推しが推しとなったきっかけ

結論:覚えていない

何これこわい。

本当に覚えていない。気がついたら好きになっていた。
大体小学校中学年でポルノさんを知って、高学年で好きになって、中学上がってCDを買い始めた、という流れは覚えているけれど。
高学年で、ピシャーンと雷に打たれてしまったのが、

「グァバジュース」

え?まさかのアルバム曲?どこで聴いたんだ?
でも、サビの「あまいあまぁぁいグァバジュース」で落ちた。

こんなんでファン名乗っていいの?あれ?というような経歴。

中学生になって初めて自分で🍏🍎アルバムを一気買い。
アポロとCentury Loversで恋をした。
そこから時系列はめちゃくちゃに、通ってたCDショップにあれば買う、とにかく買うという、健全な中学生にあるまじき散財ぶり。

こんなに歌が上手くて、こんなにギターの音色がセクシーな人がいるんだ、と驚いた。
自分たちそれぞれでこんなに変幻自在に歌詞を書いているなんて、信じられなかった。
親の影響じゃなくて自分で好きになった初めてのアーティストだったから、それだけで何だか誇らしかった。
別に見た目から入ったわけではないけれど、イケメンだし。
いつか書くつもりではいるけれど、つまらなかった灰色の中学生活の唯一といっていい心の拠り所だった。

けれど、高校で少しだけポルノさんから離れた(といってもそんなに離れてはないけど)、時期もあった。
別の推しがかなり精力的に音楽活動をしていたから、そっちに心が向いていたのだ。
大学に入って、バイトをして、またポルノさんに貢ぎ始めた。
でも、ファンクラブに入ったりライブに行くのは、自分でお金をちゃんと稼いでからにしよう、そう思って曲を追っていた。

それから数年が経ち、ラバッパーになり、そこからさらに数年が経って初めてライブに参戦した。
UNFADED。幕張公演。
席運良くなくて、完全に豆粒サイズの2人だったけど、この世に実在していて、同じ空気を吸えたことに感動して涙が止まらなかった。
あんなにかっこいいんだ、どこまでも人を惹き付けるんだ、このバンドは。中学の時の誇らしさが蘇った。

社会人になってしんどかった時、壊れていた体からさらに壊れて、何度も救急車で運ばれるようになってしまった時も、「まだ死んでない、まだ意識がある大丈夫」
電車のホームでそう確認させてくれたポルノグラフィティの曲たち。
たぶんあの日あの時曲を聴いてなかったら、もしかしたら倒れて死んでいたかもしれない。

おかげさまでこうやって今noteを更新できている。
死なずに済んだ。
きっかけは覚えていないのに、命まで助けてもらった、何だか振り返ってみるとひどいファンだ。
恩返しをしてもしてもしきれない。

自分に出来ることはほんの少しというか、ほとんどないのだけど、曲をこれからも聴いて、カラオケで歌って、グッズ買って、ライブ行って、何よりもポルノグラフィティを大好きでいることが1番の恩返しになるのかもしれない。

きっかけを書こうとしたら、きっかけを覚えていないというまさかの結末だったけど、やっぱりポルノグラフィティを好きになれてよかったと、そこだけは自分を誇らしく思えるのである。

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