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「みんなのことが大好き」 Actorの1人が緑黄色社会からもらった愛について 【ライブレポート】


6月18日、緑黄色社会の全国ツアー「Actor tour 2022」に行った。

仙台公演はもともと3月を予定されていたのだけど、地震の影響で延期となり、待ち侘びた開催となった。
と言っても私は当初の日程では行けなかった。理由が地震だから、ラッキーというのも変だけれど、振替公演で行けるようになったのは嬉しかったな。

うろ覚えの記憶で感想を書きます。
注意事項としては、私は緑黄色社会の曲を全ては知らない状態で、ファンと名乗るのも烏滸がましいレベルだということ。知らない曲もあったけど、大きな愛と暖かさを感じるライブだった。参ります。


オープニングはやっぱそれよね

今回のツアー名でもある「Actor」。
同名のアルバム1曲目『Actor』を初めて聴いたときの印象は、「これライブ1曲目で聴いたらめちゃくちゃ楽しいだろうな〜」だった。ちょうど、3月の仙台公演に行けないとわかった頃だった。

その通りだった。
イントロが鳴った瞬間「ですよね!!」言うたわ。

薄暗い洋館の中に恐る恐る足を踏み入れ、ゆっくりと歩を進める最初の4小節。ひとつ、またひとつと音が増えていくたびに、少しずつ視界が明るくなっていく。そこを突き抜ける、ボーカル長屋晴子さんの一筋の透き通った歌声が、目の前で閉じていた窓を開く。開いた先には、一面に光り輝く草原が広がっていた。……という勝手なイメージ映像が脳内で流れた。

この晴子さんの声がもう、生で聴くととんでもなかった。

指先から肩にかけて、ゾクゾクと鳥肌が走っていく。会場が晴子さんの声色に染まるような、声で支配されるような圧倒的なパワーを感じた。
幕が上がったのだ


見えん!

入場列に並んでいるとき、男性の多さに少し驚いた。見た感じ6:4くらいで男性が多かった気がする。私の席の周りも、前の列は1人以外全員男性だった。これまで女性が多いライブがほとんどだったから新鮮だなぁ、なんて、ぼんやり考えていたのだ。それがフラグだとも知らずに。

オープニング『Actor』が始まり、期待と喜びが溢れんばかりの勢いで観客が立ち上がる。始まる! 楽しみ! メンバー出てきた! そんなワクワクの最高潮で私も立ち上がった。私の目の前には、後頭部があった。

えっ、見えん……………!!

予想外。前の席が男性なのは知っていた。けれど客席の段差で、見えるようになるものだと思っていた。え、ちょ、背、高〜〜!?

わかっている。前の男性は悪くない。別に私も悪くない。
こればかりは仕方がない。少しだけションとしながら、後頭部の横からかろうじてはっきり見えるベースの真吾さんを見ながら、音に耳を傾けた。そしてこれもある意味、フラグとなるのである。


1曲目がバラードだった

ハプニングでプチパニックに陥りつつも、曲は進んでいく。『Actor』の次に流れたのは、なんと『スクリーンと横顔』、バラードだった。選曲に驚く。そういえば数日前の藤井風のライブでも同じことで驚いた。当然ながら、ライブの数だけ考え尽くされた構成があるんだな。面白いなぁ。

この曲、恋人との関係に潮時を感じているときに聴いたら号泣すると思う。いや、号泣ってか、逆に刺さりすぎて聴けなくなると思う。聴いてて疑似失恋したもん。(?)

何気ない会話の、表情の中にある
こんなに小さなすれ違いでさえも
ハッピーエンドを遠ざけるなんて知らなかった

『スクリーンと横顔』

ギターを弾いていないときの晴子さんが、ギターをぎゅうっと抱きしめながら歌う姿が印象的だった。例によって見えないから変な姿勢になりながら見た。ギターが、曲中に出てくる〈離したくない〉想い出であるかのように見えた。


リョクシャカを知ったきっかけと、晴子さんの声

私が緑黄色社会を知ったのは2年前の就活。感染症によるアレコレが原因で、地の果てで燻っていたときだった。毎日4時頃まで意味もなく起きていた。先が見えない。人に会えない。来週の面接さえ、まず「あるかどうか」が、わからない。企業研究もする気になれず、普段あまり見ないYouTubeを空虚な目で追っていた。

そんなタイミングで偶然見たこの動画が、きっかけだった。

だから『Shout Baby』が流れ出して、あの頃の鬱屈とした感情が蘇った。あのときからずっと聴いた。何度も聴いた。その曲を今、私は直接届けられている。

なんとかなったなぁ。あの頃の私へ、私さ、今何か知らんけど仙台におるよ。今のあなたが行きたくてたまらないライブにぴょんぴょん行ってるよ。楽しいよ。大丈夫だよ。とにかく寝な。

2年前の自分に想いを馳せつつ、晴子さんの歌声を聴く。3階の後方席だったのに、耳がジンジンと薄く痺れた。聴きながらずっと、形容できる言葉を探していたのだけど、だめだ。今の私では見つけられない。耳に音の棒を突き刺すような、力強い芯のある声。美しい、という言葉を超越するような、凛とした音だった。


斜め前の最高な二人のこと

斜め前にいた二人組の話をしたい。やたらノリノリな二人だった。40〜50代の男女。開演前は特に気にも留めていなかったのに、視界の右端で心底楽しそうに揺れる二人を、つい目で追ってしまった。

なんかさ、そういうの、いいなぁと思って。

本当にその2席だけダンス会場になってんじゃないかってくらい、全身でリズムに乗っていた。膝から腰から動く動く。父と同じくらいの歳に見えるおじちゃんが、腕をぶんぶん振って「楽しい」をステージに送る。月曜日にはスーツ着て電車乗ってたりするのかな。心を解放できる場所があるの、最高ですよね。

緑黄色社会と、彼女らを愛する人たち。歌を送る人と、歌を受けて声援を返す人。ここは、双方が互いに送り合う「楽しい」という光が、ぶつかり弾ける空間なのだ。目の前の幸福な光景に、暖かい気持ちをお裾分けしてもらった。


真吾さん、好きです

前述の通りなかなかボーカルの晴子さんが見えない。しかし、視界の情報が半分ほど遮られていても楽しめた。理由は二つある。聴覚だけでも十分な満足感があったこと、そしてもう一つは、ベーシスト真吾さんがそこにいたからだ

先ほどのフラグ回収。
真吾さんは全身で演奏していた。たぶん、頭からも音を鳴らしていたんじゃないかと思う。頭を振って、膝でリズムを刻んで、飛んで、走って、仰け反って。見ていて涙が出た。それはダンサーのパフォーマンスを見て心を掴まれる感覚に似ていた。私は、人が全身全霊で何かを表現している姿を見ると、泣くのだなぁ。新しい発見までしてしまった。

ボーカルが見えないからって、大きなショックを受けなくてもよかったみたいだ。私は、バンドのライブに行くのは今回が初めてだった。音を創り出しているのはボーカルただ一人ではない。当然のようで、あまり意識できていなかったことを、私は真吾さんから教えてもらった。

このツイート見ずに書いたのに、「全身全霊」って本人が言ってた。


聴きたかった曲 『揺れる』

今なら何だってできる気がしてる

ねえ 何も何一つもできやしないの狭間で
悩まされてる
悩まされてる

『揺れる』

私のこと言ってんのかな??

パワフルな曲に元気をもらえるときというのは、同時に、その力強さに身を任せられる余裕があるとき、だとも言える。
でも、そんな太陽光みたいな明るさに身を任せる気分にさえなれない、捻くれたどす黒い感情でいっぱいなときも、ある。『揺れる』は、後者の私に大共感の渦を巻き起こし、そっと隣に座ってくれた曲だった。

なんか最近、本当に訳もなく落ちるのよね。ズンッッと。天気のせい?
そんなときこの曲を聴いてあ〜〜〜わかる〜〜〜とブンブン頷いて、ちょっと救われたのだ。だから聴けてよかった! しかも着席した状態だったから、ステージ全体が見られた。嬉しかった〜。


「演じてもいいよね?」

MCでは晴子さんから、言葉が贈られた。
MCなんだからそりゃ喋るだろ、というツッコミが入りそうだけど、あの時間はおしゃべりではなく、「言葉を贈る時間」だったと思う。

ここは公式メディア様の力を借りようと思います。自分の備忘録としても引用しておきたい。

みんながみんな『ありのまま』の姿でいるのは、すごく難しいことなんじゃないかなと思う。でも、『ありのまま』でいられないときは、誰かを演じてもいいよね? アクターになってもいいよね? って。

上記記事より引用

「SNSなどを通していろいろな見たくない情報が入ってくる」と話した後、私は、それでも全員が素敵だから、ありのままでいていいんだよ、と続くのだろうと予想した。しかし晴子さんは、「誰かを演じてもいい」「演じていてもあなたはあなただ」と言った。そんな言葉は、初めてだった。

自分らしくいられないときに、誰かの姿を借りること。
誰かの姿を借りる、演じる自分を、肯定すること。
どんな自分にも意味はあるということ。

たぶん、この言葉は、私の宝物になる。


『LITMUS』の照明

やたら真面目に書いたあとって、ふざけたくなるよね。
晴子さんから贈られた言葉を反芻しながら聴いた『LITMUS』。照明の色がマジでリトマス紙だった。何年も前に理科室で見たあの水色と桃色が暗い空間をゆっくりと照らしていて、リトマス紙だ……って思った、という話。真面目に聴いてたよ。


S.T.U.D

最初が、本当に大好きで。

流れた滴に 生まれた理由の味がした

『S.T.U.D』

これが流れてきた瞬間、嬉しさで思わず胸の前で手を組んでしまった。お祈り。目ぇぎゅ〜ってなった。この曲を構成する言葉の全てが好き。

夢中の途中では 聞き逃した全部が
俯いた足元に転がってた

疲れ切ったこの身体にムチ打て

今初めて知ったのだけど、男性陣二人の作詞?なんですね、最高……。
『S.T.U.D』は、背中を引っ叩いてほしいときに聴く曲。慰めるとか、寄り添うとか、そういう優しさは今はいらない。まだ諦められない。今からまた走り出す。そんなとき、この曲はスターターとなってくれる。ライブ終盤に畳み掛けるようにパワフルな曲が続いたのがすごくよかったな。活力になった。

『S.T.U.D』とは一体何なのか、ぜひ歌詞を見てみてほしい。



最後に、Actorの1人として

私にとって緑黄色社会は、元気で、パワフルで、例えるならば8月の午後2時の太陽みたいな、ギラギラした輝きをもった存在だった。少し捻くれた言い方をすると、綺麗事がたくさん並んでいる、というイメージもあった。

「Actor」を通して、それは裏切られた。イメージ通りの太陽のような明るさ、強く手を引いて光のもとへ連れ出してくれるパワーもあった。その上で、彼女らは真夜中の孤独を照らしてくれる、海に浮かぶ月のような存在でもあった。深く、広く、自分たちの歌を聴きにきたすべての人を、誰ひとり残さず抱きしめていく。

ツアーコンセプトに込められた「誰かを演じてもいい」というメッセージ。晴子さんがライブ中何度も何度も言っていた、「みんなのことが大好きだよ」という言葉。すべての曲は知らない、初めてライブに訪れた私をも、そのあまりに大きな愛で包み込んでくれた。

「綺麗事」の意味を調べると、「表面だけを立派にとりつくろうこと」と出てくる。緑黄色社会は、綺麗事の実が成ることを本気で信じる人たちが、その綺麗事を本物にしていくバンドなのだ。


「いろんなキャラクターがいるね」というMCでの言葉の通りだった。力強く励ましてくれたり、時に一緒に泣いてくれたり、何も言わず隣にいてくれたり、様々な顔をもったこのアルバムを、私はこの先も何度も頼りにするだろう。

またひとつ、大切な音楽が増えたライブでした。ありがとう。

明日に希望はないや
それでもそれなりに愛しているよ世界

『ずっとずっとずっと』



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