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個人的なルールの話

要するに自分ルールみたいなやつ。
かなり厳密な自分ルールの話をします。

【1.行動ルールに関する規定】

最も基本的、かつ表面的なルールである。例えば俺はこのnoteで誰もフォローしないことにしているし、いいねもつけないようにしている。特に理由はない。しいて言うなら「noteは発信のみを行う場所にしよう」と決めているからだ。これが行動ルールであり、いわば自分に課した何の意味もないことだ。意味はないが決まりごとである。Twitterで仲のいい人がnoteを書いていても、自分を話題に出してくれていても、それがどれだけ面白くても、いいねをつけられないし、フォローしてくれた! と思ってもフォローを返せない。これは別に孤高を演出したいわけでもなく、ただのルールなのである。逆にキツいし、普通にフォローを返したほうが遥かに印象が良いのだけど、一度決めてしまったルールなので仕方がない。

他には、平日には会社に行く、形だけでも仕事をする、毎日お風呂に入るかシャワーを浴びる、体を洗う際には必ず耳の後ろと背中をごしごしする、などもこれに相当する。それらは社会参加を考えた際まあ普通そうしたほうがいいというものであり、同時に特に守る理由のないものでもある。本来、別に会社に行かなくてもいいし、お風呂に入らなくてもいいし、人を殴ってもいいし、突然何もかも放り出して旅に出てもいい。リムジンに火をつけても、自殺してもいい。だが俺はそれをしない。それをしない理由は、法律や公序良俗に反するからではなく「自分の規定に反するから」である。noteで誰もフォローしない、いいねもつけない、という話と大差がない。俺の行動は基本的にこのルールによって制御されている。

【2.ルールの修正に関する規定】

行動ルールは基本的に守らなければならない。だが、このルールの一階層下に「既存のルールは修正可能である」というルールが設けられている。例えば自己認知、他者認知、およびこの世界に関する何かしらの認知が著しく更新された際、古い認知の下で課されていたルールが新しい認知の邪魔をし始めることがある。その際に、このルールの更新に関する規定が適用される。なお更新はあくまで上書きであり、古いものを別名で保存することはできない。古いほうは破棄される。

この規定は昔から俺を知っている人なら理解できると思う。「30代前半まで全身トルネードマートみたいな恰好をしていたけど、ここ数年で普通の恰好をしようと思い、服のチョイスを少しずつ変えていった」など、完全にこれによるものである。いい年して全身トルネードマートみたいな服装はちょっと洒落にならないし、それよりジャーナルスタンダードの服を着たほうが恰好よく見える、という自己認知に至ったからである。俺は人生の要所要所でこのルールの修正に関する規定を発動させている。

しかし「ルールは修正可能」というこのルールを発動させるためには、ちょっと面倒臭い手続きを踏む必要がある。具体的には、脳の役所にルール修正の嘆願書を提出し、それを受理してもらい、脳内の機関による厳正な審査を経て、承認されなければならない。

まず俺は書類がとにかく苦手である。就職や転職の際に提出する履歴書を一社分書くのに1日掛かるし、10分で書ける年末調整の書類を提出するのに一週間以上掛かる。例えば、やっぱりnoteで他人をフォローしたい、いいねをつけたい、そっちのほうが正しい、と思った際には、この規定に則って書類を作り、提出して審査を受ける必要がある。会社に行きたくない、お風呂に入りたくない、突然何もかも投げ出したい、リムジンに火をつけたい、自殺したい、という場合も同様である。「面倒な書類を提出する必要がある」という理由により俺はあまりルールを更新したくないし、また「機関の審査基準は厳正である」という理由により、リムジンに火をつける書類や自殺書類が通過したことは過去にない。

【3.基底の規定】

最下層レイヤーには「衝動に従う」というルールが設けられている。俺という人間を形作る、すべての基底となるものである。やりたいと思ったことはやるし、やりたくないと思ったことはやらない。我慢しようと思ったことはできるだけ我慢するけど、どうしても我慢できなくなったらやる。周りになんと言われようが、迷惑をかけようが、反社会的だろうが、我慢できなくなったらやる。くそ面倒臭い脳内書類を提出する脳内手続きを踏み、それでもルールを変えたいと強く思った場合、この最下層レイヤーの「衝動に従う」ルールが適用され、行動ルールが上書きされる。結果的に俺は犯罪者になる可能性もあるし、マンションの屋上から飛び降りて死ぬ可能性もある。

なお、どうしても衝動が抑えられなかった場合、2の規定を例外的にスルーして3の最も基本的な規定が適用されることがある。結果として、表面的な1の規定に違約してしまう場合がある。1のルールは表面的な行動に関するルールであり、最も意識して守らねばならないルールであると同時に、もっとも軽視していいルールでもある。ただ、2のルールを無視し1のルールに違約した際には、時として周りの良識ある方々から「一貫性がないぞ!」「言ってることとやってることが違うぞ!」「人に迷惑をかけるな! カス野郎!」となじられ、責め立てられることにもなる。その場合は「うるせえ! 黙れ! 死ねーッ!」と狂人のふりをし続けなければならない。それか犯罪者になるか、死ぬしかない。まあ、なるべくなら犯罪者にはなりたくないし、できることなら死にたくないものである。

俺という存在はおおよそこれらの規定で成り立っている。

Twitter:https://twitter.com/haru_yuki_i