「わざわざ」のおはなし

ざわざわする。胸の内がざわざわする。

何気なく使っている「わざわざ」という言葉にちょっと引っかかった。

「わざわざ来てもらっちゃってごめんね〜」「わざわざ観てくれてありがとう!」

私もとても良く使う言葉である。むしろこちらに非があるときにこそ使うというか遠慮めいた感じで使うというか。コロナ禍の影響か、この”特別に時間を費やして、労苦を惜しまないでやる”ことが何と無くネガティブに感じてしまうのは私だけだろうか。いつもはそんな風に思わないけれど、なぜか「わざわざ=(こんな状況下だから別にやらなくてもよかったけど)」と聞こえてしまったのだ。

Weblio辞書には「わざわざ(態々):通常なら行なわなくてもいいことを行うさま。」と書かれていた。確かに、この意味ならば使い方を間違えれば嫌味っぽく聞こえてしまうのも無理がない。本人は嫌味のつもりがなくとも、誤った使い方をすると惨事になってしまうと言うこともあるようだ。例えば”申し訳ない”というスタンスで使うつもりが誤解されてしまうパターンも少なくはないだろう。

「わざわざいっらしゃらなくてもよかったのに〜」=来なくてもいい?

「わざわざ使わなくてもよかったのに!」=使わないほうが良い?

とか。だとしたら

「わざわざ+肯定文」だと、相手に対して深く感謝をもうあげたり謝罪をしたりする言葉になり、「わざわざ+否定文」だと嫌味に取られてしまう可能性が大なのかもしれない。経験上。この法則は今私が文章を書いててとっさに思いついたルールなので違うよ!と言うご意見があるならば即座に教えていただきたい。今回私が掛けられた言葉は「わざわざ+肯定文」しかしこのような感情になってしまったのは、私が日本語能力に欠けているからではない。(だって今までは不快に思わなかったから)確実にコロナの影響だ。今回は私が「行く」という行為に対してのメッセージだったからそう思ったのかもしれない。いや、考えすぎか。余談だが、自分から「わざわざ」を使用すると「〜してやった」のようなニュアンスが感じられるから私は使わないようにしてる。

日本語の意味を正しく理解していないと、相互に嫌な気持ちになってしまうということがわかった。特にこの状況、人と話すことを忘れ始めface to faceでコミュニケーションを取らないとなると意思疎通に気を使う。こんな些細な言葉で一喜一憂するとは思わなかったし、コロナがなかったらこんな経験ないだろうなと思った。改めて、コロナと言うものは生活だけじゃなくて色々なものを変えてしまったのだと実感した。今回は時間もなくさらっとした文章だったけど日本語について考えようと思ったきっかけとなりました。本日も読んでいただきありがとうございました。

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