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光(六)

 気温は同じくらいだというのに、ここは嫌な暑さじゃなかった。豊かな自然に囲まれた避暑地。深呼吸して、その空気を味わってみる。
「はあ、素敵なところ」
 合宿地として選ばれたのは軽井沢。美波さんの親戚が所有している別荘があるということで、そこを提供してもらったのだ。車でここまで送ってもらい、後はわたしたちだけで泊まる。自由に過ごせる代わりに、食事を用意するのも自分たちで。
「美波さん、ほんとうにありがとうございます」
 美桜さんがお礼を言う。
「いいのよ。使ってもらってこその別荘だから」
 美波さんはハーフで、どこか上品な佇まいがあると思っていたけれど、やはり家は相当裕福なのでは。
「こんなところで合宿できるなんて最高だねー!」
 紅亜さんが明るい声を響かせる。
「遊びにきたのではないですよ。部活がメインですからね」
「荷物置いたら、さっそく練習始めようかー」
「いつもと違う練習メニューはあるんでしょうか?」
「体力強化と、ボイストレーニングもできたらいいね」
「この辺りを走ったら気持ちいいわね」
 声を聞きながら、くるりと後ろを振り返る。緋菜さんが一歩下がった場所で大人しくしていた。手を伸ばして、そっと握る。
「緋菜さん」
 行きましょう、と言うように、別荘の方に導く。もうメンバーの一人なのだから、遠慮しないでいいのだ。
「千歳ちゃん……」
 少し表情を和らげる。それを見て安堵する。
 部に加入してすぐ合宿が迫っていたけど、緋菜さんも予定が空いていたので、八人で来ることができた。わたしたちと彼女が距離を縮めるいい機会になるのではないかと期待している。
 部屋に荷物を置くと、練習着に着替えて、表に出た。まずは走ろうと、近くの湖へ向かう。円をなぞるようにして走り出したが、次第に塊が崩れていく。個々の走力と持久力の差が如実に表れてくる。先頭をゆくのは元バスケ部の美桜さん、それからわたし。でも、美桜さんはまだまだ余裕がありそうで、合わせてくれているのを感じた。
 少し遅れて紅亜さん、舞子さん、美波さん、美帆。最後尾はさくらさんと緋菜さん。さくらさんは豊かな胸が重そう。
 吸って、吐いて。吸って、吐いて。走っている間は苦しかったけれど、周りの景色は爽快だった。都会では絶対に味わえない心持ちで体を動かしているこの瞬間、密やかな高揚感。
 これが合宿なのだと、徐々に実感する。

 口々に「疲れた」と漏らしながらも、夜は協力してご飯を作った。カレー、ポテトサラダ、チーズケーキまで。料理を率先して行ったのは家で喫茶店のお手伝いをしている紅亜さんと、「女子力」の高い舞子さん。自然と二人の指示にそれ以外が従う形になっていく。
 食べながらさまざまなことを話した。これまでのこと、これからのこと。特に緋菜さんの言葉をたくさん聞きたかった。
「緋菜さんはどのアイドルを追いかけてるんですか?」
「わたしは――」
 平素は寡黙な性格なのに、アイドルの話になると舌が滑らかになる。そして、それに付いていけるのは舞子さんだけだった。舞子さんがいてくれてよかった。
「これだけ詳しければ、選曲や振り付けのことなんかアドバイスしてくれるとありがたいわね」
 美波さんが微笑みかける。
「でも、わたし、教え方下手だろうし……」
「振りコピしてる曲多いんじゃないですか? ほかの人より把握してるのは確かなんですから、積極的に口を出していいと思いますよ」
 振りコピは、振り付けを完璧に覚えているということ。それだけ踊っている姿を見てきた証左だ。
「せっかくですから、今度はこのメンバーでアイドルのイベントに行きたいですね」
 と、美桜さん。チーズケーキ切り分けますか、そう言ってナイフに手を伸ばす。食事はあらかた食べ終わっていた。
「行きたい! 有名なアイドルもいいけど、あえてマイナーなグループを見に行って、刺激を受けるのもいいかもね」
「勉強しに出かけるわけねー。やっぱり、現場に足を運ぶことが大事、だね」
 と、さくらさん。
「わたしも衣装の参考にしたいな」

 と、美帆。
「じゃあ、決まりですね! 舞子さんと緋菜さんを先頭に行きましょう」
 わたしが言うと、みんな力強く頷いている。根が真面目な人が多いからか、スクールアイドルをやっていても、軽薄な雰囲気はまるでない。それぞれに目標を掲げて、それを見据えて努力している。
 わたしもがんばらなければ。
「そうだ!」
 チーズケーキと一緒に頂くための紅茶をお盆に乗せ、紅亜さんがテーブルに持ってきてくれた。一人ひとりにティーカップを配りながら、「そうだ!」を何度も口にしている。
「何がそうだ! なの?」
 舞子さんが尋ねると、悪戯っぽい笑みで周囲を見やる。
「えへへ、いいこと思いついちゃった。――でも、まだ言わない」
「また何か思いついてしまったのですね」
 美桜さんが不安げに、そんな紅亜さんを見つめている。

 翌朝。
 今回の合宿では、夏祭りのライブに向けた練習が中心となっている。既に選曲は固まっているようで、先ほどNMB48の二曲が伝えられた。どちらもテンポのいい、盛り上がりを重視した選択に思う。
 だけど、それから続けて伝えられた。フォーメーションを前回から変更する、という。八人に増えて、当然考え直す必要はあるだろうけれど、果たしてどうなるのか気になっていた。
「センターは――緋菜さんでいきます」
 舞子さんが宣言し、みんなの視線が緋菜さんに集中する。視線を受けて、彼女は明らかに委縮している。
「わ、わたしがセンター……?」
 舞子さんの隣で、紅亜さんが勝ち誇ったような笑顔になっている。昨夜閃いたのは、このことだったみたいだ。
 狙いがきっとあるのだろうけど、でも、と傍らの緋菜さんを気に掛ける。いきなりセンターを任されて、大丈夫なのかな。


   四 僕がもう少し大胆なら

 目が冴えて眠れそうもない。仕方なく上半身を起こして、窓にかかるカーテンに触れる。少しだけ開けて、外を見つめる。真っ暗闇に浮かび上がる街灯、その下を自転車に乗った男性が通りかかった。こんな遅い時間だというのに。
 合宿で曲とフォーメーションが発表され、わたしはセンターを任されることになってしまった。好きな曲だったから振り付けはなんとか覚えられそうだけど、でも、わたしが一番目立つ位置に立って、ほんとうにいいのだろうか。
 昔からアイドルが大好きだった。彼女たちみたいにきらきらした存在に憧れ、それと同時に自分の地味さを思い知らされた。わたしは遠くからその姿を眺めているのがちょうどいいのだ。
 それでも、学校にアイドル部ができたと耳にしたとき、興味を持った。普段は学期末の企画に足を運ぶことはないのに、アイドル部見たさにこっそり行ってみた。
 そこで、わたしはまざまざと見せつけられた。これは、わたしがほんとうにやりたかったこと。舞台の上で笑顔を振りまくみんなが、どうしようもなく羨ましかった。
 そして、あれよあれよと言う間にそのメンバーに加わった。まずは端っこで、自分にできる最大限のダンスを披露しよう、そんな風に考えていたのに。
 地元の夏祭りは明日に迫っている。会場は広いし、見に来る人たちも知らない人の方が多い。自信はない。努力はするけれど。
 せめて、顔の状態が最悪にならないように早く眠りに就こうと思う。

 翌朝、最終確認を含めて学校の屋上に集まった。本番の会場でリハーサルをやらせてくれるのだけど、ほかの団体もいるためあまり時間が与えられていない。それまでに不安を払拭しておこう、というわけだ。
「どれくらいお客さん来てくれるんだろうねー。楽しみ!」
 紅亜ちゃんはテンションが高かった。二年生でこの部活の発起人。部長を務めていて、これまでは連続してセンターを務めていた。彼女みたいに底抜けに明るい女の子が真ん中に立つべきだと思うのだけれどな。
「緋菜、緊張してない? リラックスだよ」

 美波がわたしの肩を軽く揉む。同級生だったけど、今まで親しくしていなかった。「リラックス」の発音が上手い。
「今日までレッスンを重ねてきたんだから、自信を持って」
 舞子ちゃんが優しい言葉をかけてくれる。お客さんたちは平素のわたしを知らないのだから、ステージでは笑顔で臨まなければ。センターに立つ以上、よりいっそう。
「夏祭りって屋台とかも出るんだよね。綿あめ食べたいなー」
 千歳ちゃんがのんびりした口調で言う。彼女の笑顔を見ると元気がもらえる。
「ラムネもあるかもね」
「花火も上がるよね、きっと」
「ほら、遊ぶことばかりじゃなくて、最終確認をするために集まったんですよ」
 真面目な美桜ちゃんが気を引き締めさせる。
 ちょっと離れたところでは、美帆ちゃんが衣装を入念にチェックしている。衣装担当の彼女は、直前まで気にかけている。
 誰からともなく掛け声がして、フォーメーションに分かれた。わたしはその最前列に移動して、深呼吸する。泣いても笑っても、今日の夜にはパフォーマンスをする。それまでに頭が真っ白になっても踊りとおせるくらい、振り付けを体に叩き込まないと。

 まだ準備の済んでいない会場の入口をくぐり、足を踏み入れる。学校から目と鼻の先にある広い公園全体を使って、夏祭りの雰囲気を演出している。あちこちから掛け声が聞こえる。もうまもなく訪れる瞬間に思いを馳せ、人知れず胸を高鳴らせる。
 わたしは人の多いところが苦手だから、こういうお祭りに来ることもほとんどない。ひっそりと、静かに生きている。
 憧れがあったとはいえ、わたしと対極にあるアイドルとしてステージに立つのは、一つの奇跡だ。みんなが手を差し伸べてくれたから、舞台に引っ張り上げてくれたから。
 ステージは手作り感に満ちていたけれど、地面から少し高く、また広かった。学校の講堂よりもダイナミックに踊れそう、とそれを見上げて舞子ちゃんが呟く。裏を返せば、大きく踊らないと観ている人に届かないのだ。
 八人で黙ってステージを見つめる。それぞれにどんなことを考えているのか、なんとなく分かる。
 やがて歩き出し、裏に回る。そこには待機するためのテントが張られている。有志の団体が既にたくさん集まっていて、彩り豊かな衣装を身に纏っている。
 わたしたちの今回の衣装は、メイド服をベースに、踊りやすいようアレンジを加えたものになっている。「女の子」らしさを最大限にアピールできる衣装だ。美帆ちゃんは、曲とわたしをイメージしながら作ったという。その言葉を疑ってしまうくらい、それはほんとうにかわいかった。
「さあ、衣装に着替えたら、リハーサルをするよ」
 部長の紅亜ちゃんが声をかける。普段はマイペースで、美桜ちゃんや舞子ちゃんに叱られるときもある彼女だけど、今の表情を見ると、やっぱり彼女がこの部活の中心人物なのだな、そう実感する。
 紅亜ちゃんを差し置いてセンターをやらせてもらえるのは、どう受け止めても、やはりプレッシャー。
 でも、わたしたちはずっと練習してきた立ち位置で挑戦する。
 日が暮れてきた。夜の到来はお祭りの幕開けの合図。

 予想以上にたくさんの人たちが見に訪れていた。ほかに目当てがあるのか、なんとなく楽しそうな場所に吸い寄せられたのか。わたしたちを目当てにして集まった人たちは少数だろう。
 よく目を凝らすと、見覚えのある顔がちらほらあった。地元のお祭りなのだから、同じ学校の生徒たちが来るのは当然だ。それぞれに、戸惑いの色が浮かんでいる。だって、センターポジションにいるのは、いつも教室の片隅で小さくなっている高遠緋菜。意外に感じている。
 緊張は限界を超えたのか、ステージに立ったときにはむしろ落ち着いていた。見渡す余裕もある。今まで深く考えることなく、好きなアイドルのパフォーマンスを見つめていたけど、彼女らからはこんな風に見えていたのか。たくさんの視線を浴びることは、重く全身にのしかかるけれど、どこか快感だ。
 紅亜がマイクを取って、自己紹介をしている。曲を告げる段になって、そのマイクを渡される。
「そ、それでは聴いてください。NMB48で『イビサガール』と『僕がもう少し大胆なら』」
 前奏が始まる。始まってしまうと、もう動き出すしかなかった。全力で踊って、全力で歌うしかない。笑顔を振りまけているとは思えないけれど、でも、きっと楽しんでいることは伝わるはず。それだけが伝播するだけでも十分。

  僕がもう少し大胆なら 勢いで愛せたね

  傷つけること恐れて目を逸らした

  僕がもう少し大胆なら サヨナラは言わなかった

  久しぶりの二人はお似合いなのにね

 僕が――わたしがもっと大胆だったら。もっと早くアイドル部に入っていれば。憧れを実現させようと一歩踏み出せばよかった。強く確信する。わたしはみんなと出会えて嬉しい。この瞬間は何よりの至福だ。
 こんな風に思わせてくれてありがとう。こんなわたしを誘ってくれて、ほんとうにありがとう。

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