富裕層が芸術を独占するのか?のおはなし

現代において、ある特定の社会階層が、ある一定の芸術を独占するということはありうると感じる。宝塚歌劇団を設立した小林一三は文化芸術という分類を贅沢品としてのエンターテイメントではなく、一般人つまり所得が低い人でも触れる権利はあると述べていた。彼のいうように誰もが文化芸術に触れる機会もしくは参加できる世の中になることが理想的である。しかし、生きるという行為に文化芸術が必要なものであるかと言われたらそうでもない。

憲法第25条には「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と書かれている。ここでいう「文化的な」という言葉の中にはどんな意味が含まれているのだろうか。「文化」という言葉を巡っては様々な場面で議論されている問題ではあるが、ここではアート的な意味での「文化」も含まれているし、慣習的な「文化」も含まれていると感じている。「文化」の捉え方は様々であるが、日本人全員が文化芸術に触れて良いと記載されていると認識したい。娯楽というジャンルで誰もが楽しめるものである。しかし現在でも見えないところで貧富の差は起こり、文化芸術に触れたり参加することが贅沢品の一種になっているのが現状だ。厳密的にはそうではかもしれないが、そういった風潮になってしまっているし、文化芸術そのものがそのような習慣を生み出してしまった。複雑な総合芸術になればなるほどコストは掛かり、受け手ももちろん割にあったコストを払わなければ触れることすら許されない。要するに、所得が高ければ高いほどコストのかかる文化芸術を独占できるという仕組みになる。所得によって起こる社会階層が特定の芸術を独占しやすいということになる。

現段階では美術市場においてこのような現象があると感じている。美術品の販売チャネルはギャラリーやオークションであるが、高額商品を扱う場合は入場制限を設けたり入場料の支払いを求められる。さらに舞台芸術界を覗いてみると、宝塚歌劇団のSS席は税抜12.500円、歌舞伎においても1階桟敷席で20.000円。果たして普通の一般人はたった数時間の舞台芸術のためにこの金額を躊躇なく支払えるのだろうか。自分の体験談に基づくと、舞台観劇を諦める理由の1つにチケット代の高額さが理由に入ってくる。さらに有名な舞台というもは基本的に首都圏で行われるため地方出身者は交通費も必要になってくる。この時点で高所得者しか楽しめない芸術になっている。結局、良いとされる作品を購入できるのは億万長者であり、貧乏人は生で見ることすらできない。

このようにある特定の社会階層がある特定の芸術を独占するということはありうる、と考える。現状このような事態にはなっていないが近い将来(ポストコロナ)可能性はあるのではないか。

今回はかつて考えたことを記録用としてnoteにしました。ありがとうございました。

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