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祖父の本棚・本棚を育てる

祖父母の家を片付けにきたのは、今回で3回目。まだまだ終わりは見えず、最初は片付けを進めるたびに、かえってものが増えてきたような気がしていたが、ようやくものが減ってきた実感が生まれてきた。

祖父母の家で僕が片付けで担当をしていたのは、祖父の書斎だった。祖父の書斎には大きな本棚が構えられている。書斎はとても深く、広くて、長い時間をかけて熟成された香りがした。

終戦前の本など明らかに劣化していたものもあったけれど、ひとつひとつの本が、丁寧にパラフィン紙で包まれているため、数十年の時が経っていても、まだ読むことができるようなものがほとんどだった。

祖父は海辺の市立高校で歴史を教える教師だった。僕は祖父が現役の教師であったときのことを直接は知らないけど、小さい頃、月末に祖父母の家を訪ねて、晩ご飯が用意できるまでに囲碁盤を挟んで向き合っている時に、本当に何を聞いてみても(僕が聞ける範囲のものだが)知っていることから、その知識の深さったらすごいな、と心から思っていた。趣味の囲碁の方も祖父はアマチュアの有段者で一度も本気の対局では敵うことはなかった。


本棚は、その主人を映していると思う。
確かに誰かと話をして、どんな本を読むかという話をすると人柄がよくわかる。

誰の言葉かうまく思い出せないけれど、「本棚を育てる」というのは的を射た言葉だと思う。そう、本棚は育てるものだ。そして主人を育てるものだ。まさに身体の延長であり、彼の血であり肉である。本棚の広さや深さは、その人がもつ言葉に間違いなくある関連するはずだ。そして祖父の本棚を前にして、圧倒的なその深さと広さを感じ、祖父の言葉たちを思い出す。

もちろん僕が知らない頃の祖父の本もたくさんあり、むしろ書庫に保存されているような本の大部分は、古いものだった。祖父が東大時代(戦時は東京帝国大学)に経済学を専攻していた時のものか、マルクスの原著(もちろん読めない)が一番奥に潜んでいて、あらゆる世界、日本のあらゆるテーマの歴史に関わる本、世界の哲学・思想、いくつか大学時代に僕が読んだものも含まれていた。祖父が旧制五校時代から本当に勤勉であったことは親戚から聞いたことが過去にあったが、もしこの本の半分でも読んだのであれば、凄まじい読書量を想像する。

そして高校教師時代。祖父は友人たちが皆、日本を背負ってたつような道に進む中(祖父の同窓会名簿を適当にググっては驚くというのを昔にやった)、いろいろな理由があったのだろうが、「僕は人の上に立つのは好きではない」といっておそらく有数の高校の歴史教師になった。

奥から一段表側の棚に並ぶのは、目立つものだけでも、歴史の教育書、歴史に関わる専門書、史学・教育学そのほかあらゆる領域の専門書、日本の歴史シリーズ全巻(でかい)、世界の歴史シリーズ全巻(もっとでかくて長い)、別の出版社の日本の歴史シリーズ(でかいやつのこれまた2〜3種類ある)、家庭をもってからか、趣味の本も増えたようで、山や寺社仏閣、御朱印帳、猫の飼い方、歴史小説等々。ここら辺の階層から僕が知っている祖父の片鱗を見つけることができた。

僕の祖父が教師として、その時代においておそらく珍しく、そしてすごいと思っているところは、全ての思想や歴史解釈に対して、フラットであったということだ。フラットに物事をとらえる、ということは言葉にすれば簡単だが、もちろん簡単ではない。ましては祖父が学び教えたような戦後の時代には尚更だろう。

しかし祖父は、あらゆる歴史に含まれる一つの史実に対する、あらゆる視点からの見方を知り、その見方を身に付けていた。誰かにとっての光は誰かの影であることをよく知っていた。蜘蛛の巣のように巡り関わり合う史実。また、ある誰かの思想は誰のどのような思想の影響を受けてきているか、その歴史を知っていた。多くを知っていたからこそ、その上に立って教えていたのだろう。そして歴史を修めた祖父はきっと人間がどのようにその時代にどのように思想に影響を受けてきたか、知っていたことを想像する。

祖父に過去のことを聞くと、けして多くを語るわけではないが、深海のような考察の結果の、ときには問答のようなひとすくいの言葉がかえってきたことを思い出す。歴史は決してひとつではないことをその姿勢から教えてもらった。
(その影響か知らないが、祖父の娘である僕の母は大学の史学科に進み、聖徳太子の実在・非実在についての研究をして教授に院に来て論文を本にしないかと誘われたらしい。祖母に院進を反対されて叶わなかったらしいが)

その目の前の本棚は祖父をあらわしていると思った。そしてひとり立ちして、昨年から東京で一人暮らししている僕の本棚(大学時代の本を少し引き継いで)を振り返って、まだまだであることを思い出す。しかし、そこに確かにそれは僕で、そこに流れる祖父の血を感じる。もちろん父母も祖母の血も。



母からは「書斎に好きな本があれば好きなだけ持ってったら」と言われていた。
せっかくの祖父の本だから、と思って本をたくさん詰めようとして、ざくざくと段ボールに詰めていたが、少しして、その多くを本棚に戻した。もちろん本の状態のこともあったのだが、祖父は僕には僕の本棚を育てて欲しい、と多分僕に言うのではないかと思ったからだ。

少年時代、祖父に「どんな本を読んだらいいのでしょう」と何度聞いても、祖父の答えはいつも決まっていて、「好きな本を読みなさい」だった。そして「僕は最近は『水滸伝』がおもしろくてね」など言いながら。

きっとそれが祖父の僕への教えだったのだろう。振り返れば、かけられた言葉として僕が受けた明確に教えらしいものはこれくらいだったかもしれない。しかし確かに僕はこの言葉に少なくない影響を受けている。

後から母に聞くと、祖父は僕が出生したころから、全ての図書費を負担してくれていたらしい。確かに母は僕が欲しい本は好きなだけ買ってくれたし(買い物についていくときスーパーの上の階か隣の大きい本屋に僕はいて、その週に読む本をついでに買ってもらうのでした)、小さい頃から僕の好きな本を読み聞かせしてくれたり(児童書に時には母オリジナルソングと、なぜか自分で希望したらしい囲碁の分厚い戦術書入門など)、豊かな読書の土壌を僕に築いてくれた。

確かに僕は僕なりの、それなりに豊かな読書生活を築きつつあるのではないかと思う。これは祖父から譲られたもっとも大きい贈り物の一つだ。


「祖父が読んだ本だから」という理由で僕がその本を紐解いたのであれば、それを祖父は望まないかもしれないと考えて、僕が今この瞬間に読みたいと思ったものだけを段ボールに詰めた。(それでも3箱分にはなってしまったのだが…)それ以外は僕が読みたいと思った時に、また探せばいい。

本棚はその人を映すと思う。

10年前の僕の本棚も、5年前の本棚も、3年前の本棚も、今の本棚ももちろん違う、増えては減って、入れ替わり、時には転機にガラリと変わる。僕の身体の細胞が、食べたり寝たりしている時に入れ替わるように。

実家に帰り、少年時代の僕の本棚の名残を見ると、少年時代の僕が見えるようである。ひたすら小説をかじりつくように読んでいて、ある程度分かった授業中には机の下の左の膝の上に文庫本を載せて読書して(先生にとっては煙たいやつだったろう・・・)、時折とがめられてもめげずに(?)読み続けたり、熱心に電子辞書を開いて、青空文庫をかたっぱしから読み耽ったり。長期休暇の帰省などの長い旅先では、移動のたびに本屋で本を買い足しては読み続け、平日の明朝に部活の朝練へ行くすがらも本を読んでいた。(ながら歩きはだめぜったい)それらの本が詰められている、古い段ボール箱、代謝した僕の血と肉たち。しかし僕自身に残った澱のようなものが僕をつくっているのだ。


本は生きていくために必ず求められるものではない。

でも僕は、読むことを生活の中において生きたいと思う。

流れの早い世の中でも、この先もずっと自分の心を耕すことを続けたい。

そしてもし、僕に子どものような存在ができたとしたら伝えるのだ。

「自分が好きな本を読みなさい。僕は最近この本が面白くってね・・・」








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