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遊びにおける「見立て」

遊びにおいて「見立て」はよく出てくる。
よく出てくるというか、極端に言ってしまえば全部「見立て」と思う。

「見立て」とは嘘である。
実際とは違う。
偽物である。
虚構である。

違うものを、「似ている」ものに見立てる。
なぜそんなことをするのだろうか。

「見立て」は嘘であるが、「似ている」ということは真実である。
この真実が大事になる。

この真実をつなげることによって、見立てたものと新しいつながりが生まれる。
会釈程度の関係だった隣の家の人の、意外な一面を知ることで親近感が湧くみたいな。

そういう新しい面を知ることで、新しい可能性が生まれてくる。
興味が湧いてくる。

一つの道筋の立て方を見せることによって、違う道筋を立てる手助けになる。

そうやって見立てることで、人は世界を広げていく。
自分の世界が広がっていくと、物の見え方も変わっていく。
どんどん試したくなる。自分の中で考えたくなる。
楽しくなってくる。

そう思うと「見立て」は遊びの基礎みたいなものなのかもしれない。

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