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3年前に書いた文章を読み返すと恥ずかしくて死ぬ

「3年前に書いた文章を読み返すと恥ずかしい」という現象にずっと悩まされてる。

俺はいま38歳だ。そして何かのきっかけで35歳のころの文章を読み返すと死ぬほど恥ずかしい気分になる。この前、俺のことを前から見てた人に「数年前のこのツイートが好きでした、スクショも撮ってました」と言われた。スクショも実際見せられた。それが顔が真っ赤になるくらい恥ずかしくなった。まあそれ自体はいいんだ。好きって言ってもらえるのが嬉しくないわけないし、わざわざスクショなんか撮ってくれてたのも嬉しい。でもやっぱり3年前の自分の文章はめちゃくちゃ恥ずかしい。なんでこんな恥ずかしいことを書いたんだろうってなる。

大変残念なことに、その3年前の文章を書いた35歳のころの自分も同じことを思ってた。32歳のころに書いた自分の文章を読み返しては「なんて恥ずかしい文章なんだ、この頃に比べれば今のほうがだいぶマシだな」なんて考えてた。そう考えながら恥ずかしい文章をバンバン世に放っていたわけだ。32歳のころの俺も、29歳のころの俺も、26歳、23歳のころの俺も同じように思ってたし、同じようにやってた。ヤバい。無理。

この法則に照らして考えると、いま書いてる文章も3年後に見たら恥ずかしいということだ。本当にキツい。この文章も今すぐCtrl+A→Xの流れる動きで全消去して誰にも公開しないほうがいいんじゃないかって思う。するけど。

これでもなるべく恥ずかしくないように書いてるつもりだし、時折出す痛々しい感じも「全部コントロールできてる」「意図的にやってる」と思ってる。でも実際はコントロールできてない。コントロールできてると思ってる文章の行間から、本当に恥ずかしい匂いがじわじわ漏れ出してる。気づいたところは直してる。ずっと直してきた。わかりやすいところで言うと「背伸びして難しい単語を使うのはやめよう」とか「変な言い回しでウケを狙うのはやめよう」とか「なるべく読み手がイメージしやすいシンプルな言葉にしよう」とか、そういうことを、ちまちまちまちま、ずっとずっと修正し続けてきた。それで現在の姿になった。なるべく臭味を取ってきたつもりだ。でも臭い。まだ全然臭い。なんでこんなに臭いんだろう。変な動物の肉みたいだ。どれだけ臭味を取ればいいんだ。

ただその一方、この感覚がある限り俺は大丈夫なんじゃないかとも思ってる。過去の発信物を恥ずかしく思うということは、少なくともその頃よりは成長してるということだ。恥ずかしい気分になりたくないし、できれば「俺の文書ってやっぱイケてるなあ…」って自己陶酔したい。でもおそらくこの感じがなくなってしまうほうがヤバい。なぜなら俺は絶えず過去を振り返って修正し続けないと、もう恥ずかしくて恥ずかしくて手の付けられない激臭激ヤバ人間になってしまうからだ。過去の自分の至らなさを自覚できなくなったら人の成長は止まる。恥ずかしいと思ってたらまだ大丈夫。これは自分の中で一つの指標になってる。

もう書くのをやめればいいじゃないか、発信しなければ恥ずかしい思いをすることもないのにとも思うけど、あいにくライターと編集以外の仕事がろくにできない社会不適合者なので、書いていくしかない。仕方がないので、これからも3年後に読み返したら恥ずかしい文章を書き続けようと思う。

Twitter:https://twitter.com/haru_yuki_i