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待つ


 最近は路上で人との交流が多くなったり、ヒッチハイク旅行したり、飯を奢ってもらったり楽しいことが多い。調子がいいと気分が浮つく。

 しかし、人との出会いがある反面、関係がすぐ終わったり、自分が疎んじられることもあり、不安定ではある。そういう浮き沈みのある状況なので、一人でいる時や何もしない時はいろいろと不安になったりする。気力がないときは布団の中で寝込んでいる。これはいけないとヤケクソになって路上に出ていくことを繰り返している。今はヤケクソのパワーでやっているが、このパワーが無くなったら、どうなってしまうのか。そういう不安にも駆られる。

 布団の中で横になっている時、むかし河原で会ったおっちゃんのことを思い出した。

 わたしが周りに話し相手がいなくて孤立気味だった時、目的もなく街や河原を歩いたり自転車で走ったりしていた。ある日、暇つぶしで鴨川を三条から出町柳の方に歩いていると、ベンチに腰掛けて本を読んでるおっちゃんが目についた。

 分厚い本を読んでいたので気になって、反射的に「その本、マックス・ウェーバー?」と声をかけてしまった。ヤケクソである。

 話しかけられたおっちゃんはびっくりしたけど、こんな本読んでるぞと見せてくれた。フェリックス・ガタリの精神医療の本だったと思う。難しい哲学の本などを読んでいるようだ。

 話を聞くと、毎日河原の同じベンチに座って本を読んでるという。雨の日以外はだいたい同じ時間帯にそのベンチに座っている。仕事を定年退職して毎日をそのように過ごす。ただ、座って本を読むだけ。

 しかし、毎日同じところで座っていると、河原をよく通る人と顔馴染みになったり、見知らぬ人と話すこともあるという。浮浪者のような人や訳ありの人などとも話すことがあり、生きづらい人たちとも緩やかな関わりをもつ。

 何もしない、ただ待つ。

 待っているだけで誰かがやってくる。一人にならない。街の中でただ同じ場所にいるだけで出会いがある。

 ただ同じ場所にいることで、その人はそこにいる人として象徴化される。そこにいる人と認知されて、誰かが訪ねに来る。その人自体が街の中のパワースポットになる。ビッグイシューのおっちゃんや、西成の三角公園を寝床にしてたおっちゃんとかを思い出す。確かに、そこにいるだけで色んな人が訪ねて来ている。


 本当に自分が何もできなくなった時、街のどこかにたたずんでおこうと思う。待っていればそのうち誰か来る。河原のおっちゃんを思い出したらふと気分が軽くなった。

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