結婚により、「優等生」の烙印を得る
今年の6月に、長年付き合っていた彼氏と結婚した。
付き合っている歴は10年以上にも及ぶけれど、それぞれが気ままな性格で、やっと同棲を始めたのが、今年の初め。しかも、たまたまいい物件があったからで、それがなければ、まだまだ1人暮らしの気ままな生活に飽き足らずw、別々の生活を楽しんでいたと思う。
だけど一緒に住んでみたら、それもそれで楽しくて、その流れで、「まぁ一応、結婚しとくか」くらいのテンションで、籍を入れた。
私たちとしては、「周りの真似をして、とりあえず制度に乗ってみた」という程度で、そこには何の感動もロマンスもなく、「家族」になったという事実はあれど、ほぼ今までの延長 という感じで、そこに何らの高揚感も特別感も感じていなかった。
だから逆に、周囲からの反応に戸惑った。
自分が何かの鋳型にはめ込まれていくような気持ち悪さを感じて、なぜそう感じるのか、最近その部分を、丁寧に掘っていた。
「結婚」って、何か特別なもののように祀り上げられていて、それは独身時代から感じていた違和感ではあったけれど、当事者になってみて、その違和感の輪郭は更に濃くなった。
「結婚」というものに貼りついている、社会通念。
「結婚」というものから、条件反射的に湧いてくる定義。
周囲の反応から、なんとなくそれらを感じ取ってしまった。
なんだろう・・・
なんか、気持ち悪い・・・
そうやって1人でモヤモヤしていた最近、その違和感がどこからやって来るものなのか解明してくれるような動画に出逢えた。
(メイコさん、ありがとうございます☆)
結婚してみて、分かって来たこと。
「結婚する」ということがいかに、“社会的に”優等生な選択なのかということ。
その制度に乗ることはゆるぎない正解で、周りからも、「よくできました!」みたいなハンコを押されているような気分になる。
お祝いしてくれる気持ちは、とっても嬉しい。
けれどそれとは切り分けて、「結婚」というものに対する信仰心みたいなものの根深さを、どうしても感じてしまう。
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