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小さな前進に大きな拍手を


23歳になっていました。
夏生まれのはるです。本名なのでこの持ちネタも23回目。

本当は当日にnoteを更新したかったのだけど、2週間も経ってしまった。

この1年は、1日ずつのだらだら感と、365日を通しての変化のギャップが、それはもう凄まじい。のんびり自由に1日を過ごしていたはずなのに、1年経ってみたら何だかすごい変化を遂げていた。

22歳のわたし史を振り返る。


🎂


2020年 7月
やっっっとひとつ内定をもらえて、安心感からバイト先のロッカーでへたり込んだのが、22歳になる2日前。これで落ちてたらお先真っ暗バースデーになるところだったよ。久しぶりに誕生日を実家で迎えた。そこから他社の面接を受けたり断ったりしながら今の会社に決めた。今考えると、本当に人生の大きな分岐点だなぁ。


8月
正直、夏休み何して過ごしていたのか記憶がない。まだ卒論は本格化していなかったし、単位はほぼ取り終えてレポートもそんなに多くないし、推し関連はライブが軒並み中止だったし、え、何してたん…?
意味もなく夜更かしして空が明るくなってから寝る日が多かった気がする。地元の友達と朝まで電話してたな。詳細な記憶は全くないけど、それも含めてめちゃくちゃ大学生っぽくていい。


9月
引き続き、人生で一番怠惰な夏。夏休み2ヶ月ってすごい。
塩谷舞さんのnoteとサイトを読んで、唐突にnoteを始める。推し関係のレポ以外での初投稿がこれ。

まず書きたい題材をリストアップして気が向く内容から書きはじめていくの、結構よかったな。今見てみたら半分以上書いてないままじゃん。大抵は「ああ、あれね、」と書きたかった内容が思い浮かぶけれど、それがまるでわからないものもある。真相は闇の中…。


10月、11月
noteを読むのにドハマりしていた時期。自分でも書き始めて、ガンガンシェアした。その節は皆さまお世話になりました。
言わなくてもいい正直なことを言うと、あの時期のシェアの動機には、「自分のアカウントの存在を知ってほしい」が少なくとも5割くらいはあった。素敵だと思ったものだけしかしていないのは事実です。でも、今よりも意識的に、相手に通知がいくTwitterでシェアをしていた。存在をアピールせず黙々と文章を紡いでいる人ってかっこいいけど、私はやっぱり見てほしい気持ちが勝っちゃった。それに、アピールするのも大切だと思う。そのおかげで今たくさんの人と繋がれているから。私設企画にも、その繋がりがあったおかげで参加しやすくなった。あの頃の勢いとがめつさを褒めてあげたい。

私のプロフィール欄にある「あらすじでは語られない日々のこと」について。

誰にも話したことのなかった、でもきっと誰かに言いたかった、胸の内。今でもあまり読み返せていない。これが書けたことは本当に大きい。


12月
小学生の頃から、8月31日に机にしがみつくタイプでした。卒論追い込まれ期。追い込み期じゃないよ。追い込まれ期。受験生ぶりに紅白を観なかった。
note以外のメディアに初めて投稿したのもこの月だった。よかったら見てね。名前はいいものが思いつかなくて、「はる」だけの名前はかぶってしまっていて、好きな花を頭にくっつけました。椿。好きです。


2021年 1月
あけおめ。ことよろ。
卒論、ギリギリで生きてたけど、納得のいくものはできた。最愛の推しの誕生日翌日が卒論提出日というバイキンマンもびっくりな意地悪設定だったので、必死で提出日3日前に終わらせた。オタクの執念。おかげで推しの25歳のお誕生日はニヤニヤニヤニヤしながら過ごせました。

卒論と、大学での学びについてはこちらで。個人的にお気に入りです。


2月
音楽について書けるようになりたいと強く思い始めた時期。感情そのままのライブレポは書いてきたけど、そうではなくて。アーティストを知らない人が読んでも、最後まで読める、そして興味を持ってもらえる、体験していないはずの感動がダイレクトに伝わる文章を書きたい。大好きなBALLISTIK BOYZのシングル発売に合わせて、初めて音楽文に投稿した。音楽レビューとしての出来はひとまず置いておくとして、投稿できたのが嬉しかったなぁ。

YOASOBIのオンラインライブを視聴して、ライブレポート企画に参加したら、なんとYOASOBI公式のマガジンに入れていただいた。ひっくり返った。嬉しすぎて嬉しすぎた。


掛け持ちしていたアルバイトをすべて辞めて、いよいよ学生時間の終わりを意識し始めた頃。引越しの作業悲しかった〜。
実は、ふと「帰りたい」と思うときに頭に浮かぶのは、生まれ故郷ではなくて大学時代を過ごした熊本の風景だったりする。だらしなかったけど、基本ひとりだったけど、そりゃあ全部がいい思い出ではないけれど、熊本での4年間は私にとってかけがえのないもの。自由で気楽で、うん、何よりも自由だった。羽根があって、飛ぶのも、畳んで眠るのも、折ってしまうのさえも許されていた感覚。これから時間が経つほど、あの4年間を尊く感じるんだろうな。そんな時間を過ごさせてくれた両親に感謝ですね。


3月
1年越しのライブがあった。大好きな大好きなアーティストに1年ぶりに会えた。ありきたりな表現だけど、ああ、生きてる、って全身で感じた。うっかり熱を入れるとここから1万字くらい書いてしまいそうなので引用します。推し関係はあまり読まれないけど、本当に書いてる時間が楽しくて愛しい。だからいいのだ。これからも書く。


4月
私の会社は少しだけ入社式が遅く、みんなよりも春休みが長かった。それがよかったかと聞かれるとハイとは言えない。周りに置いていかれている気がして、どうしようもないのに焦っていたから。
でもいいこともあった。私の友人関係は7割くらい中学時代の友達で構成されていて、そこらじゅうに遊び相手がいた。熊本から離れたくない〜って駄々をこねていたけど、地元に帰ってきたら帰ってきたで、まぁ楽しむわけですよ。
みんなお酒は飲める。そしてもちろん飲むのも楽しいんだけど、正直アルコールはいらない。同じ部活だった3人で展望台のある山までドライブに行った。誰もいないのをいいことに、山の中にある滑り台で騒ぎ倒した夜。「やばいパンツ見える!! いや脱げた!!!」とか言って、ゲラゲラギャハギャハ笑った。正真正銘のアホだった。世界で一番くだらなかった。でも、この光景ってきっと、死ぬ直前の走馬灯とかに出てくるんだろうなとぼんやり思った。笑いすぎて涙目で見た故郷の春の夜景は、ばかみたいに美しかった。

そして、入社、しました。


5月、6月
はる、社会の洗礼を浴びる、の巻。書きたい出来事には1日13回ぐらい出会うのに書く体力が1ミリもなくて、仕事しながら書いてる人何者? note見る限りいっぱいいる気がするけどどうなってるの?? と困惑していた時期。みんなすごい。好きなことを諦めていなくてすごい。
そして仮面おゆうぎ会が開催されていて、時間も体力もないなりに、書くものをこれ一つに絞って小説を書いていました。いや〜楽しかったな、あの企画。下の引用記事でも散々言っていますが、小説を書く機会をくれたこの企画に本当に感謝しています。2000字ドラマも書きたいな。自分のお尻を叩くためにここでひっそり予告しておく。


7月
そして正式な配属先が決まって、1500kmの旅に出ました。びゅーん。

まさか23歳の誕生日を、出張先の青森県で迎えることになるなんてね。内定の連絡をもらったばかりで22歳なりたての夢見がちな自分でも、さすがに、妄想すらもしていなかったよ。人生って、本当に何が起こるかわからない。
メソメソしたことは前回のnoteに書いたので、今はもう、前向きに頑張るのみです。前回書いて思ったのだけど、書く時間を設けられているときって心が安定している気がする。何を書こうかな、どういうふうに書こうかな、って考えられる時間が嬉しい。仕事も楽しんでいます。もうすぐ単独で動けるんだ。わくわく。今の仕事も夢も、どちらも納得いくまで突き進みたい。

なんか私ってやっぱりちょっと暑くるしいよね。わかる。許しておくれや。




卒業、入社、異動、みたいな社会的な変化以外は、何も成長していないと思っていた。

けれどこうして1年振り返ってみると、三日坊主なのにnote書き続けたり(今回で56記事!)他のメディアに投稿したり、初めて小説を書いたり、それなりに挑戦を重ねていた。少しびっくり。好きなことって、進んでいる実感を得にくいのかな。好きだからこそ、できてしまうから、大きな目標ばかりを追って小さな前進に気づけていないのかも。「好きでやっているだけ」のことでも、1歩でも前進していたら褒めてあげていいよね。


22歳のわたし、1年間ありがとう。
23歳のわたしもそれなりに頑張ってくれると思うから、見守っていてね。


ここまで読んでくれたあなた、いつもありがとう!

読んでくれるあなたのおかげで書けている!大好き!推しの次に!(え)

冗談。本当に、ありがとうございます。
23歳の私も、よろしくお願いします。


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