメラが切り取る映像、というあたりを、私の脳みそがうまく処理できなかった気がしている。

拍手のないカーテンコールがもっとも刺さった。涙が出た。ああ、まだ演劇には手が届かないんだなぁ、見えてるのになぁ、こんなに作品は素敵なのに拍手がまったくないというのが現実の劇場なんだなぁ。だからといって、現実世界の自分の部屋でひとりで拍手をしたかというと、なんだかそれもうまくできなかった。ただただ泣いた。ほんの一瞬だけ。

そう考えると、劇場にお客さんが入れるようになって、たとえその数が半分なり1/3なりになったとしても、「客席にお客さんがいる」状態で配信するのであればまた違う感触になったのかもしれない。次は観客をいれた公演の生配信、も観てみたいと思う。

それと、今回の公演を観ていて気付いたのは、生配信は向いている演目と難しい演目があるのではないか、ということ。演劇のよさのひとつに、観客が観たいところを観たいように観られる、という特性がある。これが配信では、配信する側が見せたいものを見せるようになっていく危惧がある。出演者が増えるほど、撮影の難度は上がっていくんじゃないだろうか。また、演出への影響も生じてくるかもしれない。舞台上の複数のエリアで同時にお芝居をする、という演出は配信を考えて減らす、みたいなことは十分に考えられる。特に生配信を有料でやる場合は、配信で観ているお客さんの満足度も意識する必要がある。その点、今回の企画は実力のある俳優の一人芝居、というのが実に功を奏していると感じた。何十人も出演する公演を控えている身としては、大きな宿題をもらったような気分だけども。

まだちょっと言葉にしきれていない感じが残ってて、ひとことやふたことで済ませられない複雑な気持ちがうずまいている。少し寝かせたら整理されるかなぁ。面白かったとかつまらなかったとか、そういう領域の話じゃなくて、なんかひっかかりがとれていない。のどの奥に小骨、みたいなやつ。

タイトルに書いた通り、私はカーテンコールが好きである。拍手と光を浴びてお辞儀する俳優たちと、劇場中がねぎらい、感謝し、祝福しているような瞬間に身を置くと、スタッフで入っていてもこみあげてくるものがあったりする。あのカーテンコールの中にまた浸かりたい。近い未来にその時間がありますように。

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